香水瓶の菊は雪岱菊の頃 佐藤文香「菊は雪(2021)左右社」
雪岱は小村雪岱(こむら・せったい)のこと。大正から昭和初期にかけて活躍した日本画家です。二十二歳で泉鏡花の名作「日本橋」の装丁を行うなど早熟の天才でした。浮世絵の鈴木春信の影響を受けながら、どこかモダンに感じられる版画で知られます。のちに資生堂に入社し、化粧品広告なども手掛けました。掲句の香水瓶は実在し、「菊 オードパルファム」として資生堂ミュージアムで見ることができます。シンプルなガラス瓶。瓶口から肩になだらかに流れるラインを底面で鋭く切ったデザイン。菊の絵は瓶に直接焼き付けされたもの。丸の中に野菊が三輪描かれ、菊という漢字が添えられています。当時、資生堂はフランスの香水瓶のデザインに影響を受けた商品を多く製造していましたが、雪岱のものは和風で上品。誠に優美です。掲句の意味は「香水瓶の菊の模様は雪岱が描いたもの。それを見たのは菊の花が咲く頃だったなあ」こんな感じでしょうか。
さて句集の後書きで、作者自身がこの句に触れています。
「香水瓶の菊。液体である香水を取り囲む瓶に描かれた菊を、リアルの菊の季節の空気が包むという構造。それはそれとして、『香水』は俳句では夏の季語だが『香水瓶』だと季節感は薄い、『菊』は秋の季語だが瓶に描かれた菊の絵は季語にならない(とする人が多い)、『雪岱』は人名だから冬の季語の『雪』が含まれていても季語にならない。だからこの句の季語は厳密には『菊の頃』の『菊』だけで、しかし夏と冬の雰囲気も香るでしょう、という、季語と季節感に対すアイロニーの表明である」
なんと、アイロニーの句であったとは。今の時代に俳句に関わる者なら、誰でも感じている筈の季語と季節感の乖離。花屋に行けば年中見られる菊を、秋の季語に限定することに疑問を感じる人は多いと思います。作者のアイロニーは、おそらく俳句を愛すればゆえのものでしょう。
今年出版された句集の中でも、一際異彩を放つ「菊は雪」。句集のタイトルは掲句によるものであり、雪は「雪岱」の雪であると作者自身明かしています。
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