春の有名俳句の一覧

春のシーズンは、冬のシーズンの厳しい寒さが終わって、花が咲き始めてきます。

ここでは、このような春に詠まれた有名な俳句についてご紹介します。

目次

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春の季語とは?

季語というのは、新年、春、夏、秋、冬があり、季節を表現するために俳句で詠まれる言葉です。

また、旧暦によって季語は決まっており、だいたい春は1月~3月、夏は4月~6月、秋は7月~9月、冬は10月~12月となっており、現在の季節とちょっとずれているときがあります。

春の有名な季語としては、 桜があります。

また、春の花の季語としてはすみれや菜の花など、 春の鳥の季語としてはつばめやうぐいすなど、春の行事の季語としては卒業や入学などがあり、いずれの季語も春を思い浮かべやすいものです。

春に詠まれた有名な俳句とは?

ここでは、春に詠まれた有名な俳句についてご紹介します。

「しほるゝは 何かあんずの 花の色」

この俳句は、松永貞徳が詠んだもので、あんずの花が季語です。

内容としては、「あんずの花がしおれているのは心配なことが何かあったのでしょうか?」ということです。

「山路来て 何やらゆかし すみれ草」

この俳句は、松尾芭蕉が詠んだもので、すみれ草が季語です。

内容としては、 「ずっと山道を歩いていると、道端にすみれの花が咲いていたので心がなんとなく惹きつけられました。」ということです。

「梅が香に のっと日の出る 山路かな」

この俳句は、松尾芭蕉が詠んだもので、梅が香が季語です。

内容としては、「山路を早春に歩いていると、梅の香がどこからかしてきました。この梅の香に誘われるかのように、突然大きな朝日が姿を現しました。」ということです。

「草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家」

この俳句は、松尾芭蕉が詠んだもので、雛が季語です。

内容としては、「住み慣れたあばら家も、主が変わるようになりました。雛人形を新しい主のもとで飾っています。」ということです。

「春の海 ひねもすのたり のたりかな」

この俳句は、与謝蕪村が詠んだもので、春の海が季語です。

内容としては、「春のうららかな日を浴びた海面には、白波が一日中春の日永をゆったりと物憂げにうねりながら、浜辺に寄せては返しています。」ということです。

「高麗船の 寄らで過ぎゆく かすみかな」

この俳句は、与謝蕪村が詠んだもので、かすみが季語です。

内容としては、「かすみが会場には立ち込めており、ゆっくりと見慣れない異国の船がかすみの中から姿を現しました。美しく船は彩色されており、どうやら高麗船のようです。間近で見てみたいと考えましたが、岸には近づかなくて、かすみの中にまたそのまま消えてしまいました。」ということです。

「菜の花や 月は東に 日は西に」

この俳句は、与謝蕪村が詠んだもので、菜の花が季語です。

内容としては、「見渡す限り、大地には黄色い菜の花畑が広がっています。鮮やかな目が覚めるほどの菜の花に影がさし、春の長い一日も終わろうとする頃、白い月が東の空には登ってきて、西の空には夕日が赤く燃えながら沈もうとしています。」ということです。

「白梅に 明るく夜ばかりと なりにけり」

この俳句は、与謝蕪村が詠んだもので、白梅が季語です。

内容としては、「白梅の花が咲き始め、この病床まで高雅な白梅の香りが匂ってきます。今からは夜ごと、この白梅の付近から夜がほのぼのと明けていきます。」ということです。

「行く春や おもたき琵琶の 抱きごころ」

この俳句は、与謝蕪村が詠んだもので、行く春が季語です。

内容としては、「物憂い晩春の気持ちで琵琶を弾けば、いつもよりこの琵琶が重く感じられます。」ということです。

「我と来て 遊べや親の ない雀」

この俳句は、小林一茶が詠んだもので、雀の子が季語 です。

内容としては、「かわいそうな親からはぐれてしまった子雀よ、こっちに来て一緒に親のない私と遊びましょう。」ということです。

「雪とけて 村いっぱいの 子どもかな」

この俳句は、小林一茶が詠んだもので、雪解けが季語です。

内容としては、「長い冬も終わりに近づいて、雪解けの季節になりました。春を待ちわびていた子供たちは、外に一斉に飛び出してきて、春の日を浴びて遊んでいます。こんなにも村に多くの子どもがいたのかとびっくりするばかりです。」ということです。

「野に出でて 写生する春と なりにけり」

この俳句は、正岡子規が詠んだもので、春が季語です。

内容としては、「写生を野に出てする暖かい季節になりました。」ということです。

「菫ほどな 小さき人に 生まれたし」

この俳句は、夏目漱石が詠んだもので、すみれが季節です。

内容としては、「春のうららかな日差しを浴びながら、すみれが咲いています。このように美しく、さらに小さいものがこの世の中にあったでしょうか。もし、生まれ変わることができるのであれば、このすみれのような小さい人間に生まれたい。」ということです。

「まさおなる 空よりしだれ さくらかな」

この俳句は、富安風生が詠んだもので、枝垂桜が季節です。

内容としては、「真っ青な空から垂れ下がって、可憐な花が咲いている枝垂桜はなんと美しいことでしょう。」ということです。

「チューリップ 喜びだけを 持っている」

この俳句は、細見綾子が詠んだもので、チューリップが季節です。

内容としては、「一点の曇りもないような喜びだけをチューリップの花は持っているような美しさがあります。」ということです。

「菜の花が しあはせさうに 黄色して」

この俳句は、細見綾子が詠んだもので、菜の花が季節です。

内容としては、「今年も春がまたやってきて、黄色い花を菜の花が咲かせています。まるで全身で春の喜びを表現するかのように、黄色い花を咲かせています。」ということです。

「来しかたや 馬酔木咲く野の 日のひかり」

この俳句は、水原秋桜子が詠んだもので、馬酔木が季節です。

内容としては、「奈良の野を巡って、薄暗い三月堂に立つと、道中の光景が思い浮かびます。奈良の野にはきれいにあしびの花が咲いており、春の溢れるような日差しが降り注いでいました。」ということです。

「ちるさくら 海あおければ 海へちる」

この俳句は、高屋窓秋が詠んだもので、さくらが季語です。

内容としては、「風に吹かれて満開の桜の花びらが散っています。海が真っ青に深々と澄んでいるためでしょうか。ピンク色の淡い花びらは、はらはらとまるで海に吸い込まれるように散っています。」ということです。

「春風や 闘志いだきて 丘に立つ」

この俳句は、高浜虚子が詠んだもので、春風が季語です。

内容としては、「暖かな春の風を丘の上で全身に感じながら、また今から勇ましく戦おうと決めています。」ということです。

「鶯の 笠おとしたる 椿かな」

この俳句は、松尾芭蕉が詠んだもので、椿が季語です。

内容としては「鶯が椿の花に笠を落としている」ということで、俳句として椿と鶯を詠んだところが素晴らしいでしょう。

「朝夕に 雫のふとる このめ哉」

この俳句は、加賀千代女が詠んだもので、木の芽が季語です。

内容としては「朝と夕方に木の芽に付いた雫がふくらんでゆく」ということで、木の芽が成長するのは春になったことを感じされられます。

「梅一輪 一輪ほどの あたたかさ」

この俳句は、服部嵐雪が詠んだもので、梅が季語です。

内容としては「咲いた一輪の梅の分の暖かさが感じられる」ということで、冬のシーズンを梅がイメージさせ、春のシーズンをあたたかさがイメージさせられるでしょう。

「梅が香に のっと日の出る 山路かな」

この俳句は、松尾芭蕉が詠んだもので、梅が香が季語です。

内容としては「日が梅の香りに誘われたようにのっと出る山の道」ということで、のっとという表現は松尾芭蕉ならではのものでしょう。

「門松や おもへば一夜 三十年」

この俳句は松尾芭蕉が詠んだもので、門松が季語です。

内容としては「思い返すと30年が一夜のようだ」ということで、人生を門松で振り返るものです。

「下萌に 明さあるごと 昼の月」

この俳句は原石鼎が詠んだもので、地中から芽が出ること、その芽という下萌が季語です。

内容としては「昼の月が出ており明るさが下萌にあるようだ」ということで、優しさが下萌という言葉から感じられます。

「鶯や 柳のうしろ 薮の前」

この俳句は、松尾芭蕉が詠んだもので、鶯が季語です。

内容としては「鶯が柳の後ろにいたかと思えば藪の前にいる」ということで、鶯の動きを俳句を見た人にイメージさせるものです。

「島々に 灯をともしけり 春の海」

この俳句は正岡子規が詠んだもので、春の海が季語です。

内容としては「灯を春の海の島々では灯している」ということで、俳句として夕方や夜の春の海を詠んだものは多くないでしょう。

「春水や 四条五条の 橋の下」

この俳句は与謝蕪村が詠んだもので、春水が季語です。

内容としては「春の水や四条と五条の橋の下」ということで、優しいイメージが春水の言葉にはあります。

「しばらくは 花の上なる 月夜かな」

この俳句は松尾芭蕉が詠んだもので、花が季語です。

内容としては「しばらくは月が花の上にある夜」ということで、一般的に花は桜をイメージするかもしれませんが、俳句では別の花をイメージすることもできます。

「白梅や ひと日南を あこがれぬ」

この俳句は石川啄木が詠んだもので、梅が季語です。

内容としては「白梅は一日中、南の地を憧れていた」ということで、石川啄木の俳句には忘れがたいものがあります。

「手折らるる 人に薫るや 梅の花」

この俳句は加賀千代女が詠んだもので、梅が季語です。

内容としては「手折られた人に梅の花が香る」ということで、手折るというのは花や枝などを手で折って取ることです。

「春草の 姿持たる 裾野かな」

この俳句は上嶋鬼貫が詠んだもので、春草が季語です。

内容としては「裾野は春の草の姿をしているのかな」ということです。

「筍や 目黒の美人 ありやなし」

この俳句は正岡子規が詠んだもので、筍が季語です。

内容としては「筍で有名な目黒のあの美人は、居るのか居ないのか」ということで、江戸時代から東京の目黒の筍飯は名物でした。

そして、顔のツヤが筍を食べれば良くなって、美しい人になるともいわれていました。

「近道へ 出てうれし野の 躑躅かな」

この俳句は与謝蕪村が詠んだもので、躑躅が季語です。

内容としては「近道をして、ここに出て野の躑躅に出会って嬉しい」ということで、つつじに思いがけなく出会った嬉しい感じが伝わってきます。

「笋の うんぷてんぷの 出所かな」

この俳句は小林一茶が詠んだもので、笋が季語です。

内容としては「たけのこの運否天賦の生えて出る場所」ということで、運否天賦の意味は運命は天の定めによることです。

小林一茶らしさが、運否天賦という言葉を使うところにあるでしょう。

「長閑さや 垣間を覗く 山の僧」

この俳句は小林一茶が詠んだもので、長閑が季語です。

内容としては「垣根の間を覗く山の僧は長閑さを感じる」ということで、面白さが僧侶の覗き見に感じられます。

「白桃や 莟うるめる 枝の反り」

この俳句は、芥川龍之介が詠んだもので、白桃が季語です。

内容としては「白桃やつぼみが湿っている枝のそり」ということで、白桃が季語です。

芥川龍之介という短編の名手の俳句として、一度この俳句を見れば忘れにくいでしょう。

「花の雲 鐘は上野か 浅草か」

この俳句は松尾芭蕉が詠んだもので、花が季語です。

内容としては「花が雲のように見える、聞こえる鐘をついているのは上野か、浅草か」ということで、懐かしい上野や浅草の地名が含まれているため非常に馴染みがあるでしょう。

「春たちて まだ九日の 野山かな」

この俳句は松尾芭蕉が詠んだもので、春たちてが季語です。

内容としては「春になってまだ九日の野山」ということで、九日がイメージに残るでしょう。

「菜の花や 月は東に 日は西に」

この俳句は与謝蕪村が詠んだもので、菜の花が季語です。

内容としては「菜の花が咲く時期には月は東に昇って、日は西に沈んでゆく」ということで、俳句としての名作といわれているものです。

「ほろほろと 山吹散るか 滝の音」

この俳句は松尾芭蕉が詠んだもので、山吹が季語です。

内容としては「ほろほろと山吹の花が散って、そして滝の音が聞こえる」ということで、ほろほろの表現が松尾芭蕉ならではのものでしょう。

「春立つや 昼の灯くらき 山社」

この俳句は正岡子規が詠んだもので、春立つが季語です。

内容としては「立春になっても昼の灯が暗い山の神社」ということです。

「枕べに ことしの春は 立ちにけり」

この俳句は日野草城が詠んだもので、春は立ちが季語です。

内容としては「枕元に、今年の春はやって来ていた」ということで、朝起きると、ふと春が来ていたことがわかったという経験と重なるものです。

「春の海 ひねもすのたり のたりかな」

この俳句は与謝蕪村が詠んだもので、春の海が季語です。

内容としては「春の海は一日中、のたりのたりしている」ということで、のたりのたりと繰り返すことが、春らしさを非常に醸し出しています。

「山路きて 何やらゆかし すみれ草」

この俳句は松尾芭蕉が詠んだもので、すみれ草が季語です。

内容としては「山道に来て、すみれ草に何かゆかしさが感じられる」ということで、何でもないような俳句に思えるかもしれませんが、詠もうとしてもなかなか詠めないでしょう。

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