目次
昭和六年——百二十三句——
新年
- 船のりの起臥に年立つ故山かな
- へんぽんと年立つ酒旗や売女町
- 街路樹に旧正月の鸚鵡籠
- 一管の笛にもむすぶ飾かな
- 雲ふかく蓬莱かざる山廬かな
- 初鍬や下司がもちたる大力
- わらんべの溺るゝばかり初湯かな
春
- 山坂や春さきがけの詣で人
- 春浅き山の貯水池舟泛ぶ
- 大和路や春たつ山の雲かすみ
- 海に山に雲白妙の春たちぬ
- 春宵の枕行燈灯を忘る
- 春の夜をはかなまねども旅の空
- 四ツ橋やどろ舟遅々とはるの昼
- 冱えかへる山ふかき廬の閾かな
- 春さむく尼僧のたもつ齢かな
- やまぐにの古城にあそぶ余寒かな
- 春寒や墓濡れそぼつ傘のうち
- 春寒くなみだをかくす夫人かな
- 温泉げむりに別府は磯の余寒かな
- 燭光のこゝにはなやぐ余寒かな
- きさらぎの門標をうつこだまかな
- きさらぎの凭る手炉ぬくき旅泊かな
- きさらぎの一夜をやどる老舗かな
- 啓蟄のいとし児ひとりよち/\と
- 別かれんとかんばせよする朧かな
- 夜をこめて東風波ひゞく枕かな
- 春霜や東行庵の片びさし
- ふるき代の漁樵をおもふかすみかな
- からたちの雪解ぐもりに佇つ婢かな
- 扇山むら雲すぐる雪解かな
- 雪解して大和山々日和かな
- 騒人や凍解ふみて山登り
- 春愁や派手いとへども枕房
- 酒つげば緒口がつてんす春燈下
- 月影に種井ひまなくながれけり
- 草萌や詣でゝ影す老の者
- 春泥に影坊二つあとやさき
- いたどりの葉の斑ざしたる蛇籠かな
- 芹汁や朱ヶ古りたれどめをと膳
- 渓流のをどる日南や竹の秋
- 老鹿にひともと樹ちの芽楤
- 朴芽だつ山おもてなる嵐かな
- ゆく雲に野梅は花のなごり哉
- 棕櫚の葉のかゝりて梅の若木かな
- 草庵や花うるみたる梅一樹
- をりもちて木瓜ちりつゞくみづ枝かな
- 神山や風呂たく煙に遅ざくら
- ちる花のあはたゞしさよ昨日今日
- 深山みち風たつ花の名残かな
夏
- 夜の秋や轡かけたる厩柱
- 大陶壺さす花もなく梅雨入かな
- 雲ふかき筍黴雨《タケノコツユ》の後架かな
- 大南風をくらつて尾根の鴉かな
- 峡とほく雲ぬく峰や日の盛り
- 夏山や常山木《クサギ》の揚羽鴉ほど
- 夏山の葛風たゆる時のあり
- 深草のゆかりの宿の端午かな
- 七夕のみな冷え/\と供物かな
- 梶の葉に二星へそなふ山女魚
- 草市の人妻の頬に白きもの
- なつまけの足爪かゝる敷布かな
- 忌中なる花屋の青簾かゝりけり
- 雲水もともに仮泊や青すだれ
- 月さして燠のほこ/\と鮎を焼く
- 蟻いでゝ風薄暑なる杣の路
- 蠅まふて小昼時なる出立ちかな
- 河岸船の簾にいでし守宮かな
- たかんなをさしかつぎしてつゆしげき
- 風波をおくりて深き蓮の水
- 葉裏よりおちたる蜘蛛や蓮の水
秋
- 立秋の廂みせたる杣家かな
- 秋たつや川瀬にまじる風の音
- 口紅の玉虫いろに残暑かな
- 閼伽桶に秋暑の華のしづみけり
- さかゆきのにほへるほどの残暑かな
- 簾捲く月の渺たる磯家かな
- 宵闇や竈火に遠き蔵びさし
- 山なみに高嶺はゆがみ秋の空
- 杣の火にゆく雲絶えて秋の空
- 雲漢の初夜すぎにけり磧
- くづれたる露におびえて葦の蜘蛛
- 山びこに耳かたむくるかゝしかな
- 山田なる一つ家の子の囮かな
- 秋蚕糸干しさらさるゝ次第かな
- よろ/\と尉のつかへる秋鵜かな
- 磐石をはしれる水の石たゝき
- 菊のちり打つべくもなくかゝりけり
- ゑびかつら露とむる葉の染まりけり
- 折りとりて花みだれあふ野萩かな
冬
- 浪々のふるさとみちも初冬かな
- 苫寒く星座の浸る汐かな
- 閨房の灯の寒む/\と暁けにけり
- 霜月や坐辺の厭きぬおもひごと
- 極月やかたむけすつる桝のちり
- 極月の竈火みゆる巷かな
- 常盤木の葉のてら/\と冬日かな
- 冬晴や杭ゼの禽を射ておとす
- こゝろえて緒口とる雪の宴《ウタゲ》かな
- 牧岡の神代はしらず雪曇り
- 雪ふかく足をとゞむる露井かな
- 神山や霽れ雲うつる雪げしき
- 詣路や木々の古実の雪まじり
- 古りまさる雪の籬とおぼえたり
- 小柴門出入のしげき深雪かな
- 雪おちて屋をゆるがす天気かな
- 風花や登山賽者の女夫づれ
- 北風やほとけの足のぶうらぶら
- 松風にきゝ耳たつる火桶かな
- 燠のつよく夜を徹したる焚火かな
- 温石の抱き古びてぞ光りける
- 冬耕の牛を率《ヰ》てうつ小鞭かな
- 君の酌こは恐縮やふぐと鍋
- ふぐ食ふてわかるゝ人の孤影かな
- 鰒鍋や酔はざる酒の一二行
- ちりひぢの袖のふるびや寒念仏
- 寒鯉のあらはの鰭や古盥
- 枯くさのながるゝもあり深山川
- 枯蓮のつひながるゝよ小沼尻
- ほそ/″\と枯葦揃ふ古沼哉
- 樹のうろの藪柑子にも実の一つ
- 見下して滝つぼ深き冬木かな
昭和五年——九十一句——
新年
- 年たつや旅笠かけて山の庵
- 山国の年端月なる竈火かな
- はなやぎて煙れる注連や竈神
- 緑濃き子ノ日の小松打ち眺む
- おとゝいに廬の古道や若菜つむ
- やまびとや採りもつ歯朶も一とたばね
春
- 春ふかきぬばたまの夜の枕もと
- ゆく春のこゝろに拝む仏かな
- 春愁や浄机の花の凭れば濃き
- 花紅く草みどりなり煙柳忌
- 野に山に白雲ゆくよ煙柳忌
- 椿寺雲ふか/″\と魚板鳴る
- いちじるく岨根の椿咲き初めぬ
- 陋巷の侏儒に咲ける椿かな
夏
- 紺青の夜涼の空や百貨店
- 法廷に月影さして夜涼かな
- 印籠にありて微涼の薬餌かな
- 風炉茶やきげんとはるゝ山長者
- 薬猟や八百重の雲の山蔽ふ
- さばかゝる女難の顔のあせぼ哉
- 香水や眼をほそうして古男
- 五色縷のたれもたれたり肘枕
- 納涼やつまみてむさき君の櫛
- 遠泳やむかひ浪うつ二三段
- 負馬の眼のまじ/\と人を視る
- 匂はしく女賊の扇古りにけり
- 豪華なる女犯《ニヨボン》の扇なぶりけり
- おはしたや墓参のむせぶ香煙り
- 食禄をすてし墓参のやからかな
- 宵盆や幽みてふかき月の水
- 山川に流れてはやき盆供かな
- この秋は何葉にそへん盆供かな
- 紫蘇の葉や裏ふく風の朝夕べ
秋
- 旅人や秋に後るゝ雲と水
- 秋ぐちのすはやとおもふ通り雨
- 仏壇や夜寒の香のおとろふる
- 霜降の陶ものつくる翁かな
- 飄として尊き秋日一つかな
- 旅人に秋日のつよし東大寺
- 野祠に秋日のほめくあたりかな
- たちいでゝ身にしみ/″\と秋日かな
- 滝上や大瀬のよどむ秋曇り
- 野分つよし何やら思ひのこすこと
- 庵の露木深く月の虧けてより
- 畠中や露干る笠の裏返し
- 湖霧も山霧も罩むはたごかな
- 霧さぶく屋上園の花に狆
- 小筧や敦盛塚の秋の水
- この秋や百穀みのる田面節
- しほ/\と飾られにけり菊雛
- 鹿垣や青々濡るゝ蔦かづら
- さるほどに弓矢すてたるかゝしかな
- やがて又下雲通る案山子かな
- 風雨やむ寺山うらの添水かな
- 月遠き近江の宿の夜食かな
- 月虧けて山風つよし落し水
- うばたまの夜学の窓をあけし儘
- 山がつに雲水まじる夜学かな
- 解夏草をむすびてかたし観世縒
- おきな忌や茶羽織ひもの十文字
- 老鹿の眼のたゞふくむ涙かな
- 岳々と角ふる鹿の影法師
- 秋蠅や人丸庵の飯《イヒ》にとぶ
- いくもどりつばさそよがすあきつかな
- 螽焼く燼のほこ/\と夕間暮
- 菊さけば南蛮笑ふけしきかな
- 茅ほけて薊花濃し畦づたひ
- 秋茄子の葉と花を干す莚かな
- 霧こめて日のさしそめし葛《カツラ》かな
- 葉鶏頭遅速もなくて日和かな
- 粟枯れて隣る耕土の日影かな
- ほけし絮の又離るゝよ山すゝき
- 折りとりてはらりとおもき芒かな
- 苅籠に穂はちり/″\のすゝきかな
冬
- 行く年や冥土の花のうつる水
- 山路見ゆ滝川ごしの冬日和
- 冬風に誰が干しものゝみだらなる
- 深山木の梢の禽や冬の霧
- 冬霧や漁人の笠の古るびやう
- 行く雲や霰ふりやむ寺林
- 玉あられ風夜半を過ぐ梢かな
- 痩馬にひゞきて雪の笞かな
- 冬服や襟しろ/″\とつゝがめく
- 一二泊して友誼よき褞袍かな
- 昨今の心のなごむ褞袍かな
- 鰌掘る火のあらはなる炎かな
- 落月をふむ尉いでし神楽かな
- 飄々と雲水参ず一茶の忌
- わざをぎに更闌けし灯や近松忌
- 杣山や鶲に煙のながれたる
- 浪際や茶の花咲ける志賀の里
昭和四年——八十八句——
新年
- 悔いもなく古年うせる佗寝かな
- 表具師や松もすぎたる小炉持つ
- 酒ほがひ倦みつかれたる睦月かな
- 正月の玉の日和のいらか哉
- 苑の端の木立おもてや初がすみ
- 初がすむ灘見わたせる田廬かな
- 聴きとむやゆかりの宿の初皷
- 大殿や夜ふかくありて初つゝみ
- 二三文いれたる銭や春袋
- 慾無しといはるゝ君や春袋
- ぬひあげて天地袋に薫す
- 嫁がばと天地袋を縫ふや君
- 粛として閨中の灯や花がるた
- 花がるた夜々のおもゝち愁ひあり
春
- 早春の日のとろ/\と水瀬かな
- 春たつや山びこなごむ峡つゞき
- 忘るなき春立つ峡の瀬音かな
- 渓橋に見いでし杣も二月かな
- きさらぎの墨滓固き硯かな
- 如月の大雲の押す月夜かな
- 春さむき月の宿りや山境ひ
- ゆくほどにかげろふ深き山路かな
- 月の戸に山風めぐる雪解かな
- 大硯をひかへし宿の雪解かな
- ほど遠く深山風きく雪解かな
- 巌苔もうるほふほどの雪間かな
- 古めきて月ひかりいづ焼野かな
- 焼原や風真昼なる影法師
- 春愁のまぼろしにたつ仏かな
- 天気よき水田の畔を焼きはじむ
- 山鴉遠くこたへて百千鳥
- わらんべの猟矢に雁も名残かな
- 撃ちとつて艶なやましき雉子かな
- 鮠かふや水引草咲ける槻のもと
- 雨降るや鮠ひるがへる池の底
- 春蘭の花とりすつる雲の中
- 苅籠やわけて虎杖いさぎよき
夏
- 後架にも竹の葉降りて薄暑かな
- 入梅や墓さむげなる竹のつゆ
- 露涼し鎌にかけたる葛の蔓
- 空蝉をとらんと落す泉かな
- 首なげて帰省子弱はる日中かな
- 似もつかぬ白装束の更衣
- 夏帽に眼の黒耀や恋がたき
- 蕭牆《セウジヨウ》のうれひにいだく竹奴かな
- おもざしのほのかに燈籠流しけり
- 雲ふかく結夏の花の供養かな
- 水向や貧一燈につかまつる
- 年寄りて信心かたし生身魂
- 巷間の花買はゞやな柘亭忌
- 谷雲に夏鶯は枝のさき
秋
- 墓に木を植ゑたる夢も初秋かな
- ともに寝て一とね夜ながき燈下かな
- はしり火に茶棚のくらし冬隣
- 秋の日や草臥れ足の一葉ふむ
- 秋風や水薬をもる目分量
- 秋霖や蕨かたむく岨の石
- 高西風に秋闌けぬれば鳴る瀬かな
- 秋の蚊帳になみだをさそふ寝ざめかな
- 秋扇の骨あら/\し小十本
- 秋の繭しろ/″\枯れてもがれけり
- 新渋の一壺ゆたかに山廬かな
- 送行の雨又雲や西東
- 秋猫の目の糸ほどに恋ひわたる
- 茨の実や大夕焼も野渡の景
- とりもちて蕃椒枯れそ唐錦
- 雲霧や岳の古道柿熟す
- 山がつの枝柿結ぶかづらかな
- 爪たてゝ山柿《タネナシ》しぶし麓路
- 杣山や高みの栗に雲かゝる
- 橡の実の山川まろぶひとつ哉
- とちの樹のもみづるほどにおつ実かな
- 蕈《クサビラ》と青柚と橡の実を一つ
冬
- 小雪や古りしだれたる糸桜
- 寒ン風呂に上機嫌なる父子かな
- 冬暖の談笑痴者をなみしけり
- 冬雲や峰木《オネギ》の鴉唖々と鳴く
- 藪なかや朽ち垣ぬらす初時雨
- 雪みえて雲ぬく岳の日和かな
- 冬かすむ鳶の鳴くなり五百重山《イホヘヤマ》
- 冬川や宿雨うちやむ岩だゝみ
- 冬水や日なた影玉うつりつゝ
- 体業《ガウタイ》のひそかにつらし狩疲れ
- 日向ぼこまた爪をかむ継子かな
- 寂として座のあたゝまる火鉢かな
- なきがらのはしらをつかむ炬燵かな
- 山がつや貉しとめし一つだま
- 野鶲のすこし仰向く風情かな
昭和参年——百二十三句——
新年
- 炉がたりも気のおとろふる三日かな
- なつかしき睦月のちりやすゞり筥
- 小正月寂然として目をつむる
- 上元や游行をとゞむ邸内
- いんぎんにことづてたのむ淑気かな
- 宿院の世に古る炉辺の飾りかな
- あな醜の脂粉めでたき女礼
- 初弓や遠く射かけてあやまたず
春
- 春暁の船にだにある枕かな
- 冴え返る精舎の春の雲井かな
- 雲に鳶富士たかき日の冴返る
- 清明の路ゆく媼が念珠かな
- ゆく春の月に鵜のなく宿りかな
- 物乞のわたりてかすむ渡頭かな
- 切株や雪解けしたる猿茸
- 山寺や花さく竹に甘茶仏
- 蚕をめづるほどによりそふ妹背かな
- そのかみの産土神《ウブスナ》しろす蚕かな
- 蚕屋の閑まちわぶ蝦夷のくすしかな
- どんぼりの日光あらし蝌蚪の春
- 蝶颯つと展墓の花を搏ちにけり
夏
- 夏めくや霽れ雷の一つぎり
- 草鞋して夏めく渡舟去る娘かな
- 夏立つや禿山すかす不浄門
- 麦秋や痩馬牽きて長手綱
- 夏の雨花卉あらはなる磯家かな
- 夏風や竹をほぐるゝ黄領蛇《サトメグリ》
- 荊棘に夏水あさき野沢かな
- 山泉杜若実を古るほとりかな
- 観瀑や風に流るゝ石たゝき
- 誰としる人声遠し夏館
- くちつけてすみわたりけり菖蒲酒
- 帰省するふるさと道の夜市かな
- わが好む白ふんどしの裸かな
- かたびらや汗ひえ/″\と座にたゆる
- 手弱女の目のなまめきや暑気下し
- 香薷散保養の月におこたりぬ
- 山の戸や古白靴もものゝかず
- いかなこと動ぜぬ婆々や土用灸
- 駅路やうしろほめきに宵花火
- わがことの繭もぎ飽かぬ媼かな
- 藺を刈るやうすはかげろふ笠につく
- 古家や冷奴おごりならねども
- 肱枕そらねがくりと夜涼かな
- 腹這ひにのみて舌うつ飴湯かな
- うろくづに雨降りしづむ盆供かな
- 蓮の葉にかさみておほき盆供哉
- たくらくと茄子馬にのる仏かな
- 御墓参のなみだをかくす故山かな
- 香煙や一族まゐる藪の墓
- 郭公に耳かす齋《トキ》や山の坊
- 渓風のほたる火見する芹生かな
- 滝しぶきほたる火にじむほとりかな
- 深山木に雲ゆく蝉の奏べかな
- 桑巻いて昼顔咲かぬみどりかな
- 竹落葉渓の苔岩乾るまなき
- 霽れや夏木おもての雲がゝり
- 垣薔薇の売女《バイタ》に匂ふ旦暮かな
- 野茨に虻とる雨雀かへり見す
- 畑草や青酸漿もみのり時
- 竹の実に寺山あさき日ざし哉
秋
- ほど遠き秋暁け方の雞《カケロ》かな
- つゝぬけに裏戸の花卉や秋の昼
- 秋の昼一基の墓のかすみたる
- 秋夕やかへりみすなる小女房
- 杣人の頬ひげあらし残暑どき
- 一つ家や夜寒餺《ハウ》飥《タウ》すゝりあふ
- 爽かに日のさしそむる山路かな
- ゆく秋の粟食むすゞめ羽を拡ぐ
- 澄みそめて水ナ瀬のしぶく秋日かな
- 石橋や秋日のほめく杖のさき
- 風をいたむ観月づれの句弟子かな
- 新月に牧笛をふくわらべかな
- 粥炊くや新月すでに光りそむ
- 秋の風枕の塵もとめあへず
- 秋風や浪にたゞよふ古|幣《ニギテ》
- 秋雨に賤が身をよす硯かな
- 誰もゐぬ露けき囚のぞかれぬ
- 霧雨や旅籠古りたる山境ひ
- 秋山や草むら浅き焚火屑
- 帝展見秋たゞ中の学徒かな
- 蚊帳の別れ㡡果てゝ夜の具嵩なくふまれけり
- 門前の山彦かへす砧かな
- のむほどに顎したゝる新酒かな
- 耳遠く目のかすみたる案山子かな
- 落し水|田廬《タフセ》のねむる闇夜かな
- 稲刈や秋のかげろふ笠の端
- 刈る程に山風のたつ晩稲かな
- 時雨忌やお仏飯の微光みそなはせ
- 湖舟忌や月の雨ふる竜松寺
- 藪の樹や見られて鳴ける秋の蝉
- 普陀落や竹にやどかる秋蛍
- 夕風や垂穂にあるく片鶉
- 旅人に行きそふ駄馬や葛の秋
- うら枯れて雲のゆく衛や山の墓
- 篠原や日あたる蔦のむらもみぢ
- 菌山に風たつ道の栞かな
- 紅葉見のやどかるほどに月の雨
- 泉底にしきなす木の葉木の実かな
- 吹き降りの淵ながれ出る木の実かな
- 草籠に実の唐めきし茨かな
- 団栗に八専霽れや山の道
- 榛に田子の威しのよき音かな
冬
- 冬暖や霧ながれたる小柴垣
- 冬尽のふけかきこぼす頭かな
- 冬晴れや次ぐ訪客にゆめうつゝ
- 黒坂やしぐれ葬の一つ鐘
- 時雨来やわらびかたむく岨の石
- 山平ラ老猿雪を歩るくなり
- かる萱の凍雪とけし穂枯かな
- 二三尺雪つむ軒や猿肉屋
- 古雪や自然薯蔓の垣を垂る
- ひた/\と寒九の水や厨甕
- 家守りて一巻もとむ暦かな
- 月雪や古りに古りたる掛暦
- いたつきや芭蕉をゆめむ冬座敷
- 足のべてこだはりあつき湯婆かな
- 陶器舗のあたりの幽らむ炭火かな
- もえたけて炎《ホムラ》はなるゝ焚火かな
- 冬の蠅ほとけをさがす臥戸かな
- 寒釣や腰に固めし餌胴乱
- 八ッ霽れや神の留守なる麓原
- 昔斎忌月またしぐることの由
昭和弐年——百〇二句——
新年
- 聖芭蕉かすみておはす庵の春
- 火を焚いて浦畠人の睦月かな
- 野社へお降り霽れや夕まゐり
- 鍬初の雨ふり出でし幣《ニギテ》かな
- 恋々とをみなの筆や初日記
- 人の着て魂なごみたる春着かな
- 春なれて姫の夜を縫ふ小袖かな
- 織初や磯凪ぎしたる籬内
- 端山路や曇りて聞ゆ機初め
- 草の戸や白機初む十四日
- 眉剃りて妻の嬉々たる初湯かな
- 初湯出し肉《シシムラ》湯気をはなちけり
- 初山や高く居て樵る雲どころ
- 谷雲にそれて流るゝ破魔矢かな
- 破魔弓や山びこつくる子のたむろ
- 翠帳につらぬきとめし破魔矢かな
- 汁なくて厭き/\くらふ雑煮かな
- 玉夜床《タマドコ》の悪鬼をはらふ卯槌かな
春
- 寒明けの幣の浸りし泉かな
- 暖かや仏飯につく蠅一つ
- 山マ水のいよ/\清し花曇り
- くだかけの鳴きつぐ庵の雪解かな
- やうやくに雛餅干ぞる旦暮かな
- たかどのに唯ある春の炬燵かな
- 母の乳のしぼみ給へる種痘かな
- 開帳の破れ鐘つくや深山寺
- 霽《アマバ》れのなごりひばりや山畑
- 一つ浮く蝌蚪とゞまりし水面かな
- 蚕傭のものかけてねる飼屋かな
- 垣津田や宿水《ネミヅ》にうきて田螺がら
- 山藤の風すこし吹く盛りかな
- 尼寺や卯月八日の白躑躅
- 春蘭や巌苔からぶけしきにて
- いばら野や盛りとみゆる山桜
- 池の面にはらりとしたる柳かな
夏
- 小枕に仮りねのさむき御祭風かな
- 夕立や水ナ底溯る渓蛙
- 蚊とんぼの袖にとりつく滝見かな
- 苔の香や笠着てむすぶ岩清水
- 岸にうつ泳ぎの波や大夕焼
- 鍼按の眼のみひらけぬ浴衣かな
- すはだかに熟睡したる籐椅子かな
- たちよれば笞を舐ぶる汗馬かな
- はつたいをふくみて姥のかごとかな
- ときじくのかぐの木の実や聖霊棚
- 殪《オ》つさまにひかりもぞする蛍かな
- 青蜥蜴さます嫉妬のほむらかな
- 桟《カケハシ》や荒瀬をこむる蝉しぐれ
- 庖厨や鉢朝顔の実をむすぶ
- 花闌けてつゆふりこぼす牡丹かな
秋
- 秋やこの後架を旅のうたごゝろ
- 白猫やとかげ喰うてふ閨の秋
- 秋の鷹古巣にかへる尾上かな
- 秋ぐちの庭池の扉や月の雨
- 文月や田伏の暑き仮り厠
- 峡底の穂家秋あつき調度かな
- 盆過ぎやむし返す日の俄か客
- 秋の日の時刻ををしむ厠かな
- 月影や榛《ハシバミ》の実の枯れて後
- 死骸《ナキガラ》や秋風かよふ鼻の穴
- ひるを臥て展墓のゆめや秋の風
- 秋がすむ松や古竹や屋敷神
- 滝壺や人のたむろす秋日和
- 秋雨や田上ミのすゝき二穂三穂
- 秋雨や礼容客におのづから
- 雲ン間に秋雪みゆる旅路かな
- 情こはく秋雪をさすをんなかな
- 法廷や八朔照りのカンナ見ゆ
- 小角力や締込かたき臀《シリコブラ》
- 生キ死二のほかなる鳴子一二声
- 手をかゞむ白装束や秋の㡡
- 岩淵や棲める鶺鴒一とつがひ
- たましひのたとへば秋のほたる哉
- 寂寞と秋の蛍の翅をたゝむ
- みの虫をついばむ雞や燦として
- 炉におちしちゝろをすくふもろ手哉
- 邯鄲や日のかたぶきに山颪し
- 桔梗や又雨かへす峠口
- 吹き降りの籠のすゝきや女郎蜘蛛
- 垣間見し機たつ賤や秋桜
- 青々とかたちきびしき瓢かな
- 青瓢をめでゝ賢しき女かな
- 池籬や瓢すがるゝ蔓はなれ
- 葛の葉や滝の轟く岩がくり
- 叢《クサムラ》や吾亦紅咲く天気合ひ
- 瓢箪に先きだち落つる零余子かな
- ちるほどに谷あひ曇る紅葉かな
- あけすけに酔客見ゆる紅葉茶屋
- 観楓の風をいたみて精舎かな
- 山柿や五六顆おもき枝のさき
- なま/\と枝もがれたる柘榴かな
- 厭ふ手にもらひこぼるゝ棗かな
冬
- 谷川に幣のながるゝ師走かな
- 日をうけて寂たる寒ンの扉かな
- 外《ト》の月に庵春隣る浄机かな
- 積雪や埋葬終る日の光り
- やうやくに座のあたゝまる屏風かな
- 炉隠しや古股引の懸けながし
- 鶲きて棘つゆ唫む山椒かな
- あけすけに枯茎潰ゆる蓮かな
- 野阜《ノヅカサ》や一と株の茶の花ざかり
- 落葉すや神憑く三ッの影法師
大正拾五年(昭和元年)——六十九句——
新年
- 歳旦や芭蕉たゝへて山籠り
- 鳥追や顔よき紐の真紅
春
- 早春や庵出る旅の二人づれ
- かへりつく庵や春たつ影法師
- 春北風樒さしたる地にあらぶ
- 山風にながれて遠き雲雀かな
- 風呂あつくもてなす庵の野梅かな
夏
- 夏旅や俄か鐘きく善光寺
- 夕雲や二星をまつる山の庵
- 盆市の一夜をへだつ月の雨
- つかれ身の汗冷えわたる膚かな
- さるほどに泣きごゑしぼる音頭取
- ひしめきてたゞ一と時の墓参かな
- さゝぐるや箸そふ盆供手いつぱい
- 雲を追ふこのむら雨や送り盆
- 蕗薹忌もわれまた修す雲の中
- 火蛾打つや弑するとにはあらねども
秋
- ほこ/\とふみて夜永き炉灰かな
- 秋暑したてゝしづくす藻刈鎌
- ゆたか着のたもとつれなき秋暑かな
- 草籠に秋暑の花の濃紫
- 観月や小者|聖牛《ヒジリ》に灯をともす
- かけ橋やいざよふ月を水の上
- 宵やみの轡ひゞかす愛馬かな
- すた/\と宵闇かへる家路かな
- 秋風や笹にとりつく稲すゞめ
- 山霧や虫にまじりて雨蛙
- 秋山やこの道遠き雲と我
- 夜のひまや家の子秋の蟵がくれ
- 湖沿ひの闇路となりぬ稲車
- 月さそふ風と定むる子規忌かな
- 虫の夜の更けては葛の吹きかへす
- かりそめに土這ふ秋のほたるかな
- 秋蝉のひしと身をだく風情かな
- ひぐらしの遠のく声や山平ラ
- かな/\の鳴きうつりけり夜明雲
- 霧の香に桔梗すがるゝ山路かな
- 鉢蔦のみだれおちたる諸葉かな
- 園生より霧たちのぼる一葉かな
- 白紙にもらふ用意や唐からし
- 唐がらし熟れにぞ熟れし畠かな
- 秋は今露おく草の花ざかり
冬
- 三冬のホ句もつゞりて狩日記
- 年の瀬や旅人さむき灯をともす
- 極寒の塵もとゞめず岩ふすま
- 冬風につるして乏し厠紙
- 道のべや北風にむつみ女夫鍛冶
- みぞるゝや雑炊に身はあたゝまる
- 綿入や気たけき妻の着よそほふ
- 襟巻にこゝろきゝたる盲かな
- 襟巻や思ひうみたる眼をつむる
- 頸巻に瞳のにくらしや女の子
- 何にもかも文ンにゆだねぬ冬籠り
- 気やすさの炉火をながむる佗居かな
- 曳き舟の東雲はやき焚火かな
- 焚火すや雪の樹につく青鷹《モロガヘリ》
- 燃えおちて煙はたとなき藁火かな
- 小庵やとても榾火の下あかり
- すこやかに山の子酔へる榾火かな
- 雲にのる冬日をみたり仏山忌
- ほの/″\と師走月夜や昔斎忌
- 深山木に狩られであそぶ鶲かな
- 山しばにおのれとくるふ鶲かな
- はれ/″\と鶲のぼりし梢かな
- 山土の掻けば香にたつ落葉かな
- 神さびや供米うちたる朴落葉
- 茶畠や花びらとまる畝頭ラ
- 日にようて茶の花をかぐ命かな
- いく霜の山地日和に咲く茶かな
大正拾四年——七十一句——
新年
- 山寺や高々つみてお歳玉
- 億兆のこゝろ/″\やお歳玉
- 年寄りてたのしみ顔や絵双六
春
- たゞに燃ゆ早春の火や山稼ぎ
- ゆく春や松柏かすむ山おもて
- いき/\とほそ目かゞやく雛かな
- 野火煙や吹きおくられて湖の上
- 夜の雲にひゞきて小田の蛙かな
- はた/\と鴉のがるゝ木の芽かな
- 土くれや木の芽林へこけし音
- 焼けあとや日雨に木瓜の咲きいでし
- ちる笹のむら雨かぶる竹の秋
夏
- 温泉山道賤のゆき来の夏深し
- 山の温泉の風船うりや日の盛り
- つゆ蠅のからみもつるゝ石の上
- 汲みもどる谷川くもる梅雨かな
- 夏雲や山人崖にとりすがる
- 人うとき温泉宿にあらぶ雷雨かな
- 夏旅や温泉山でゝきく日雷
- 夏山や風雨に越ゆる身の一つ
- 山賤や用意かしこき盆燈籠
- 身一つにかゝはる世故の盆会かな
- 信心の母にしたがふ盆会かな
- 盆経やかりそめならずよみ習ふ
- 霊棚やしばらく立ちし飯の湯気
- 形代やたもとかはして浮き沈み
- 睡蓮に日影とて見ぬ尼一人
- はざくらや翔ける雷蝶一文字
- ねむの花ちる七月の仏かな
秋
- 筆硯わが妻や子の夜寒かな
- 秋風や思ひきつたる離縁状
- 秋虹をしばらく仰ぐ草刈女
- 一とわたり霧たち消ゆる山路かな
- 初猟の佳景日暮れや舟の上
- 山の戸やふる妻かくす秋の蚊帳
- うちまぜて遠音かちたる砧かな
- 山風にゆられゆらるゝ晩稲かな
- 無花果や雨余の泉に落ちず熟る
- をかしくば口やつねらん医者ころし
- むら雨に枯葉をふるふさゝげかな
- 憎からぬたかぶり顔の相撲かな
- 気折れ顔にく/\しさの相撲かな
- 臥て秋の一と日やすらふ蚕飼かな
- 秋の蚊や吹けば吹かれてまのあたり
- 山雲にかへす谺やけらつゝき
- せきれいのまひよどむ瀬や山颪
- 石垣やあめふりそゝぐ蔦明り
- 桔梗の咲きすがれたる墓前かな
- 山寺や斎《トキ》の冬瓜きざむ音
- 冬瓜にきゝすぎし酢や小丼
冬
- はつ冬や我が子持ちそむ筆硯
- 雲ふかく瀞の家居や今朝の冬
- 夜半の冬山国の子の喇叭かな
- 冬晴や伐れば高枝のどうと墜つ
- 冬凪ぎにまゐる一人や山神社
- 火屑掃くわが靴あとや霜じめり
- 雪見酒一とくちふくむ楽《ホガ》ひかな
- 遅月にふりつもりたる深雪かな
- 寒灸や悪女の頸のにほはしき
- 胴著きて興ほのかなる心かな
- 樏や吊られ廻りて雪日和
- 世過ごしや北窓塞ぐ山の民
- こもり居の妻の内気や金屏風
- 絵屏風や病後なごりの二三日
- 垣間見や屏風ものめく家の内
- かしづきて小女房よき避寒かな
- 障子あけて空の真洞や冬座敷
- 暖炉厭ふてゆたかなる汝が月の頬
- 山風に暁のなぐれや木兎の声
- 日に顫ふしばしの影や鶏乳む
- 雪天や羽がきよりつゝ鶏つるむ
大正拾参年——七十句——
新年
- 餅花や庵どつとゆる山颪
- 紙鳶吹かれかはるや夕曇り
春
- 早春の風邪や煎薬とつおひつ
- 早春の調度見かけぬ小窓越し
- 春あさき人の会釈や山畑
- 春の夜やたゝみ馴れたる旅ごろも
- 小野をやくをとこをみなや東風ぐもり
- 出代りの泣くも笑ふもめづらしや
- 水辺草ほの/″\燃ゆる野焼かな
- 芝焼のふみ消されたるけむり哉
- 花の種まき終りたる如露かな
- 畑中や接穂青める土の上
- 挿木舟はや夕焼けて浮びけり
- 人々の眼のなま/\し涅槃見る
- 浴仏にたゞよひ浮ぶ茶杓かな
- これやこのつむりめでたき野良蚕
- 草むらや虎杖の葉の老けそめて
- 一と叢の木瓜さきいでし葎かな
- 折らんとすつばき葉がちや風の中
- 花さそふ月の嵐となりにけり
- 山ぞひや落下をふるふ小柴垣
- ぬぎすてし人の温みや花衣
- 一屋の月雪花や思ふべし
- 廬煙りや竹秋の葉のちり/″\に
夏
- 門とぢて夜涼にはかや山住ひ
- 七夕の夜ぞ更けにけり几《オシマヅキ》
- たくましく婢の愁ひあるあせぼかな
- みめよくてにくらしき子や天瓜粉
- 人なつくあはれ身にそふ袷かな
- かたよりて田歌にすさむ女房かな
- 遠のきて男ばかりの田植かな
- 早乙女や神の井をくむ二人づれ
- とゝのへて打ち馴らしけり蠅叩
- もろともに露の身いとふ踊りかな
- 盂蘭盆の出わびて仰ぐ雲や星
- 送り火をはた/\とふむ妻子かな
- 訪客に又とぶ影や夜の蠅
- 山蟻のわくら葉あるく水底かな
- いちごつむ籠や地靄のたちこめて
- 愛着すうす黴みえし聖書かな
- 帽のかび拭ひすてたる懐紙かな
秋
- 秋旅や日雨にぬれし檜笠
- 転寝や庭樹透く日の秋半ば
- むら星にうす雲わたる初秋かな
- 鰯雲簀を透く秋のはじめかな
- 雲あひの真砂の星や秋の空
- われを見る机上の筆や秋の風
- 秋扇やつひ来なれたる庵の客
- 秋扇やさむくなりたる夜のあはれ
- ことよせて唄かく秋の扇かな
- 古りゆがむ秋の団扇をもてあそぶ
- 障子貼る身をいとひつゝ日もすがら
- ねんごろに妻子おもへり障子張り
- ゆく雲にしばらくひそむ帰燕かな
- 風さそふ落葉にとぶや石たゝき
- 山風や棚田のやんま見えて消ゆ
- たちつ居つ高麗人の見る秋蚕かな
- 花いそぐ秋は草々の夕日かな
冬
- わが事に妻子をわびる冬夜かな
- 冬暖の笹とび生えて桃畑
- 冬晴や担ひおきたる水一荷
- よく晴れて霜とけわたる垣間かな
- 帰りつく身をよす軒や雪明り
- なでさする豊頬もちて入営子
- 市人にまじりあるきぬ暦売り
- 昨今の風邪でありぬ作男
- 一と燃えに焚火煙とぶ棚田かな
- 冬籠日あたりに臥て只夫婦
- 破浪忌や花も供へず屏風立て
- 草枯や鯉にうつ餌の一とにぎり
大正拾弐年——六十九句——
新年
- 余寒の児吸入かけておとなしき
- 泉水に顔をうつすや花曇り
- 耕のせか/\するよ道境ひ
- 日のあつく塗畦通ふ跣足かな
- ひら/\と蛭すみわたる種井かな
- 春猫や押しやる足にまつはりて
- 昼月や雲かひくゞる山燕
- 手紙書く指頭そめたる蚕糞かな
- 老ひそめて花見るこゝろひろやかに
- 二三片落花しそめぬ苗桜
- 折りとりし花の雫や山桜
- 花ちりしあとの枯葉や墓つばき
- 夕日影せきて古簾や竹の秋
- 胡瓜苗ほけ土に出て双葉かな
夏
- 麦秋の蝶吹かれ居ぬ唐箕先
- 月いでゝ見えわたりたる梅雨入かな
- とかう見て梅雨の藪下通るかな
- 二タ媼梅雨に母訪ふ最合傘
- 簾外のぬれ青梅や梅雨あかり
- 衣桁かげ我よればなき梅雨かな
- なか/\に足もと冷ゆる梅雨かな
- 沢瀉の葉かげの蜘蛛や梅雨曇り
- 西晴れて月さす水や蚊遣香
- 虫干のあつめし紐や一とたばね
- 遠浅にむれてあまたの燈籠かな
- 燈籠や天地しづかに松のつゆ
- 子もなくて墓参いとへる夫婦かな
- 墓参人の帰りやながめられにけり
- 雨蛙とびて細枝にかゝりけり
- 蠅追ふや腹這ふ足を打ち合せ
- うち水にはねて幽かや水馬
- 抛げし蛾に一と揺りゆれて池の鯉
- 花桐に草刈籠や置きはなし
- 白蓮やはじけのこりて一二片
- 蓮濠やすでに日当る人通り
- 芝山の裾野の暑気やねむの花
- 桑の実の葉裏まばらに老樹かな
- 青梅のはねて浮く葉や夕泉
秋
- ひやゝかに蓑笠かけし湖の舟
- つらぬきて蟻塔の草の秋暑かな
- 十月の日影をあびて酒造り
- 秋日椎にかゞやく雲の袋かな
- たちいでゝ秋月仰ぐ山廬かな
- 名月や宵すぐるまの心せき
- みるほどにちるけはしさや秋の雲
- 秋雲をころがる音や小いかづち
- 露ざむの情くれなゐに千草かな
- 砧女にかの浦山のすゝきかな
- ゆく雲や燈台守の蟵の秋
- つぶらかに秋蠅とるやたなごゝろ
- 秋の草全く濡れぬ山の雨
- かよひ路にさきすがれたる野萩かな
- 政敵に芋腹ゆりて高笑ひ
- 晩稲田や畦間の水の澄みきりて
冬
- 足元に死ねば灯せる寒さかな
- 寒月や灯影に沍てん白柏子
- 枯紫蘇にまだのこる日や雪の畑
- 冬雷に暖房月をたゝへたり
- 冬水や古瀬かはらずひとすぢに
- 年木割かけ声すればあやまたず
- 炭売の娘のあつき手に触りけり
- 足袋はいて夜着ふみ通る夜ぞ更けし
- 百姓となりすましたる布子かな
- 胸像の月光を愛で暖炉焚く
- 焚火煙そこぞと眺められにけり
- 妻とがむ我が面伏せや榾明り
- あつものにかざしおとろふ榾火かな
- 蕎麦刈のひとり哭する夕日かな
- 朴落葉かさばりおちて流れけり
大正拾壱年——六十五句——
新年
- 太箸やいたゞいておく静心
- 雪の松ほの/″\として着初かな
春
- 春さむき新墓《アラキ》の雪や野の平ラ
- 街路樹に仰ぐ日顫ふ余寒かな
- 馬の耳うごくばかりや花曇り
- 春山や鳶の高さを見て憩ふ
- 薄月も夜に仰がれて挿木かな
- 蜆川うす曇りして水の濃き
- 梅園や誰もひろはず捨て扇
- 梅の月に焚き衰ふる藁火かな
- 青麦や古株の根に蔭もちて
- 木々の芽にかけ橋清き風雨かな
- ぱら/\と日雨音しぬ山椿
- 長橋におとろふる日や花堤
- 澄む水にみよしうごきて花吹雪
- 裸馬率ておとなしや花嵐
- 塗り畦にたんぽゝちかくありし哉
夏
- 馬車を出て舟を待つまや小夕立
- 夜明りに渦とけむすぶ鵜川かな
- 観衆にとけてあとなし花氷
- 燈籠やながれて早き蒲の川
- 逆汐に高々と浮く燈籠かな
- 水の日に浮きてゆられぬ藻掻竿
- めづらしやしづく尚ある串の鮎
- 月雪や萎みかさねて垣の薔薇
秋
- ひとり寝の身のぬくもりや秋の夜
- ひやゝかにのべたる皺や旅衣
- 秋分の時どり雨や荏のしづく
- 月の木戸しめ忘れたる夜風かな
- あき雨に澄む舟つきの砂崩れ
- 秋虹や草山映えて一とゝころ
- 谷橋に見る秋虹のやがて消ゆ
- 秋の雲しろ/″\として夜に入りし
- 山霧のしげきしづくや真柴垣
- 出水川とゞろく雲の絶間かな
- 降り凪ぎて日あたる巌や出水川
- つくり終へて門川越ゆるかゝしかな
- かゝし傘の月夜のかげや稲の上
- うちつけに冷えたる闇や秋の蟵
- 秋の繭煮えたちし湯や高はじき
- もちいでゝ身にそふ秋の団扇かな
- 帰省子やばつたり出逢ふ稲かつぎ
- 樽あけて泡吹かれよる新酒かな
- いとなみて月夜ばかりの子規忌かな
- 子規の墓に詣でごゝろや手をふれて
- せきれいに夕あかりして山泉
- 夜の客に翅ひゞかせて秋の蠅
- 松たかくながれ返りて夕とんぼ
- 秋の蜂巣をすてゝ飛ぶ迥かかな
- 吹き降りや稲田へ橋のゆきもどり
- 山陰や草穂まじりに稲の出来
- 雨に剪つて一と葉つけたる葡萄かな
- 曼珠沙華茎見えそろふ盛りかな
- 山の霧罩めたる柿の雫かな
- ほゝづきの大雫する籬かな
- うす霧に日あたる土の木の実かな
- 滝ぐちの蘭のしげりや雲這へる
冬
- めぐまんとする眼うつくし小春尼
- 舟べりの霜しづかなる水ノ面かな
- 霜芝や日影をあびて沓の泥
- 雪やんで月いざよへる雲間かな
- 鏡にふれて衣紋つくろへり黒ソフト
- 炉にあつき脛又うつや厭きごゝち
- 老ぼれて子のごとく抱くたんぽかな
- 水禽に流転の小首うちかしげ
大正拾年——三十二句——
夏
- 游泳やおぼるゝ水のかんばしき
- 音ひしと盤面をうつ蠅叩
秋
- わづか酔ふてさめざる姿態《シナ》や秋女
- 通る我をしげ/″\と見ぬ秋の馬
- はした女をうつ長臂や秋の夜
- 月をみる眇もちたる樵夫かな
- 明月に馬盥をどり据わるかな
- 霧罩めて野水はげしや黍の伏し
- 山霧のかんがり晴れし枯木かな
- 蚕部屋より妹もながめぬ秋の虹
- 稲扱く母にゑまひなげゆく一生徒
- 秋耕にたゆまぬ妹が目鼻だち
- 蠅つるみとぶ秋耕の焚火空
- ふなべりや上げ汐よする水燈会
- 廊の虫吹かれしづみて月夜かな
- むちうちて馭者喫驚す秋の蛇
- 一葉掃けば蚯蚓縮みて土の冷え
- 捕鼠器ひたし沈むる水や桐一葉
冬
- 玉虫の死にからびたる冬畳
- 寒ン日に面しゆく我や戎橋
- 雪つけて妻髪枯れぬ耳ほとり
- 空は北風《ナラヒ》地にはりつきて監獄署
- 汝が涙炭火に燃えて月夜かな
- 黒衣僧月界より橇に乗りて来ぬ
- ひとり住むよきゐどころや古炬燵
- をんな泣きて冬麗日の炬燵かな
- 炬燵あつし酒利きつもる小盃
- よる鴛鴦にかげふか/″\と雨の傘
- 旅馬車に渚又遠し冬木立
- 寒禽を捕るや冬木の雲仄か
- 寒林の陽を見上げては眼をつぶる
- 月のゆめを見しおもひ出や焚く落葉
大正九年——五十七句——
春
- 三月の筆のつかさや白袷
- 春泥や屏風かついで高足駄
- 柳挿すやしばし舟押して白腕
- 堂しづく一々見えて花御堂
- かしこみて尼僧あはれや花御堂
- 白魚くむたびに廻れる舳影かな
- 一鷹を生む山風や蕨伸ぶ
夏
- 生き疲れてたゞ寝る犬や夏の月
- 夏雨や淵にまた下る合歓の蜘蛛
- 薙ぎ草のおちてつらぬく泉かな
- 硯洗ひ干す亭二三歩の斜面かな
- やまぎりにぬれて踊るや音頭取
- 流燈や一つにはかにさかのぼる
- 繭買やおとなひかざす古扇
- 屑繭買むりに蚕むしろをわたりけり
- 蝶ながるゝ風にはねあそぶ蜥蜴かな
秋
- ピストル坐辺にありてこちたし書斎秋
- 竹山を舁きでし怪我や秋磧
- 秋女酔ひ伏す枕抱きしめて
- 夜永炉に土間のはしらや誰かある
- 医者の馬は闇に秋夜の小葬
- 秋の夜や熱心みえて小勘定
- 樹々のねの秋日ふむ客や足たかく
- 舟をり/\雨月に舳ふりかへて
- 秋の星遠くしづみぬ桑畑
- しばらくは月をとぼその夜霧かな
- 山霊をうとんずる月や霧晴るゝ
- きりさめやいかにおつべき蔦のつゆ
- 逃げ馬にしもとくはへぬ野路の秋
- 秋水やすてしづみたる古扇
- はつ猟や暑さおどろく不猟《シケ》端山
- 夜相撲や目玉とばして土埃り
- 鳴子縄はたゞ薄闇に風雨かな
- 文殊会の僧月にひく鳴子かな
- 雪山をみせて月出ぬ古かゝし
- 秋燈にねむり覚むるや句三昧
- 秋夜の燈をつるしあるきぬ日傭男
- 滝風に吹かれあがりぬ石たゝき
- 汲まんとする泉をうちて夕蜻蛉
- 笠紐を垂る大露やいなごとり
- 秋蝶とぶや雞屠る刃ひつさげて
- うごく枝に腹つよき力秋の蛇
- 谷々や出水滝なす草の秋
- 竜胆をみる眼かへすや露の中
- 零余子もぐ笠紐ながき風情かな
冬
- 日常の靴みがく婢や冬埃り
- 山妻や髪たぼながに神無月
- 誰そ靴に唾はきしわが師走かな
- 冬日縁話し一とゝきはずみけり
- 寒燈をつり古る妻の起居かな
- 柱鏡にひろさ溯る冬座敷
- 雪沓やうち揃へぬぐ日高縁
- 子を持てばなめずる情に冬ごもり
- 婢もあてゝ屹度あはれむ炬燵かな
- 甕水を汲むやまつはる榾げむり
- 雪に撃つや鶲細枝に翅たれて
- 家も夫もわすれたゞ煮る根深かな
大正八年——七十六句——
新年
- 廊わたる月となるまで手毬かな
春
- 立春の馬嘶くもよし雨中の陽
- 火に倦んで炉にみる月や浅き春
- 山雪に焚く火ばしらや二月空
- 月褒めて雪解渡しや二三人
- 山くぼの朴一と叢や雪解月
- 家鴨抱くや凍解の水はれ/″\と
- 月いよ/\大空わたる焼野かな
- 牧がすみ西うちはれて猟期畢ふ
- 草喰む猫眼うとく日照雨仰ぎけり
- 落汐や月に尚恋ふ船の猫
- 日影して胸ふとき雞や芹の水
- 谷川にほとりす風呂や竹の秋
夏
- 尿やるまもねむる児や夜の秋
- 三伏の月の小さゝや焼ヶ岳
- うち越してながむる川の梅雨かな
- から梅雨や水ノ面もとびて合歓の鳥
- 川瀬ゆるく浪をおくるや青あらし
- 夏山や又大川にめぐりあふ
- 汗冷えつ笠紐ひたる泉かな
- 深山雨に蕗ふか/″\と泉かな
- 硯洗ふや虹濃き水のゆたかなる
- 剪りさして毒花に睡る蚊帳かな
- 高山七月老鶯をきく昼寝蟵
- 展墓日暑し玉虫袖をあゆむかな
- 瀬をあらびやがて山のすほたるかな
- かざむきにまひおつ芋の蛍かな
- 後架灯おくやもんどりうちて金亀子
- 夏蝶や歯朶ゆりて又雨来る
- 雲ゆくや行ひすます空の蜘蛛
- 濁り江や茂葉うつして花あやめ
- ふためきて又虫とるや合歓の禽
秋
- 僧院や秋風呂たてゝこみあへる
- 秋日や喰へば舌やく唐がらし
- 陰暦八月虹うち仰ぐ晩稲守
- はつ秋の雨はじく朴に施餓鬼棚
- 感電して少年めぐりおちぬ秋の日に
- 月高し池舟上る石だゝみ
- 月みせてはとぶ白雲や深山槙
- 這ひいでゝ人捕るさまや月の蜘蛛
- 山月に冴えて聾ひたる耳二つ
- 秋月や魂なき僧を高になひ
- ある時は月前にうつ鼓とも
- 名月や耳しひまさる荒瀬越え
- 新月や掃きわすれたる萩落葉
- 倒れ木やのぼるになれて露の杣
- ふなべりをおちてさやかや露の虫
- 夕霧やうす星いでゝ笠庇
- 鳥かげにむれたつ鳥や秋の山
- 耳さとくねて月遠し秋の蟵
- 菜蒔きにも髪ゆひあふや賤が妻
- 臀たれてむだ飯くらふ秋の猫
- 鰻掻くや顔ひろやかに水の面
- 秋蝉やなきやむ幹を横あゆみ
- 扇折るや烈火にとべる秋の蠅
- 秋草やふみしだきたる通ひみち
- 野菊折るやうちみる早瀬夕焼けて
- むらさめにおちず古葉やをみなへし
- 芭蕉葉や池にひたせる狩ごろも
- 古椀うかむ池ふく風や萩のつゆ
- 嘴するや榛高枝の秋がらす
冬
- 元結をかみさす冬の女かな
- 極月や雪山星をいたゞきて
- いもの葉にひと霜きしや湖の月
- 冬風に下駄も結べる鵜籠かな
- 柚伐つて鋸おく枝や片時雨
- 月いでゝ雪山遠きすがたかな
- 雪晴や庵にこたへて富士おろし
- 木枝ながき雪に星出ぬやぶだゝみ
- 廊灯しゆく婢に月明の深雪竹
- 薄雪に月出ぬ山は夕日して
- 雞たかく榎の日に飛べる深雪かな
- 雪空や死雞さげたる作男
- 渡しまつ脛くゞり鳴る焚火かな
- 月の木にありあふ柝や寒稽古
- 葱洗ふや月ほの/″\と深雪竹
大正七年
新年
- 万歳にたわめる藪や夕渡し
春
- 三月や廊の花ふむ薄草履
- 春天をふり仰ぐ白歯とぢまげて
- 花を揺る上ワ風や夜をふかめつゝ
夏
- 硯洗へば梶ながるゝやさや/\と
- 花火見や風情こゞみて舟の妻
秋
- 墨するや秋夜の眉毛うごかして
- 刈草に尾花あはれや月の秋
- 秋風や顔虐げて立て鏡
- 金剛力出して木割や露の秋
- つまだちて草鞋新たや露の橋
- 露の日に提げてながし屠り雞
- 心中もせで起きいでぬ露の宿
- 水門や木目にすがる秋の蠅
- ひるねさめて噛みつく犬や秋の蠅
- 秋草やぬれていろめく籠の中
- 風の萩喰むまもはねて仔馬かな
- 芋喰ふや大口あいていとし妻
- もみぢして松にゆれそふ白膠木《ヌルデ》かな
- 崖しづくしたゝる萱や紅葉しぬ
冬
- 霜凪ぎや沼辺にいでし郵便夫
- うら/\と旭いづる霜の林かな
- 書窓耳さとし氷踏む沓おとも
- 虫の巣や折り焚く柴に煤の夜を
- 手袋の手をもて撲つや乗馬《ウマ》の面
- 地上三尺霧とぶ笠や麦を蒔く
- 月さして鴛鴦浮く池の水輪かな
大正六年——七十五句——
春
- 立春や耕人になく廬の犢
- すぐろ野の日に尼つるゝ彼岸かな
- 臼おとも大嶺こたふ弥生かな
- 恋ざめの詩文つゞりて弥生人
- ゆく春や僧に鳥啼く雲の中
- 谷杉に凪ぎ雲迅さや弥生尽
- 山国の春日を噛みて鶏の冠《サカ》
- みそか男のうちころされしおぼろかな
- 東風吹いて情こはく見る草木哉
- 人あゆむ大地の冷えやはなぐもり
- 還俗の咎なき旅やはなぐもり
- もろともにうれひに酌むや花ぐもり
- 軍船は海にしづみて花ぐもり
- 雪とけや渡舟に馬のおとなしき
- 夕ばえてかさなりあへり春の山
- 日を抱いてけふを惜しめる種井かな
- 梅若忌日もくれがちの鼓かな
- いにしへも火による神や山ざくら
- 屠所遠くみるつり橋や竹の秋
夏
- 廬の盛夏窓縱横にふとき枝
- 師をしたふこゝろに生くる卯月かな
- みな月の日に透く竹の古葉かな
- 富士仰ぐわが首折れよ船涼し
- 笛ふいて夜涼にたへぬ盲かな
- 三伏の月の穢に鳴くあら鵜かな
- 袷人さびしき耳のうしろかな
- ながれ藻にみよし影澄む鵜舟かな
- 柱たかく足倚せて扇つかひけり
- 山霧に蜻蛉いつさりし干飯かな
- 白扇に山水くらしほとゝぎす
- 蠅とぶや烈風なぎし峠草
- 蚊の声や夜ふかくのぞく掛け鏡
- 屑繭に蠅たむろしぬ花葵
- 浮きくさにまびきすてたる箒木かな
- 上圊日ざかり松葉ぼたんの黄と赤と
- 流水にたれて蟻ゐるいちご哉
- わか竹や牝を追ふ鶏のいづこまで
- わか竹や句はげむ月に立てかゞみ
- 高枝に花めぐりあへり午下の合歓
- 向日葵に鉱山びとの着る派手浴衣
秋
- 秋の昼ねむらじとねし畳かな
- ながき夜の枕かゝへて俳諧師
- ゆく秋や石榻による身の力
- 酒坐遠く灘の巨濤も秋日かな
- かぜひいて見をしむ松の秋日かな
- 筆硯に多少のちりも良夜かな
- あきかぜやためてよしなきはした銭
- 秋風や磊磈として父子の情
- 秋風や痢してつめたき己が糞
- なんばんに酒のうまさよ秋の風
- なにをきく眼じりの耳や秋の風
- 柑園の夜に入る燭やあきのあめ
- 森低くとゞまる月や秋の蟵
- 灯して妻の眼黒し秋の蟵
- 寝てすぐに遠くよぶ婢や秋の蚊帳
- 人遠く胡麻にかけたる野良着かな
- 饗宴の灯にとぶ虫や菊膾
- 胡桃樹下水くらく凪ぐ帰燕かな
- 空《ソラ》炷《ダキ》に月さす松のすいと哉
- 胡蘿に尾羽うちしづむとんぼ哉
- 刈りさして廬にしめやかやそばの花
- 山蟻の雨にもゐるやをみなへし
- 足あらふ来客をみる芭蕉かな
- 糸繰る女に芭蕉霧出てもありぬべし
- 田水はつて一つ葉ゆるゝ芋を見る
- 芋の葉や孔子の教へいまも尚
- 月明にたかはりたちぬ萩のつゆ
冬
- 葬人の野に曳くかげや神無月
- 十二月桑原になくすゞめかな
- 極月の法師をつゝむ緋夜着かな
- あすしらぬこともをかしや雪つもる
- かりくらや孟春隣る月の暈
- 月いでゝ猟夫になくや山がらす
- 水洟や灯をかゝげたる机前の子
- 月入れば北斗をめぐる千鳥かな
大正五年——四十一句——
新年
- ゆづり葉に粥三椀や山の春
春
- 春あさし饗宴の灯に果樹の靄
- 髪梳けば琴書のちりや浅き春
- 立春や朴にそゝぎて大雨やむ
- 舟を得て故山に釣るや木の芽時
- 尼の数珠を犬もくはへし彼岸かな
- 山寺の扉に雲あそぶ彼岸かな
- ゆく春や人魚の眇《スガメ》われをみる
- 空林の火に馬ねむる暮春かな
- 反逆にくみせず読むや野火の窓
- 連翹に山風吹けり薪積む
- やまびとの大炉ひかへぬ花の月
- 巒はれてちる花に汲む泉かな
- うきくさにながあめあがる落花かな
- 空ふかくむしばむ陽かな竹の秋
- 百鶏をはなてる神や落椿
夏
- やまがつのうたへば鳴るや皐月川
- うき草に硯洗へり鵜匠の子
- 神甕酒満てり蝉しぐれする川社
- 毛虫焼く火幽し我に暮鐘鳴る
- 罌粟の色にうたれし四方のけしき哉
- 曲江にみる萍や機上の婦
- 花桐や敷布くはへて閨の狆
- 瓢箪の花にひともす逮夜かな
秋
- 詩にすがるわが念力や月の秋
- 甲斐の夜の富士はるかさよ秋の月
- 葬人は山辺や露の渡舟こぐ
- 秋山の橋小さゝよ湖舟より
- 舟人の莨火もえぬ秋の海
- 稲扱くや無花果ふとき幹のかげ
- 魚喰ふて帰燕にうたふ我が子かな
- 芋秋の大河にあらへたびごろも
- 開墾地のたばこの花や秋旱
- 秋草にあはれもゆるや人の衣
冬
- 苔はえて極寒におはす弥陀如来
- 道のべに痢して鳴く鵜や冬の風
- 揚舟や枯藻にまろぶ玉あられ
- おもひ入つて人闇にたつ布団かな
- 冷ゆる児に綿をあぶるや桐火桶
- 舳に遠く鴛鴦とべりいしがはら
- 枇杷に炊く婢にこぼたすや薬壜
大正四年——百三十六句——
新年
- 餅花に髪ゆひはえぬ山家妻
春
- 仏像はあす彫りあがる野火の月
- 閨怨のまなじり幽し野火の月
- 日にむいて春昼くらし菊根分
- 残雪を噛んで草つむ山の子よ
- 海しらぬ子にこの土ありつく/″\し
- 大空に彫られし丘のつばき哉
- 虚空めぐる土一塊や竹の秋
- 花に打てば又斧にかへるこだま哉
- 花の影戸にあり人を偲ばしむ
夏
- 鉱山《ヤマ》に逢ふて盛夏帽裏の刺を通ず
- 白衣きて禰宜にもなるや夏至の杣
- 夏風やこときれし児に枕蟵
- 夏雲や諸人聴聞のゆきかへり
- 夏雲濃しうまやの馬にわか竹に
- 夏雲のからみてふかし深山槙
- 臙脂の黴すさまじき梅雨のかゞみ哉
- 梅雨の灯のさゞめく酒肆の鏡かな
- 深山花つむ梅雨人のおもて哉
- 雹晴れて渡舟へんぽんと山おろし
- なつ山や急雨すゞしく書にそゝぐ
- 顔よせてみる夏山のあざみかな
- 棺桶を舁けば雲ひろき夏野かな
- 幽火戸にもゆる夏野の鵜匠かな
- 大峰を日わたりて幽き清水かな
- 水盤に行李とく妻や夏ごろも
- 夏帽や保養一念に湖辺宿
- 衣かつぐ誰そ草やみや鵜舟去る
- なつやせや死なでさらへる鏡山
- 青巒の月小さゝよたかむしろ
- むしぼしの巣くふ虫あるや古鏡
- 燈籠にねびたる稚児やあはれなる
- まなことび腸ながれありほとゝぎす
- 杣の死に斧を祀るやほとゝぎす
- 友の死につどへる樵や閑古鳥
- 灯してさゞめくごとき金魚かな
- 夜ふかく饗宴の酒をすう蚊かな
- おどけたる尼の操や蛞蝓
- うたがへば妻まことなし鰒に酌む
- ぬすびとに夜々の雨月や瓜畠
- 日中に咳はく牛や花葵
- 大空に不二澄む罌粟の真夏かな
- 山百合にねむれる馬や靄の中
- 泥舟の水棹たてたる花藻かな
- 日蔽垂るゝ水に明るき花藻かな
- 伯母逝いてかるき悼みや若楓
- 船におちて松毬かろし余花の岸
- 青梅のおちゐて遊ぶ精舎の地
- 忌のことにつどひつ枇杷に乳人と酌む
- 飼猿を熱愛す枇杷のあるじ哉
- 汝と剥いて恋|白眼《ニラ》み足る林檎かな
- 紫陽花に八月の山たかゝらず
- 妻織れどくるはしき眼や花柘榴
- 山風のふき煽つ合歓のからす哉
- 恋ひ老ひて貧苦に梳けり棕櫚の花
秋
- 大木を見つゝ閉す戸や秋の暮
- 胃ぶくろにすごもる虫や暮の秋
- 朴の葉や秋天たかくむしばめる
- 秋雲をむかへて樹てり杉大樹
- 滄溟にうく人魚あり月の秋
- 八千草の月幽くすめる尼僧かな
- 肥かつぐ寡婦に東嶺の月黄なり
- あきかぜや水夫にかゞやく港の灯
- 秋風や舟夫翩飜と波の上
- 秋風やこだま返して深山川
- 槍の穂に咎人もなし秋の風
- われ佇ちて古墳の松や秋の風
- 岩をかむ人の白歯や秋の風
- 大秋と白林を弟子や秋の風
- 露さだかに道ゆく我をたのしめり
- あきさめの巌うるほすや樹々の中
- 舟解いて山霧にこぐや河下へ
- 秋の山国土安泰のすがたかな
- はつ猟の眼にしたしさや草の花
- 病閑に侍するにたへず鳴子ひく
- コスモスの四窓の秋や置扇
- かきたてゝ明き御燈や山の秋
- 薫《タキモノ》に八朔梅や守武忌
- 俳諧につぐ闘菊や西鶴忌
- 塩辛に一壺の酒や鹿の秋
- たましひのしづかにうつる菊見かな
- 家富んで朝暮の粥や鳳仙花
- 落日に蹴あへる鶏や鳳仙花
- 月さむくあそべる人や萩の宿
- また消して灯明うよむや萩のぬし
- 料理屋の夜の闃寂や白芙蓉
- 舟解くや葬人野辺に芋の秋
- 野拓いてすみ古る月や芋のぬし
- 書楼出て樵歌又きく竹の春
- なんばんといづれぞあかし猿の臀
- はしばみにふためきとぶや山がらす
冬
- 樋の草に日短かさよ婢の炊ぐ
- 山国の虚空日わたる冬至かな
- 寒夜読むや灯潮のごとく鳴る
- 髭剃つて顔晏如たり冬日影
- 冬そらや大樹くれんとする静寂《シヾマ》
- 赤貧にたへて髪梳く霜夜かな
- 霜とけのさゝやきを聴く猟夫かな
- 雪国の日はあは/\し湖舟ゆく
- 藁つむや冬大峯は雲のなか
- 大艦をうつかもめあり冬の海
- 炉をきつて出るや椿に雲もなし
- 煤掃や師は徘徊す湖ほとり
- 利にうとき人の眼にごる頭巾かな
- 雪晴れてわが冬帽の蒼さかな
- この布団熱冷えて死ぬおのれかな
- 布団たゝむ人を去来す栄華かな
- 山鳴るとうちみる妻や橇暗し
- 炉によつて連山あかし橇の酔
- ひとり読んで花枯るゝ床や寒夜の燈
- 湯をいでゝわれに血めぐる囲炉裡かな
- 輪番をおちて学べる火桶かな
- 死病得て爪うつくしき火桶かな
- 興はなれずひとり詩に憑る火桶かな
- ひとり詠むわが詩血かよふ炭火かな
- 父とうとく榾たく兄の指輪かな
- そむく意を歯にひしめかす榾火かな
- 夜の戸に風媚ぶや我に榾怒る
- 園にでゝ山影豁し榾の酔
- 埋火に妻や花月の情にぶし
- 火を埋めてふけゆく夜のつばさ哉
- 山火事に蔵戸ほのかや鶏うたふ
- 空也忌の魚板の月ぞまどかなる
- かりくらの月に腹うつ狸かな
- 濤かぶつて汐汲む蜑やむら千鳥
- 林檣の大風の月やむらちどり
- 枯萩やせはしき針に情夫なし
- 枯菊や雨きて鶏の冠動く
- 畜類の肉もこのもし葱の味
- 月にねむる峯風つよし葱をとる
- 親疎十年交りたゆる葱の月
- 白林を湯へとふ柝や冬木立
- 落葉ふんで人道念を全うす
- 妻激して口蒼し枇杷の花にたつ
- 唾吐いてかすかに石蕗の月に閉づ
- 薫《タキモノ》に貞意かげあり石蕗暮るゝ
大正参年——三十六句——
夏
- 幽冥へおつる音あり灯取虫
秋
- 胃洗ふて病院桐の秋闊し
- 洟かんで耳鼻相通ず今朝の秋
- 海鳴れど艫は壁にある夜永かな
- 晴れくもる樹の相形や秋の空
- 秋風や眼前湧ける月の謎
- 竈火赫とたゞ秋風の妻を見る
- 野分雲湧けど草刈る山平
- 荼毘の月提灯かけし松に踞す
- 芋の露連山影を正うす
- つぶらなる汝が眼吻はなん露の秋
- 刈田遠くかゞやく雲の袋かな
- 案山子たつれば群雀空にしづまらず
- 情婦を訪ふ途次勝ちさるや草相撲
- 牛曳いて四山の秋や古酒の酔
- 太祇忌や秋の湖辺の蒲焼屋
- かりがねに乳はる酒肆の婢ありけり
- 菊畠や大空へ菊の気騰る
- 梵妻を恋ふ乞食あり烏瓜
- 窓あけてホ句細心や萩晴るゝ
- 句また焼くわが性淋し蘭の秋
- 葬人歯あらはに泣くや曼珠沙華
- 農となつて郷国ひろし柿の秋
- 梨むくや故郷をあとに舟くだる
- 木瓜噛むや歯の尖端に興うごく
- 人すでにおちて滝鳴る紅葉
- 神酒やがて岨ゆきてさめる紅葉かな
- 先着にあな幣尊と紅葉山
- 山門に赫と日浮ぶ紅葉かな
- 紅葉ふんで村嬢塩をはこびけり
冬
- ある夜月に富士大形の寒さかな
- 書楼出て日寒し山の襞を見る
- 冬山に僧も狩られし博奕かな
- 束の間の林間の日や茎洗ふ
- 人妻よ薄暮のあめに葱やとる
- 山がつに葱の香つよし小料理屋
大正弐年——五十六句——
春
- 立春や梵鐘へ貼る札の数
- ゆく春や流人に遠き雲の雁
- 恋々と春惜しむ歌や局人
- ゆく春の人に巨帆や瀬多の橋
- 行春や朱にそむ青の机掛
- 残雪や中仙道の茶屋に谷
- 松に帆や雪消の磯家まださむし
- 木戸出るや草山裾の春の川
- 薪水のいとまの釣や春の水
- 鹿島より旅うらゝなる春水記
- 春野ふむや珠履にもつるゝ日遅々たり
- 古き世の火の色うごく野焼かな
- 人々の座におく笠や西行忌
- 林沼の日のしづかさや花あざみ
夏
- 苗代に月の曇れる夜振かな
- 蔵壁の火籠とりいでゝ夜振かな
- ひえ/″\と鵜川の月の巌かな
- 城番に松の月すむ蚊やりかな
- 駅の家に藻刈も透ける青簾かな
- 古宿や青簾のそとの花ざくろ
- 灯を入れてしばらく読める蚊帳かな
- 行水の裸に麦の夕日影
- 行水や晒し場暮るゝ垣の隙
- 行水のあとの大雨や花樗
- あまりつよき黍の風やな遠花火
- 鮓圧すや加茂のまつりも過ぎし雨
- 鮎鮓や多摩の晩夏もひまな茶屋
- 囮鮎ながして水のあな清し
秋
- 人の国の牛馬淋しや秋の風
- 秋風や野に一塊の妙義山
- 砧女に大いなる月や浜社
- 提灯を稲城にかけしきぬた哉
- 砧一つ小夜中山の月夜かな
- 大峰の月に帰るや夜学人
- 水軍に焼かるゝ城や雁の秋
- 雁鳴くや秋たゞなかの読書の灯
- 山陵の松はさびしきすゝき哉
- 治承このかた平家ぞをしむ花すゝき
- 天人のぬけがら雲やすゝき原
- 雁を射て湖舟に焼くや蘭の秋
- 山僧に遅き月日や鶏頭花
- 羅漢寺の鐘楼の草の鶏頭かな
- 今年また庵のその生や鶏頭花
- ともしびと相澄む月のばせをかな
冬
- 今朝冬や軍議にもれし胡地の城
- 道芝を吹いて駄馬ゆく今朝の冬
- 春隣る嵐ひそめり杣の炉火
- 冬の日のこの土太古の匂ひかな
- 文読んで烈火の怒り榾を焚く
- 蕎麦をうつ母に明うす榾火かな
- 鶏とめに夕日にいでつ榾の酔
- 炭売つて安堵屏風の大字読む
- 磧ゆくわれに霜夜の神楽かな
- 月ひくゝ御船をめぐるちどりかな
- 大江戸の街は錦や草枯るゝ
- 山晴れをふるへる斧や落葉降る
明治四拾五年(大正元年)——三十九句——
春
- 炉塞や不破の関屋の一とかすみ
- 雁風呂や笠に衣ぬぐ旅の僧
- 古妻や針の供養の子沢山
- 畑打や代々につたへて畠の墓
- 門前の花菜の雨や涅槃像
- 釈奠や古墨にかきて像尊と
- 門畑に牛羊あそぶ社日かな
- 関の戸や水ノ口まつる田一枚
- 野おぼろに水ノ口祭過ぎし月
- 二三人薄月の夜や人丸忌
- 若草や空を忘れし籠の鶴
- 蒲公英や炊ぎ濯ぎも湖水まで
- 森の神泉におはす薊かな
- みさゝぎや日南めでたき土筆
- 高野山春たけなはのわらびかな
- 石楠花の紅ほのかなる微雨の中
- 海棠や縁を往き来す狆の鈴
- 竹の秋一焼す蘭のやまひかな
- 竹秋や雨露風雪の榻の寂び
- 菜の花や五十三次ひとり旅
- 書楼出て日の草原のやなぎかな
- 慈姑田や透垣したる社守
冬
- みだるゝや箙のそらの雪の雁
- 雪掃けば駅人遠く行きにけり
- 踏切の灯を見る窓の深雪かな
- なつかしや雪の電車の近衛兵
- 雪風や書院午ぢかく掃除すむ
- ふるさとの雪に我ある大炉かな
- 湯婆こぼす垣の暮雪となりにけり
- 草枯や又国越ゆる鶴のむれ
- 草枯や野辺ゆく人に市の音
- 阿武隈の蘆荻に瀕す冬木かな
- 寒林のしきみは古き墓場かな
- 道具市水仙提げて通りけり
- 枯蓮は阿羅漢水仙は文珠かな
- 山茶花や日南のものに杵埃り
- 茶の花も菅笠もさびし一人旅
- 窓の下なつかしき日の落葉かな
- 絵馬堂の内日のぬくき落葉かな
明治四拾四年——百二十一句——
新年
- 元旦や前山颪す足袋のさき
- 門松や雪のあしたの材木屋
- 餅花や正月さむき屋根の雪
- 庭訓による友どちや手毬唄
- 梅ぬくし養君の弓はじめ
春
- ながき日や洛《ミヤコ》を中の社寺詣
- 海月とり暮遅き帆を巻きにけり
- 琵琶の帆に煙霞も末の四月かな
- 晒布うてば四月の山辺応へけり
- 宿引にひかれごゝろや宵の春
- 春の夜や仏事したゝむ小商人
- 冠の紐焼く春の一夜かな
- そろばんに久松ねむる夜半の春
- 押入に丈草寝るも余寒かな
- 春寒や耕人うたふ海の唄
- ゆく春の笛に妻恋ふ盲あり
- 朧夜や本所の火事も噂ぎり
- おぼろ夜や欞子にたれし花一朶
- お法会に影絵あるよし朧かな
- 雪解や機の窓なる湖水不二
- 乙娘雛も次第になりにけり
- 雛の日や遅く暮れたる山の鐘
- 猫の子のなつく暇や文づかひ
- 猫の子や尼に飼はれて垣のうち
- 鶯や人遠ければ窓に恋ふ
- 鶯に山吹ばかり横川かな
- 久遠寺へ閑な渡しや雉子の声
- 山越えて来てわたる瀬や柳鮠
- 山吹の蝶を見てゐて得度かな
- 水甕に花の日さして炊ぎけり
- たがやして社の花に午餉かな
- 木曾人は花にたがやす檜笠かな
- 山寺やむざと塵すつ梅の崖
- 藪中の木を積む墓所や梅白し
- 大原や日和定まる花大根
- 花大根藁家二軒の峡かな
- 唐櫃は玄関におけ松の花
夏
- 船暑し干潟へおろす米俵
- 筆耕や一穂の灯に暑き宵
- すゞしさや波止場の月に旅衣
- 糸染むるや秋遠からぬ小野の森
- 日盛りの町中にして傘屋
- しづかさや日盛りの的射ぬくおと
- 日ざかりやおのが影追ふ蓬原
- 夏川や砂さだめなき流れ筋
- 夏海へ燈台径の穂麦かな
- 芭蕉織る嶋とおもへば夏の宿
- 社家町や樗の花に鯉のぼり
- 午過ぎの磧に干せる鵜縄かな
- あな痩せし耳のうしろよ夏女
- わが眉に日の山遠し水を打つ
- あつ過ぎる行水にさす日影かな
- 蚊火焚くや江を汲む妻を遠くより
- 今はたゞ蚊火もゆるのみ大雨かな
- いとゞしく月に蚊火たく田守かな
- 虫干や東寺の鐘に遠き縁
- 騒動記虫干す中に読まれけり
- 江泊の酒尽くほどの花火かな
- 葡萄棚ふかく麦うつ小家かな
- 鮓桶の蓋とれば雲とざしけり
- 鮓宿へ旅人下りぬ日の峠
- 鮓売の裏坂すぎぬ竹の月
- 砂走《スバシ》りの夕日となりぬ富士詣
- 鯖釣や夜雨のあとの流れ汐
- 夏菊に桑かたむきて家蔭かな
- 藻の花に窓前の湖雨すなり
- 藪寺に余花や見えける嵯峨野かな
- 百合折るや下山の袖に月白き
- 花葵貧しくすみて青簾吊る
- 夜の市や葵買ひゆく人の妻
- 山里や木小屋の中を蕗の川
- 瓜つけし馬も小諸の城下かな
- しば/\や人に雨月の瓜ばたけ
- 麦畠や奈良の小鍛冶が古簾
- 麦畑に芥子のとび咲く籬落かな
- 水一荷渡御にそなへし青葉かな
- 夏木にも瓜蠅とべり峠畑
- 花桐に斯の民やすき湖辺かな
- 百日紅咲く世に朽ちし伽藍かな
- 松風竹雨芭蕉玉巻く書楼かな
秋
- 秋暑し湖の汀に牧の鶏
- 仲秋や火星に遠き人ごゝろ
- 日の秋や門茶につどふ草刈女
- たび人に日の秋畠の焚火かな
- 谷の戸や菊も釣瓶も霧の中
- 秋蟵やあした夕べの炉火の紅
- 鳩吹や夕日に出たる山の墓
- はつ菊や大原女より雁の文
- 菊咲くやけふ仏参の紙草履
- 菊の香や太古のまゝに朝日影
冬
- 短日のはや秋津嶋灯しけり
- 短日の水に影ある漁人かな
- 短日の時計の午後のふり子哉
- 山国や寒き魚介の小商人
- 六波羅へぼたん見にゆく冬至かな
- 帆もなくて冬至の海の日影かな
- 冬空へ煙さでたくや灘の船
- 品川に台場の音のしぐれかな
- 凩の山に日あるや厠出て
- 初霜や湖に青藻の霧がくれ
- 冬山や寺に薪割る奥は雪
- 冬海の漁舸を淋しむ旅人かな
- 枯原や堰に音ある榛の風
- 逆蓑や運のさだめの一としぐれ
- つれだちて淋しき老の岡見かな
- 淀の魚竹瓮にまよふ一つかな
- 寒声の瞳をてらす灯かな
- 寒声や城にむかへる屋敷町
- 笹鳴や艦入り替ふる麓湾
- ありあけの月をこぼるゝちどりかな
- 青楼の灯に松こゆるちどりかな
- 千鳥啼くや廻廊の燈雨ざらし
- 岬山の緑竹にとぶ千鳥かな
- 鮟鱇やかげ膳据えて猪口一つ
- 山茶花の垣穂の渡し見晴れけり
- 葱の香に夕日の沈む楢ばやし
- 落葉すやしづかに庫裡の甕の水
- 園丁と鶴と暮れゐる落葉かな
- 笊干すや垣の落葉に遠き山
- 牧へとぶ木の葉にあらぬ小鳥かな
- 水仙に湯をいでゝ穿く毛足袋かな
明治四拾参年——七十句——
新年
- 春にまけて優長逝きぬ二の替
春
- 春浅し洟紙すてる深山草
- 春暁や花圃ぬけてゆく水貰ひ
- 春暁の湖に皿洗ふ厨かな
- 煮るものに大湖の蝦や夏近し
- 果樹園に積む石ありておぼろ哉
- 貝寄や遠きにおはす杣の神
- 貝寄や南紀の旅の笠一つ
- 貝寄や櫂を上げたる水夫二人
- 鮎汲や糧を忘れし巌高き
- 木の実植ゑて水にきはまる茨かな
- 木ノ実植う人呼びかはす二峰かな
- 滝殿や木鉢へ植ゑし楓の実
- さくら餅食ふやみやこのぬくき雨
- 夢さめてたゞ青ぬたの古草廬
- 鮒膾勢多の橋裏にさす日かな
- 火なき炉の大いさ淋し春の宿
- 海凪げるしづかさに焼く蠑螺かな
- 山焼けに焼けのこりしを摘む茶かな
- 吉野山奥の行燈や一の午
- 蛤を焼けば鳴く故にすゞめ貝
- 蛤や鳴戸の渦にあづからず
- 梅林を柩舁きゆく漁人かな
- 梅林に漁舸弄す浪の見えにけり
- 巌蔭の廬の三味線や竹の秋
- 耶馬の舟古くあやうし竹の秋
- 種芋や兵火のあとの古都の畠
- 芋植うや尾ノ上の花は晴れがまし
夏
- 灯をはこぶ湯女と戦ぐ樹夏のあめ
- 夏の雨草井に日影残りけり
- 麻刈つて渺たる月の渡しかな
- 昼寝覚め厨にみてる魚介あり
- 倒れ木を越す大勢や順の峰
- 祖父祖母も寝しこの宿や順の峰
- 燈台の浪穂の舟やほとゝぎす
- 寺にみる月のふるさやほとゝぎす
- 雨蛙樫の戦ぎに雲忙し
- まひ/\や菖蒲に浅き水車尻
- まひ/\や庭の水落つ門流れ
- 泉掬ぶ顔ひやゝかに鳴く蚊かな
- 膳さきへかたむく桑や蚤の宿
- 魚板より芭蕉へつゞく羽蟻かな
- 釣人や羽蟻わく舳をかへりみず
- 蝉鳴くや瀬にながれ出しところてん
- 古駅や塀沿ひ曲る蛭の川
- 夏虫や一と風呂の間の酒肴
- 赤貧洗ふが如く錦魚を飼ひにけり
- 初鰹いたくさげすむ門地かな
- 鰺釣や帆船にあひし梅雨の中
- ふるさとや厩のまどの鮎の川
- 鮎漁のしるべも多摩の床屋かな
- 干鮎や颪しはてたる蠅一つ
- 牡丹や阿房崩すと通ふ蟻
- 夏草や駅の木立に捨て車
- 葉桜や嵐橋晴るゝ人の傘
- 旅人に遠く唄へり蓴採
- 合歓かげに船の煙りや山中湖
- 鴨足草雨に濁らぬ泉かな
- ふもと井や湯女につまるゝ鴨足草
- 曲江に山かげ澄みて花藻かな
秋
- 鹿鳴くや酒をさげすむ烽火守
- 森の雲鵙の鳴く音と動きけり
- 嶋は秋しぐれ易さよ渡り鳥
- はつ雁に几帳のかげの色紙かな
- 小法師や虫なく秋の句沢山
- ひぐらしの鳴く音にはづす轡かな
- 蜻蛉や芋の外れの須磨の浪
- 畠中の秋葉神社や蜻蛉とぶ
- 松にむれて田の面はとばぬ蜻蛉かな
- 鯊つりを埋めてそよぐ蘆荻かな
明治四拾弐年——三十六句——
新年
- 書初や草の庵の紅唐紙
- 手毬かゞるひとりに障子日影かな
- 再びやつけばもつるゝ毬の糸
- 手毬つく唄のなかなるお仙かな
春
- 巡邏終へて柳に日あり歌書を繙く
夏
- 墓松に玉虫とるや秋近く
- 秋近きてすりに凭るや月二つ
- 師門遠く藻に泳ぐ子や麦の秋
- 毛虫焼くや情人窓掛をあげて弾く
- 庵出る子に松風のほたるかな
- 月光に燭爽かや灯取虫
- 山雲の翔りて咲けるぼたん哉
- 牡丹白し人倫を説く眼はなてば
- 逆友を訪ふ岡晴れぬ青銀杏
- 瓜畑を展墓の人や湖は秋
秋
- 江上に月のぼりたる夜露かな
- 杣の戸をしめきる霧の去来かな
- 燕去つて柝もうたざる出水かな
- 南ばんをくらふ虫とて人の影
- 柿林出る舟や水棹横たへて
冬
- 山に遊ぶ水車の鶏や神無月
- 炉ほとりの甕に澄む日や十二月
- 大酔のあとひとりある冬夜かな
- 藪伐れば峰のこだます寒さかな
- 山風に鶴が啼いたら寒さかな
- 浦人に袈裟掛け松の小春かな
- 針売も善光寺路の小春かな
- 春近し廻国どもが下駄の泥
- 船よせて漁る岸の冬日かな
- 湯屋いづるとき傘の霙かな
- 荒海の千鳥ぶちまく枯野かな
- 枯原や留守の戸なりし貰ひ水
- 林間の篠分くる瀬の氷りけり
- 埋火や倚廬《イロ》月あげて槻の枝
- 人さかしく帽とるや手袋の手に
- 婢を御してかしこき妻や蕪汁
明治四拾壱年——二十八句——
新年
- こゝろよき炭火のさまや三ケ日
秋
- ゆく秋やかゝしの袖の草虱
- とりいでゝもろき錦や月の秋
- はつ嵐真帆の茜に凪ぎにけり
- 琴の音や芭蕉すなはち初嵐
- 炊ぎつゝながむる山や露のおと
- 朝露やむすびのぬくき腰袋
- 落し水鳴る洞ありて吸ひにけり
- はつ汐にものゝ屑なる漁舟かな
- 江の宿や蘇鉄の窓の葉月汐
- 晒し場をくもらす秋の二峯かな
- 秋川や駅にまがりて船だまり
- 酒肆を出て蘆荻に船や秋の川
- ふるさとの木槿の垣や秋出水
- かりがねと関の旅人や秋出水
- 秋海のみどりを吐ける鳴門かな
- 茄子畠に妻が見る帆や秋の海
- 秋海のなぎさづたひに巨帆かな
- 炉辺よりこたふる妻や秋の蚊帳
- 鹿鳴いて吹きくる嵐間ありけり
冬
- くれなゐのこゝろの闇の冬日かな
- 油垢しむ櫛筥に冬日かな
- 透垣にとなりの煤の調度かな
- 炉開やほそき煙りの小倉山
- 住吉の道ノ辺の宿や炉をひらく
- 高浪に千鳥帯とてつゞきけり
- 汐くみに来て遠不二にちどり哉
- みづどりにさむきこゝろを蔽ひけり
明治四拾年——四十五句——
春
- のどかさや艇吊りたる艦の空
- 麺棒のとゞろきわたる宿の雛
- 笈磨れの尊き肩や二日灸
- 葦の間の泥ながるゝよ汐干潟
- 碇出てかたむく船や汐干潟
- 流觴の鳥ともならず行方かな
- 寒食や凡夫の立てる膝がしら
- 春暑く素袍に汗や鶏合
- 一寺領七谷植うる木ノ実かな
- 対岸の模糊に鶯うつりけり
- 城山の竹叢に鳴く雉子かな
- 塵取に尚吹く風や鳥交る
- 蛇穴をいでゝ耕す日に新た
- 草深き築地の雨や蛙とぶ
- 花の風山峰高くわたるかな
- 晴嵐に松鳴る中のさくらかな
- つみためて臼尻に撰る蓬かな
- 松伐りし山のひろさや躑躅咲く
夏
- 短夜や藺の花へだつ戸一枚
- 紫陽花に草紙干す時暑さかな
- 晒引く人涼しさを言ひ合へり
- 草庵の壁に利鎌や秋隣り
- 燈台に灯すこゝろや秋隣り
- 雷晴れや日にのぞかるゝ椎の花
- 雷の晴れ倒れし酒旗に蚯蚓かな
- 城郭の中の牧場や夏がすみ
- 泉石をはづるゝ滝や青嵐
- 植ゑし田の中の巨石や忘れ笠
- 鯉幟夕べたれけり木槿垣
- かりそめに燈籠おくや草の中
- 蚊帳つる釣手の音に眠入るなり
- 合歓に蟵古河の渡しの宿屋かな
- 虫払鼠の糞の大いなる
- 曝書尚われに昨日の忙事かな
- 無花果の門の格子や水を打つ
- 河蒸汽水打つ河岸につきにけり
- 水草の流れ汲み打つ温泉町
- 行水や盥の空の樅の闇
- 晒井にたかき樗の落花かな
- 戸袋にあたる西日や竹植うる
- 此宿や飛瀑に打たす鮓の石
- 月の窓にものゝ葉裏のほたるかな
- 蚊ばしらや眉のほとりの空あかり
- 雷のあと日影忘れて葵かな
- 雷やみし合歓の日南の旅人かな
明治参拾九年——十六句——
春
- 春浅き草喰む馬の轡かな
- 芥火に沈丁焦げぬ暮の春
- 諒闇の第一宵や月おぼろ
- 草籠の蔭に雉子や春の山
- 海苔麁朶のかげある水や汐干潟
- 旧山廬訪へば大破や辛夷咲く
秋
- 草の戸の臀たれ猫や暮の秋
- 水車の灯幽かにもあるや月の渓
- 就中学窓の灯や露の中
- 軍艦の甲板の菊や佳節凪ぎ
- 露草に落ち木もあまた端山哉
冬
- 冬に入る炉につみ焚くや古草鞋
- 物おちて水うつおとや夜半の冬
- あら浪に千鳥たかしや帆綱巻く
- 俊寛の枕ながるゝ千鳥かな
- 返り咲く園遅々とゆく広さかな
明治参拾八年——三句——
秋
- 今朝秋や笏をいだけば袖長し
- 茶筒かげそれも夜長の炉縁かな
- 橋からの釣糸ながし秋晴るゝ
明治参拾七年以前——五句——
夏
- 桐の葉に夕だちをきく書斎かな
- 鈴の音のかすかにひゞく日傘かな
- 麦の穂にかる/″\とまる雀かな
秋
- 白菊のしづくつめたし花鋏
- 花すゝき小垣の昼を鶏鳴いて
明治参拾六年以前——三句——
春
- 居すごして箸とる家の柳かな
夏
- たかどのに源氏の君が蚊遣かな
- さし汐の時の軒端や蚊遣焚く
明治弐拾七年以前——一句——
秋
- もつ花におつる涙や墓まゐり
飯田蛇笏 プロフィール
飯田 蛇笏(いいだ だこつ、1885年(明治18年)4月26日 - 1962年(昭和37年)10月3日)