目次
臼田亞浪の俳句一覧
春
- 立春の朝霧しづる枯枝かな
- 木より木へ通へる風の春浅し
- 春寒や生姜湯かぶる風邪籠
- 葱掘つて土ぼそぼそと春寒き
- 春寒う机かすめて日の消えし
- 春寒の竹さわがしくなる夜かな
- 春寒の夜の雲燃ゆるまがまがし
- 如月の烈風釘を打つ音す
- 啓蟄の虫におどろく縁の上
- 蝗ばつた彼岸の野川流れたり
- 行く雲の心を誘ふ暮の春
- 行春の日向埃に商へり
- 春惜む心に遠き夜の雲
- 浅間ゆ富士へ春暁の流れ雲
- 暖かや首のべて駱駝うづくまる
- 夜明けから雀が鳴いて暖かき
- 石蹴りの筋引いてやる暖かき
- 掌にとつて草葉のうごく暖かき
- 萱の根の甘さ噛み居る暖かき
未分類
- ざうざうと竹は夜を鳴る春山家
- ひとへもの径の麦に刺されたり
- ふるさとは山路がかりに秋の暮
- コスモスへゆきかまつかへゆき憩ふ
- 今日も暮るる吹雪の底の大日輪
- 元日や日のあたりをる浅間山
- 地の果ゆ草枯れ寄する二克山
- 墓起す一念草をむしるなり
- 天風や雲雀の声を絶つしばし
- 宵々に雪踏む旅も半ばなり
- 家をめぐりて今年の夕日おくるなり
- 日あたって来ぬ綿入の膝の上
- 木曽路ゆく我も旅人散る木の葉
- 榠櫨咲くと見て眠りたり霽れてをり
- 氷曳く音こきこきと杉間かな
- 淡雪や妻がゐぬ日の蒸し鰈
- 燈籠のわかれては寄る消えつつも
- 草原や夜々に濃くなる天の川
- 郭公や何処までゆかば人に逢はむ
- 長城の月落日を追ふさまに
- 雪散るや千曲の川音立ち来り
- 鵯のそれきり鳴かず雪の暮
- 七種や薺すくなの粥すする
- 初鶏や庫裡の大炉の火明りに
- 枯葉鳴る静かさに居りお元日
- 萬歳の鼓森一つ隔てたり
- 枯枝の日のちりちりに羽子の音
- 元朝の日がさす縁をふみありく
- 手毬子よ三つとかぞへてあと次がず
- すこし早く起きてさむかりお元日
- 舞ひ猿の人を見る眼ぞいとけなき
- 空たかき風ききながら雑煮膳
- 初明り火鉢の焔立ち来けり
- 元日の石蕗にすさべり伊豆の海
- 富士皓といよよ厳しき年は来ぬ
- 松の上の雪しづりそめ年来り
- 松すぎや東京は風荒くして
- 山吹ののこらず咲いて霖雨かな
- 藤咲いて碓氷の水の冷たさよ
- 蘆芽ほぐれて汐泡の離れゆく
- 我が影に家鴨寄り来ぬ水の春
- 岬黒み来し風前の帰雁かな
- げんげ田や鋤くあとよりの浸り水
- 雲雀落つ谷底の草平らかな
- 蒲公英の毛花吹くほどの風に立つ
- 隣から吾子呼んでをり沈丁花
- 朝寝して犬に鳴かるる幾たびも
- かざす手の血の色ぞよき啼く雲雀
- 春風や軽塵ほのと路の草
- 落花相寄るたまゆらの風ほのか
- 垣の山吹咲けばむしるよ行きずりに
- 日も春の浅間根つづる桃櫻
- 風落つるさまなき夕日照る辛夷
- 水辺ゆく心ひろしも鳴く雲雀
- 石楠花に手を触れしめず霧通ふ
- 春やゆく夜は夜わびしき路の草
- 囀りの一木が日向つくりをり
- 夕暮の水のとろりと春の風
- 壁かげの雛は常世に冷たうて
- 山の椿小鳥が二つかくれたり
- 曙や露とくとくと山桜
- 死ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり
- 豆雛が箪笥の上に忘られて
- 雛箱の紙魚きらきらと失せにけり
- 干潟遠く雲の光れる暮春かな
- 逆潮のひびき鳴門の春暮れつ
- 陽炎の草に移りし夕べかな
- 北が吹き南が吹いて暮るる春
- 天風が雲雀の声を絶つしばし
- 山桜白きが上の月夜かな
- ほくほくと馬がおり来る山桜
- 雛の節雲ひかひかとゆきにけり
- 花片の一と筋になり流れけり
- 空まろくかかり木々の芽やはらかし
- 昼深く野霞屋根に寄ゐけり
- はくれむの翳をかさねて日に対ぬ
- かすみ来ぬ芽の疾きおそき楢櫟
- 木蓮に風雨の声の昏くなる
- うつつつと雨のはくれむ瓣をとづ
- はくれむのひたすら白く夜にありぬ
- 日高しやおのづとけぶる松花粉
- ゆく春の夜の迅雷の躬にふるふ
- さくら咲き常磐木ふかき彩そふる
- 非時の雪はくれむすでに錆ふかき
- 子雀の声切々と日は昏し
- 雛仕舞ふ朝を雪吹く廂かな
- ちちこ草ははこ草野川温みたり
- 花散らふ夕風寒し山を前
- しじみ花雪のごとくに朝は冷ゆ
- 淡雪や女雛は袂うち重ね
- 春泥をゆく声のして茜さす
- はくれむや起ち居のかろき朝来り
- 焼け残る塀の日向の薺かな
- 花舞うて焦土の電車途絶えたり
- 潮泡のつぶやきを聴く春の風
- 四月馬鹿真顔さらして花のもと
- 子雀の三つかたまりて鳴けば鳴く
- 子雀をいつくしむ鞄投げ出して
- 薊咲き下田通ひの船がゆく
- 夕花菜帰漁の唄のはずみ来よ
- 塩辛にひしほに春の来にし夜ぞ
- トランプに或る夜はむつぶ春めけり
- 白れむやあしたの霜を語り過ぐ
- 白れむに夕日の金の滴れり
- あと追へるひよこにすくむ子よ麗ら
- 黙々と土塀つらなり花垂るる
- 蔭の花春蘭の香に眼を見はる
- 木蘭の崩れぬかるみ往きまどふ
- 芽木林たまたま雷の雲垂りつ
- 工場裏湫なし雨の春ゆくか
- 雲雀あがるあがる土踏む足の大きいぞ
- 岩床走る水の冷たき崖椿
- 潮あとの海月とろけつ昼霞
- 涸れ沼の芦けぶり居る野焼きかな
- 畦切れば螻夥し春の水
- 芦生ふるかぎり潮押す 朧かな
- この沢の真清水の 芹誰ぞ摘まむ
- 春風や動くともなき雲一片
- 苔水を蜂ふくみ去りふくみ去る
- 残り菜の紫深き雪間かな
- 闇の空よりちらちらと花散り来たり
- 石楠花の山気澄まして暮れゆくか
- 夜桜や空の深さに面さらす
- 木の芽の息が青空に立ち昇るなり
- 浜道や砂の下なる残り雪
- 水のなき川ばかりなる昼霞
- 夕蛙旅はさびしと誰がいへる
- 駒鳥の声水は常世に碧くして
- 山吹や庭の隅からくらくなる
- 屋根の上に凧来てをりし春の風
- 良寛さまの山への道よ巣鳥啼き
- 雛の眼の遠い空見ておはすなり
- 春雨のえにしだの素直なる青さ
- 鉄橋へ春水のかげさわがしき
- 山桑の花白ければ水応ふ
- 夢安からむ今宵蛙の諸声に
- 言問はむ真間の芦洲に啼くげげす
- 巣にくだる鷺のもろ羽の碧みさす
- 風青く鱒の子はやも人に怖づ
- 山鴬の木魂の深く雪照らふ
- 春愁の幻像失せて眠りたり
- うまご泣きやめり桜草日をふくむ
- うまごの耳の敏くなりしよ南風吹く
- 谷底に田打てる見えて一人なり
- 寒戻り雛の眠りも浅からむ
- 石楠花のまざまざと夢滅びぬる
- 山蛙けけらけけらと夜が移る
- 巌父とす大雪山の照りかすみ
- 白竜の地軸をゆする芽を誘ふ
- 鐘や響かん昼風の虻うなり
- 桑摘みの昼をもどるや雲の峰
- 闇の底に沈みゆく心鳴く蚊かな
- 打水や砂に滲みゆく樹々の影
- 蝉時雨山坊巒気とざしたり
- 山蝉や霧降る樹々の秋に似て
- 馬虻の氷室口までつき来り
- 月あらぬ空の澄みやう月見草
- 鳩啼いてひとり旅なる山の麦
- 蛍呼ぶ子の首丈けの磧草
- 水馬底藻に深さはかられず
- 日かげなき暑さに堪へて歩むなり
- 高芦に打ち込む波や青嵐
- 鳰鳴くや水も夏なる雲の影
- 泰山木の大き花かなにほひ来る
- 炎天の石光る我が眼一ぱいに
- 涼風や寄る辺もとむる蔓のさま
- 蚊に暮れし草家草家の傾ぎざま
- 甘草の花がのけぞり青薄
- 蛾打ち合ふ音にはなれて眠りたり
- 郭公やどこまで行かば人に逢はむ
- 秋近き雲の流れを簾越しかな
- 山霧に蛍きりきり吹かれたり
- 青田貫く一本の道月照らす
- 遠つ祖ここらや漕げる松涼し
- 青い蚊の髭もつてゐてつままるる
- こんこんと水は流れて花菖蒲
- 卯の花の夕べの道の谷へ落つ
- 暗きより浪寄せて来る浜納涼
- 月涼し吹かれて雲のとどまらず
- 山の月雨なき麦を照らしけり
- 行水や月に吹かるるあばら骨
- 暮れゆくや海光荒き穂麦原
- えにしだの夕べは白き別れかな
- 春蝉の声引き潮も音もなく
- 山蝉やかちりかちりと竹を伐る
- するが野や大きな富士が麦の上
- 浪の音島山の麦熟れにけり
- 照り雲や那谷の巌々白きさへ
- 梅の実の二つ三つほど家かげかな
- 月見草別れてのちの山霧は
- 夏羽織着て下町へ妻とかな
- 浅草の鰻をたべて暑かりし
- お祭の店さきの西日となりぬ
- 戻り梅雨寝てゐて肩を凝らしけり
- 牡丹見てをり天日のくらくなる
- 筍に嵯峨の山辺は曇りけり
- 夜みじかき枕に落つる山の声
- 浅間猛る日々を黄ばめり山の麦
- 河鹿啼く水打つて風消えにけり
- うぶすなの昔の榎茂れども
- よしきりの現れて啼く草嵐
- 網に入るあをさばかりや梅雨曇り
- 白凪に鼻の日焼の見られけり
- 杉の鵜が竹の鵜を呼ぶ日暮かな
- 植ゑ上げて夕べ田原のしんとしぬ
- 青し国原梅雨雲のひらかむとして
- よし雀お祭船へ啼きかはし
- 島影の常世に眠り照りかすむ
- 草蝉のあはれは硫気草あふつ
- 沖は白浪島蝉声を絶ちにけり
- 豌豆摘み下田通ひの船に佇つ
- 山蛙常磐木落葉時しらず
- はじいてもまた来る蟻に汗しけり
- 雷近く林相翳を深うしぬ
- 山宿の壁に紛らふ蛾なりけり
- 山雷や毛野の青野に人も見えず
- 天ゆ落つ華厳日輪かざしけり
- 睡蓮の花沈み今日のこと終へず
- 帰還兵病めり熟れゐる山の麦
- 飼屋妻郭公啼いてねむげなる
- ほととぎす山の節会の燈も稀に
- 夏萩の花のともしく夕すだれ
- 信濃路や田植盛りを雲さわぎ
- ふるさとへ来てうつしみの夏炉擁す
- 墓掃いて穂麦の風にむせびけり
- 小さき蟻机の縁を二度めぐりぬ
- 睡蓮にぴりぴり雷の駈りけり
- 心澄めば怒濤ぞきこゆ夏至の雨
- 雲悠かなれや五月の蝉の声
- 穂麦原日は光輪を懸けにけり
- 籠蛍ほのに照らせる薔薇白し
- 禁煙す夏至の夕べのなど永き
- 浴衣着に篁風の澄めりけり
- 忍べとのらす御声のくらし蝉しぐれ
- 雹の音こころに昏く麦ありぬ
- 降りかけの雲慌し昼の蝉
- 蚊帳吊つて外気の冷えにまどろめり
- 葉かげの蛾見出づ夕風到りけり
- 夜は秋の風鈴鳴つて月いざよふ
- うつつ寝の妻をあはれむ夜の秋
- 頼めなき妻の命よ死蛾見出づ
- 雷とどろ睡蓮は閉ぢ終んぬる
- 懶しやたわたわ沈む梅雨の蝶
- 黒南風や栗の花紐垂りしづる
- 炎天の蝶黄塵に吹かれけり
- 泥棒市のぼそぼそな木も若葉して
- 若葉曇り夜は梟の啼き合へる
- 初風の十勝国原麦は黄に
- 黴臭な夜の壁かげに圧されけり
- 夕凪や濱蜻蛉につつまれて
- ダリア大輪崩れて雷雨晴れにけり
- 鵜の嘴のつひに大鮎をのみ込んだり
- 舌さらさらといつまで残る茗荷の香
- 雨霧らふ若葉の中の椎若葉
- 一ところ風見ゆる山の青葉かな
- 山清水魂冷ゆるまで掬びけり
- 花桐の紫はしる雷雨かな
- のうぜんの暮れて色なし山の家
- ががんぼのもげたる足の本の上
- 蝙蝠や町の夕べは人くさき
- 花桐や海は音なく照りまさり
- 牡丹崩れぬ手にとつて見るべしや
- 月涼しわれは山の子浅間の子
- その昔代々木の月のほととぎす
- ほととぎすふるさとの夜の夢浅く
- 螢ゆく磧の果ての夜の雲
- 草深く道失へる暑さかな
- 藻の花に水死の夢を想ひけり
- 夏雲の伸びて暮れ来ぬ牡蠣筏
- 春蝉やはるかなりける椎の空
- 蝉や時雨れむ高津乙女が衣濯ぐ
- 濁流に花かざしゐるよ月見草
- 花氷やせて西日の深かりぬ
- 放つ蛾のきららが指紋見せにけり
- 山椒魚に真清水今も湧き流れ
- 浅間見えねばひたに聞き澄む遠郭公
- 妻病めば目の覚めがちに蚊の声す
- 花桐の香や嬌声の路阻む
- 西へ西へ吹かれ峯雲の聳ち消ゆる
- 梅雨荒れの浪に吹かれて浜鶺鴒
- 海いよよさわだち梅雨の雷近し
- 梅雨気だち薪の渋ると妻が言ふ
- 中だるみせし梅雨のわが七変化
- 日天やくらくらすなる大向日葵
- 水涼し毬藻に鱒のひらめきて
- 山蝉や雄阿寒雲を呼んで聳つ
- 山蝉の声澄み徹り散る葉あり
- 涼しさは葛飾乙女真菰刈る
- 千年の礎を吹く青嵐
- 大原女はすつすつとゆく青嵐
- 秋もはや墓門の萩の散りがてに
- 軍絵の廻り燈籠売れにけり
- 林中の宮に燈ともる野分かな
- 迎火の燃えうつりたる芒かな
- 秋海棠水引草の露けしや
- 街の燈の一列に霧うごくなり
- 秋の燈の白さ人形つくりをり
- 栂風も添ふ山鳴りや霧の中
- 蟲野来てうしろになりし水音かな
- 畑人に鳥影落つるすすきかな
- 炬火照らしゆく霧原の水音かな
- 新涼や一ト日鎖す戸の虫鳴いて
- 宵月の出汐の踊はずみ来し
- 祖母在ますごとに灯籠を吊りにけり
- 初嵐穂蘆の外に鰡飛んで
- 垂れ毛虫皆木にもどり秋の風
- 影富士の消えゆくさびしさ花芒
- 山風の涼しさ過ぎぬ満つる月
- 話声奪ふ風に野を行く天の川
- 七夕や灯さぬ舟の見えてゆく
- 盆東風に暮れて涼しき浜火かな
- 月今宵いづこにかゆく犬の魂
- 旅の日のいつまで暑き彼岸花
- 秋の日をとどめて松の響きなし
- 霧に影なげてもみづる桜かな
- 霧よ包め包めひとりは淋しきぞ
- きりぎりす夜の遠山となりゆくや
- 壁の崩れいとどが髭を振つてをり
- 焼原の日も暮れてゆく秋の風
- 焼け跡の草あれば露あげてゐる
- かたまつて金魚の暮るる秋の雨
- 柱鏡に風見えてゐる朝寒し
- 竹山の竹のひしめき天の川
- 漕ぎ出て遠き心や虫の声
- 門の菊西日の人の澄みゆける
- 一心に虫は啼くのみ日が炎えて
- 蜩やどの道も町へ下りてゐる
- 雨戸ひく時こほろぎのころげ落ちたり
- 庭の土青くなりたる月夜にて
- ころころはころころと鳴く雨の宵
- 暁深く萩おのづからみだれけり
- 燈も秋と思ひ入る夜の竹のかげ
- 有明やすすきの中の畑づくり
- けふの日の朝顔の朝ながかれや
- 児らゐねば窓に蜻蛉ねむらせつ
- 暮れてゆく秋の出水の戸口まで
- 沼楓色さす水の古りにけり
- 滝とどろとどろと桂はや散るか
- 夢がちに明けて湖霧さわぐなり
- 湖の泊りランプが泣いて夜長けれ
- 山彦のあれを呼ぶなり夕紅葉
- 東京の燈も寝頃なる天の川
- 枝さきに西日かかりて秋の風
- 秋来らむ芭蕉に雨のしばしばす
- 満月や腰が冷ゆると妻のいふ
- 草道の家かげに入り天の川
- いるか飛ぶ秋を晴れたる潮路にて
- 秋風の波たち来ればうらがなし
- 秋風の川ひろければ旅おもふ
- 畑なして向日葵は実になりゆける
- 廃園の爪紅の実をはじきなど
- 桔梗も痩せて喇嘛僧影の如し
- 湛水の夜を白々と秋闌けし
- 王宮の荒れんとすなり菊あせて
- 野分吹く白河の濁り打ち合ひつ
- 鰡獲たるその顔見せよ荻夕べ
- 七夕柳かこみ点せりをさならは
- 潮騒や七夕柳散るもあり
- 雨細き暁の芒に対ひけり
- ひとつ残りて灯籠湖をかそけくす
- 月となる洞爺の水に虫通ふ
- 蜻蛉に駒は煙を濃くしたり
- ふと覚めて旅ならぬ身に虫近し
- 秋暑く島の浜木綿花過ぎたり
- 夕三日月氷掻く音絶え間あり
- 舟虫に心遊ばせ月を待つ
- 燈照らして梵字曼荼羅冷やけき
- 照ればなほ秋ゆく竹の翳深く
- 曙の尾花むらさきふくみけり
- 虫きいてちと眠りたり颱風裡
- 洪水あとの石白く灼け鳥渡る
- 燈籠に立つ影に寄る影のあり
- 雨来り鈴虫声をたたみあへず
- こほろぎの啼く夜の星の躬に近し
- 桂紅葉原始林帯など冷たき
- 青毬を布くスロープの霧残す
- 暁のかなかな三日月われをのぞき落つ
- 虫幽かなればおのづと人語澄む
- コスモスをうまごに折りて我も愉し
- 夢殿の清閑桜もみづりぬ
- 金風の翳す仏顔ほのに笑む
- 白萩のみだれ雨ひく土昏し
- 山の田の白穂もなくて刈る日来ぬ
- 霧さがる谷間に粟を摘み暮らす
- かまきりの玻璃戸をのぼり雷うかがふ
- 赤のまま摘めるうまごに随へり
- 暇あり西日となりし干し蝗
- 秋風の厨ゆたかに今日も暮れぬ
- 積雲の崩えがちに南瓜実りたり
- 迎火やほのに霧らへる竹の奥
- 熟れ稲の香のそこはかと霧は濃き
- 秋の虹二川夕浪たてにけり
- 露時雨川音しぐれ副へりけり
- 秋立てる雲の穴目の藍に描く
- 妻死んで虫の音しげくなりし夜ぞ
- 朝顔のうつろひやすく灼け来けり
- 法師蝉啼く日となりて妻は亡し
- 朝寒くなりぬ箸とる汁の澄み
- 夕百舌に野川溢るる雨となり
- 烏瓜赤しと子らの触れゆきぬ
- 久に逢ふ顔々よ菊白く赤く
- 子爪このごろ親指にのみ秋の風
- 二三日晴れ松茸の膳に上る
- 一粒一粒柘榴の赤い実をたべる
- もみづれる木によ苔布く寂光土
- 十王の笑むとし見れば木の実落つ
- 朝顔の朝永きにも亡妻を憶ふ
- 朝顔の籬外へ垂れて人ゆき次ぐ
- 北天の稲妻に月など明かき
- 柿の味一片も歯に固きのみ
- 苦笑ひして日が落つる野分なか
- 鶏頭の倒れて燃ゆるうらがなし
- 子らの朝顔咲けば楽しく時経ちぬ
- 朝顔をつかみ蟷螂雨うかがふ
- 天神様の祭銀杏が実を撒ける
- 新涼の朝顔竹をのぼり咲く
- 秋深くなりて不気味な朝焼けす
- 秋冷えの目覚め誘うて啼く雀
- 柿喰ふや鵯の啼く音は寒しとふ
- 旅にして棉笑む風の北よりす
- 波来れば立つ巌鳥や秋の風
- あげ泥をにじりゐる蜷や野菊咲く
- かなかな遠くなりぬ虎杖の路
- 夜半の秋魚籠の石首魚鳴くくくと
- 稲田蔽ふ雲冷やかに暮れてゆく
- 草にひく我が影親し秋夕べ
- 底つ火に我が魂通ふ霧の中
- 鳴かずなんぬ月浴びさする籠の虫
- 新涼や夜のはなれゆく浜篝
- 蜻蛉猛し茜濁れる風の空
- 秋風や影としもなき石の影
- すさまじき火雲よ月の燃ゆる燃ゆる
- 浜浪や秋ゆく草に寄せ返し
- 人形の観念の眼や菊白し
- 山の声しきりに迫る花竜胆
- 彼岸花薙がば今もや胸すかむ
- 秋風や網の小鯛の十ばかり
- 尾花そよぎ富士は紫紺の翳に聳つ
- 身延の燈煌々と虫嗄れきりぬ
- 日輪病めり芙蓉の瓣の翳ふかく
- はやて雲湧くに猛りて山の鵙
- 蜻蛉追ふ子に坊主雲覗きけり
- 刺の道ゆかむとしては虫に哭く
- 颱風の過ぎし月夜を虫こぞる
- 月澄みて妻のうめきの胸抉る
- 妻あらばとぞもふ朝顔赤き咲く
- 秋風は冷たしと思ひ歩をとどむ
- かなかなに旅人われを思ふ昏し
- ともからみして朝顔の雨に耐ふ
- 夜は寒し浅間の怒り身にひびき
- 爪紅を群れめぐる雨の蜆蝶
- 苦渋いよいよ深し霖雨の芒荒れ
- 夕風や紅葉を散らす山鴉
- 寒菊を懐炉を市に求めけり
- 冬木立僧園に人ありやなし
- 電車通ふ度びの地ひびき冬籠
- 楢山時雨藪鳥なほも静まらで
- 穂拾ひの我子に暮るる寒さかな
- ぬくみなほ我れに母ある蒲団かな
- 凩や雲裏の雲夕焼くる
- 冬木中一本道を通りけり
- 大霜の枯蔓鳴らす雀かな
- 汐いつか満ちし静けさ江の落葉
- 雪このかた馬も放たぬ枯野かな
- 氷上に霰こぼして月夜かな
- 家の向き日なたとなりし冬田かな
- 氷挽く音こきこきと杉間かな
- 霜下る夜空に木々の犇めけり
- 冬木中鳥音慕うて歩きけり
- 夕千鳥一叢芦の淋しけれ
- 枇杷の花しくしく氷雨下りけり
- よれよれに枯色さしむ風の櫨
- 雪月夜蘆間の寝鳥しづまりぬ
- 雪霞野の萱骨のとげとげし
- 足袋裏を向け合うて炉の親子かな
- 萱刈りのかくて日暮らす山小春
- 風の声碧天に舞ふ木の葉かな
- 木曾路ゆく我れも旅人散る木の葉
- 大浅間ひとり日当る山冬木
- 妻も子もはや寝て山の銀河冴ゆ
- 大き月照り出づる霜の木立かな
- 枯萩の髄脈々と雨氷る
- すがりゐて草と枯れゆく冬の蠅
- 枯れ蔓のかげす櫺子の除夜の鐘
- 雪の中声あげゆくは我子かな
- お高祖頭巾のおとがひ細き火影かな
- 皆あたれ炉の火がどんと燃ゆるぞよ
- 軒の氷柱に息吹つかけて黒馬よ黒馬よ
- 暮れゆくや寒濤たたむ空の声
- 野ゆく子に余所なる冬日暮れにけり
- 顔よせて馬が暮れをり枯柏
- 氷上の積藁に通ふ鼠かな
- 丹念に炭つぐ妻の老いにけり
- 霜の声眉にかぶさる山もなし
- 目白なく日向に妻と坐りたり
- 塀添ひに風流れをり冬の月
- 雪原や落ち方の月隈見する
- 子が居ねば一日寒き畳なり
- ぎつしりの材木の底にある冬日
- 寒天の日輪にくさめしかけたり
- 吹き入りし畳みの木の葉暮れにけり
- 薬のんでは大寒の障子を見てゐる
- ほつくりと蒲団に入りて寝たりけり
- 紐足袋の昔おもへば雲がゆく
- 世に遠く浪の音する深雪かな
- 常磐木の懐に雪舞ひ入りて
- 水鳥のゐて土手をゆく心なり
- 凍らんとするひそまりの蔓のさき
- 散り紅葉拾うて見たれ捨てにける
- 立冬やとも枯れしたる藪からし
- 伏せ葱に夕三日月の影しけり
- 枯萩のむざと刈られし昨日かな
- 青天やなほ舞う雪の雪の上
- 硝子戸の片すみにある枯枝かな
- 咳入るや涙にくもるシクラメン
- 丑満の雪に覚めゐて咳殺す
- 霙るるや燈華やかなればなほ
- 枯菊を焚いて鼻澄む夕べかな
- 雪虫のゆらゆら肩を越えにけり
- 山の木の日深くなれば葉降らしぬ
- 木の雪へ車ひびかし晴れて来る
- 雲がゐる山へ田なして寒山葵
- 地の果てゆ草枯れ寄する二克山
- 舞ひ落つる葉に寄る鮠の痩せてけり
- 人込みに白き月見し十二月
- えにしだの細きにも雪つきそめし
- 田の家の今ともしける夕時雨
- 雪吹くや群をはなれし鵜二三羽
- 椅子に凭る雪白くなるしまらくを
- 時雨鳥しばし垣穂に沿へりけり
- おもふこと遠くもなりぬ風邪に寝て
- 咳呼んで牀頭月のさし来り
- 母子寮の厨に見えて葱白し
- 武蔵野や流れをはさみ葱白菜
- 鰤あぐる島の夕べを時雨けり
- 枯草のそよげどそよげど富士端しき
- 雪屋根の眉に迫れり咳をのむ
- 月あらむ櫺子明りを柚子風呂に
- 年は徂く伊豆の泊りの風荒し
- 大北風にあらがふ鷹の富士指せり
- 天城雪なし猟人北風に吹かれ去ぬ
- 帰り咲く木のあり尼僧咳秘むる
- 雀見ぬ日の久しきに土枯れぬ
- 寒雷や肋骨のごと障子ある
- 野空ゆく寒雁をまつ水はあり
- 竹の脚いよいよ細く雪霽るる
- 返り花子らが写生の外に在り
- 二羽となりて身細うしけり寒雀
- はるかなるかな雪屋根に雲浮び
- 氷砕いて子らの笑へり落つ葉なし
- 寒禽の声に日当り来ぬ憩ふ
- 立冬の山の樹騒ぐ音眼にす
- 門前の日を楽しめば時雨来つ
- 落つる葉の焚火煙りに吹かれけり
- 時雨るるや家風呂に入るも十月振
- 瓦礫なか麦の芽生えて咳きこゆ
- 風日々に冬至となりし日の黄なり
- あけぼのの光げさしふる裸の木
- 武蔵野の此処に水凝り鴨呼ばふ
- 日は遠くなり捲き返す鴨の群
- わが影の水に沈めば鴨らたつ
- 藻も枯れてあるがままなる鴨の水
- 潮騒や木の葉時雨るる夜の路
- 冬木一本立てる尾上の日を追へり
- 遠光する野の水や返り花
- 鶏犬の声す山中の返り花
- われとわが雪ゆり合へる竹数本
- もつれては宙に遊べる雪の翳
- 落葉すや木曾の塗師の門ひろく
- 停電の闇に眼をあげ落葉きく
- 枯野の路の三猿塚をよしと見き
- 落日の枯野ゆく子のうたへるや
- 潮騒の寝をなさしめず年徂く夜
- 枯草に鴨の彩羽をむしりすつ
- 山光や寒天に聳つ木一本
- 寒行太鼓時にみだるる月吹く夜
- 雪風の夜をさざめけり人形は
- ひら仮名の雀のお墓霜ざれぬ
- 山鳥に翔たれつまづく雪の嶮
- 冬の蠅二つになりぬあたたかし
- 夜明け待つ心相寄る野の焚火
- 山の灯が見えねばさびし月の冬
- 寒鰍水底の石に喰ひ入りぬ
- 雲せめぐ空に散り葉の相追へり
- 石一つ一つ光りをる霜の月
- 火鉢にかざす手の中の我が指の骨
- 誰もゐねば火鉢一つに心寄る
- 水鳥に風の木華の降ることよ
- もかもかの手袋に手をつかまれし
- 寒い月夜の岩がざぶりと浪浴びて
- ばらくづれたり師走の畳の上
- 霜の夜や枝張り合うて楢櫟
- 人形の顔も夜となる雪の声
- 夜着の中足がぬくもるまでの我れ
- 汚れつつ木蔭へ雪のちさくなり
- 鱈ちりの炭の尉たちやすき夜や
- 野焚火の四五人に空落ちかかる
- 寒風の椿の朱唇ただれたり
- 雪まろげ雪にまろびてうまごらは
- 日向道とれば木の葉のはらはらす
- もの枯るる音のたのしき日向ぼこ
- 寒菊の小菊を抱いて今日ありぬ
- わが魂を吹きさらすこの寒天ぞ
- 鶏頭しよんぼり落葉時雨の黄昏るる
- 観音の庭の紅葉は散るばかり
- 雪の層波なし華厳落ちに落つ
臼田亞浪 プロフィール
臼田 亞浪(うすだ あろう、1879年(明治12年)2月1日 - 1951年(昭和26年)11月11日)