人影をとほすひとかげ迎鐘 井上弘美「汀(2008)角川SSコミュニケーションズ」
迎鐘は「六道参(ろくどうまいり)」の傍題。八月の七日から十日までの間に、京都の珍皇寺(ちんのうじ)に詣でる盆の精霊迎えの行事の鐘です。寺の所在地は平安京の火葬地であった鳥辺野の入り口。この世とあの世の境に当たると考えられてきました。普通の鐘は撞木(しゅもく)でつきますが、珍皇寺の鐘は引く。長い縄が鐘つき堂から伸びていて、引くと堂の中の鐘が鳴る仕掛けです。建物の中の鐘なので音色がくぐもります。冥土で鳴っているような余韻を響かせるのです。
掲句はこの迎鐘の行事を詠んだもの。京都出身で京の祭礼に詳しい作者らしい一句です。盆の時期には、亡き人の菩提を弔おうと鐘に長蛇の列ができます。漢字の「人影」と仮名の「ひとかげ」が使い分けられています。漢字の方は現世の人々。仮名の方は今は亡き人々でしょうか。うだるような暑さの京都の盆。夜の闇に鐘を聞きながら、生者と死者が出会うひとときがあります。見えない存在を感じさせる「ひとかげ」という言葉が胸に響きます。
さて、鐘つき堂に並ぶ祠には小野篁の像が祀られています。平安初期の公卿で、冥界と行き来し閻魔の裁判の補佐をしたという伝説の人物。寺には篁が冥土へ通ったと言われる井戸が残っています。私はかつて作者とこの寺を訪れたことがあります。井戸は二つあって、一つは冥界への入り口。もう一つは冥界からの出口。最近発見されたという出口の井戸を覗き込むと、闇の底へと引き込まれそうになりました。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」
最近の句集から選ぶ歳時記「キゴサーチ」(秋)