富澤赤黄男の俳句




  • あはれこの瓦礫の都冬の虹
  • くらやみへくらやみへ卵ころがりぬ
  • ゆく船へ蟹はかひなき手をあぐる
  • 一本のマツチをすれば湖は霧
  • 乳房にああ満月のおもたさよ
  • 乳房やああ身をそらす春の虹
  • 偶然の蝙蝠傘が倒れてゐる
  • 切株はじいんじいんとひびくなり
  • 南国のこの早熟の青貝よ
  • 困憊の日輪をころがしてゐる傾斜
  • 大地いましづかに揺れよ油蟬
  • 大露に腹割つ切りしをとこかな
  • 寒い月ああ貌がない貌がない
  • 戀びとは土龍のやうにぬれてゐる
  • 戛々(かつかつ)とゆき戛々と征くばかり
  • 椿散るああなまぬるき昼の火事
  • 海峡を越えんと紅きものうごく
  • 満月光液体は呼吸する
  • 火口湖は日のぽつねんとみづすまし
  • 灯をともし潤子のやうな小さいランプ
  • 爛々と虎の眼に降る落葉
  • 瞳に古典紺々とふる牡丹雪
  • 石の上に秋の鬼ゐて火を焚けり
  • 秋風の下にゐるのはほろほろ鳥
  • 羽がふる春の半島羽がふる
  • 草二本だけ生えてゐる時閒
  • 落日に支那のランプのホヤを拭く
  • 蝶墜ちて大音響の結氷期
  • 賑やかな骨牌(カルタ)の裏面(うら)のさみしい繪
  • 赤い花買ふ猛烈な雲の下
  • 軍艦が沈んだ海の老いたる鷗
  • 零(ゼロ)の中爪立ちをして哭いてゐる
  • 鶏頭のやうな手をあげ死んでゆけり
  • 鶴渡る大地の阿呆日の阿呆
  • 鶴は鳴く雲の炎に身を絞り
  • 鶴の舌赤銅の日に哭きただれ
  • 鶴燻ゆるひろげし翼のむらさきに
  • 鶴はなく雲の雫に盲れて
  • 鶴昏れて煙のごとき翼ひけり
  • 潮すずし錨は肘をたてて睡る
  • 青貝に月の匂ののこる朝
  • 貝殻の頬幸福に日焦げつつ
  • 雲聳ちて蟹は甲羅の干きゆく
  • 波耀れば蟹はしづかに眸をつむる
  • 水泡をいだいて蟹はかなしめり
  • 白日の砂丘は寂し蟹こゆる
  • 青宵のきんいろの鳥瞳に棲める
  • 雲流れ少年はるかなる空想
  • 少年の雲白ければむく蜜柑
  • 青い蜜柑のにほひと白雲の匂
  • 夕風の青い蜜柑をふところにし
  • 蜜柑酸ゆければふるさとの酸ゆさかな
  • 貝殻と蟹で賑はつてゐる真昼
  • 陽炎の中へ貝殻を捨てて去る
  • 秋は寂かにゐる雲 狐のやうな雲
  • 秋はきいろい丘 海坂より低い丘
  • 秋晩れていまははたはたとばぬ丘
  • 秋はほそみちまむかうに日の没つる径
  • 秋の壁白ければ目で鳥を描く
  • 暗がりに坐れば水の湧くおもひ
  • しづけさはきみあけぼののごとく坐る
  • かなしさはきみ黄昏のごとく去る
  • 恋びとは土竜のやうにぬれてゐる
  • 黄昏は枯木がぬいだ白いシャッポ
  • 黄昏は枯木が抱いてゐる竪琴
  • 黄昏は枯木むかうをむいて去る
  • 沼をみる背に灰色の都市を負ひ
  • 枯原の風が電車にまつてくる
  • 冬の日は墜ち一ぽんの葦のこる
  • 枯葦を眸につめこんでたちもどる
  • 灯よ氷柱は闇の中にある
  • 三日月よ けむりを吐かぬ煙突
  • やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ
  • 灯はちさし生きてゐるわが影はふとし
  • 靴音がコツリコツリとあるランプ
  • 銃声がポツンポツンとあるランプ
  • このランプ小さけれどものを想はすよ
  • 藁に醒めちさきつめたきランプなり
  • 戞々とゆき戞々と征くばかり
  • 秋風のまんなかにある蒼い弾痕
  • 断雲よ地にあるは十五糎榴弾砲
  • 秋ふかく飯盒をカラカラと鳴らし喰ふ
  • まつかうに雲耀かせ強行渡河
  • 鱗雲 流れ弾きて流れたり
  • 雨あかくぬれてゐるのは手榴弾
  • 繃帯の血のにじむ夜の雁鳴きわたる
  • 滾々と水湧きあつきわがいのち
  • 塹壕の腹がまつかにうねる雨
  • 蒼天のキンキンと鳴る釘をうつ
  • 寒月のわれふところに遺書もなし
  • 湖はしんしんとある空中戦
  • 向日葵の貌らんらんと空中戦
  • 罌粟の花うつうつとある空中戦
  • 眼底に塹壕匍へり赤く匍へり
  • 耳底に紅い機銃を一つ秘む
  • 網膜にはりついてゐる泥濘なり
  • 胸底に灰色の砲車くつがへる
  • めつむれば虚空を黒き馬をどる
  • 掌が白い武漢の地図となる
  • 吾はなほ生きてあり山河目にうるむ
  • 砲音の輪の中にふる木の実なり
  • 赫土は弾子と木の実ころがせり
  • 茫々と馬哭きければふる木の実
  • 梅干の紅が眼にしむ枯野なり
  • 梅干は酸ゆく流弾こそばゆし
  • 流弾に噛んで吐き出す梅のたね
  • 困憊の日輪ころがしてゐる傾斜
  • 蒼茫と風の彼方に雲あつまり
  • 幻の砲車を曳いて馬は斃れ
  • 彷徨へる馬郷愁となりて消ぬ
  • 一木の凄絶の木に月あがるや
  • 眼を貫くはしろがねのすすきの穂
  • 戦闘はかくまで地のつめたさよ
  • 戦闘はわがまへをゆく蝶のまぶしさ
  • 一輪のきらりと花が光る突撃
  • 雲ながれ 雲がながれる不発地雷
  • めつむれば祖国は蒼き海の上
  • 息つけば東洋の雲といへるが飛び
  • 風錯落錯落とある焚火かな
  • 焚火してあるとき蒼き海となる
  • 蛇よぎる戦にあれにわがまなこ
  • 沛然と雨ふれば地に鉄甲
  • 弾々を担う激怒の雲炎く
  • 地雷まろまろほりおこしたる雲の冷たさ
  • 兵燹をみるあめつちにわれひとり
  • 草の香よ愛慾とへだたれるかな
  • 魚光り老文明は冲積せり
  • 回想は鶴要塞をかがやき翔び
  • 執着の砲座は昼の月のこし
  • 陽炎の砲身迂愚の裸となる
  • 要塞と烟と瓜の蔓からまり
  • 江光り艦現実を遡る
  • 鐘つけば春雨の音鐘の音
  • 壁くらく「月落」の詩につきあたる
  • 石刷りの墨の匂のあまき雨
  • 雨ほそく魚板の魚は瞳をつむる
  • 空想の水平線の花雌蘂
  • 花粉の日 鳥は乳房をもたざりき
  • 花粉とぶ倫理は水とながれたり
  • 葩散りて赤い傷ふくわが季節
  • 春睡はしろき花粉をみなぎらし
  • 日溢れ腹のおもたき魚およぐ
  • 窓あけて虻を追ひ出す野のうねり
  • チユウリツプこの日五月の日傘さす
  • 風光る蝶の真昼の技巧なり
  • わが日記尺取虫は壁を匍ふ
  • 炎天に蒼い氷河のある向日葵
  • 鶏交り太陽泥をしたたらし
  • 陽炎はぬらぬらひかる午後のわれ
  • 日に吼ゆる鮮烈の口あけて虎
  • 揺れてくる鵞鳥 緑の焔の風景
  • けだものに樹林の蒼の烟が匍ふ
  • 黄昏れてゆくあぢさゐの花にげてゆく
  • 蛇となり水滴となる散歩かな
  • 鶴渡る大地の阿呆 日の阿呆
  • 豹の檻一滴の水天になし
  • 白日の麦の穂はなぜ痒いのか
  • 海鳥は絶海を画かねばならぬ
  • 蒼海が蒼海がまはるではないか
  • 雲 雲は かの花びらは崩れたり
  • 太陰のをんなのしづかなる暴風
  • 蝶ひかりひかりわたしは昏くなる
  • はたはたの赤い風車の花のまぼろし
  • 黴の花イスラエルからひとがくる
  • 詩枯れて雲搏つしろき秋の鶏
  • 詩涸れて蒼天の石掌に焦げる
  • 詩空し河床に炎える牛一つ
  • 青き虫匍ふ地の底に立つ火ばしら
  • 炎天の巨きトカゲとなりし河
  • 藻の花がさく人閒に流離あり
  • 鱗雲かの澎湃と湧く魚群
  • 喨々と断雲が吹きならすラッパ
  • 赤い花買うふ猛烈な雲の下/p>
  • 朝焼の汚れた雲を洗濯する
  • 帆柱の雲を倉庫へ積み上げる
  • 河涸れて雲を搬んでゆく車
  • とある夜は呼吸とめてきく長江の跫
  • 民族の郷愁 鶏を焼くにほひ
  • 黄風にとほく家鴨を裸にす
  • 水車ふむ悠久にして黄なる地
  • 銅幣を掌にうらがへしたる日輪
  • 烈日を溶かさんと罌粟をさかしむる
  • 瓜を啖ふ大紺碧の穹の下
  • 落葉松の葉のふりしきるとき陽の箭
  • 冬日呆 虎陽炎の虎となる
  • 凝然と豹の眼に枯れし蔓
  • 日に憤怒る黒豹くろき爪を研ぎ
  • 馬馳ける冬まんだらの雲の影
  • 寒雷や一匹の魚天を搏ち
  • からたちの冬天蒼く亀裂せり
  • 枯葦の月の罅けゆく影ばかり
  • 海昏るる黄金の魚を雲にのせ
  • 草原のたてがみいろの昏れにけり
  • ひたひたと肺より蒼き蝶の翅
  • 蜂の巣に蜜あふれる日のおもたさ
  • 早春の鶴の背にある光の輪
  • 鉄の門の錆びたれば山脈青かりき
  • 木々の芽のしづかなるかな蒼空の音
  • むらさきの花咲きてより雫せり
  • もくせいの夜はうつくしきもの睡る
  • この宵のおぼろなるもの頬にあり
  • かんかんと鐘なるときの花の澪
  • 影はただ白き鹹湖の候鳥
  • 灯を消してああ水銀のおもたさよ
  • 絶壁のわんわんと鳴るとき碧落
  • 地の果の風の涯なる炎の櫟
  • 落日のしづかにうごく雲の鰭
  • 冬がくる火を噴く山は火を噴かしめ
  • 雪ふれば雪のしづかにふる裸
  • 冬天に牡丹のやうなひとの舌
  • 冬薔薇神をおそれぬ瞳よ唇
  • 屋根屋根はをとこをみなと棲む三日月
  • 木枯のひとは奈落に灯を抱き
  • 雪をきく瞳にくれなゐの葩を灯し
  • 雪晴れのひたすらあふれたり微笑
  • 冬日閑々とおもきみどりの油垂れ
  • 冬天の黒き金魚に富士とほく
  • 冬蝶のひそかにきいた雪崩の響
  • 風雪の火焔めらめらはしる雉
  • 風すさぶ夜は孤島と目を醒むる
  • 鳥のゐて木々明暗に跫もなし
  • 鳥うせて烟のごとく木の枯るる
  • 冬の川キンキンたればふところで
  • 雪つもる夜は深海の魚となる
  • 夕風の馬も女も風の中
  • 牡蠣うまし大焼雲を眉間にし
  • 妻は湯にわれのは濃ゆき冬夕焼
  • 藻を焚けば烈しき鳥は海へ墜つ
  • 火を焚いてつんざくものの跫をきく
  • リンリンと冬 灰鳥の張るつばさ
  • 冬波に向へばあつきわがめがしら
  • 冬波に背けば炎き常陸山脈
  • 月のふる夜は木の葉の翳に棲む
  • 雨けむる夜は花弁と閉ぢてあり
  • 花のちる夜はけだものと地を嗅ぐ
  • 雲の水掬めば凛冽たる季節
  • 葦枯れて山脈キシキシとあとずさる
  • 秋の鶏馳ければへらへらと白焔
  • ゆく雲はくろい運河の秋の雲
  • 蝋涙やけだものくさきわが目ざめ






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