ほたる「螢(夏)動物」【最近の句集から選ぶ歳時記「キゴサーチ」/蜂谷一人】




生きものの水呑みに来る螢川  井上弘美「汀(2008)角川SSコミュニケーションズ」

「初夏の闇夜に、すいすいと光を放ちながら飛んでいる蛍は美しいばかりでなく、神秘的ですらある」と歳時記に。この執筆者は蛍に魅せられているのでしょう。「美しいばかりでなく、神秘的」と言葉を連ねて解説しています。古来蛍は特別な存在。平安時代の和泉式部の歌にはこう詠間れています。

物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる

「あくがる」とは魂が肉体からさまよい出るさま。「恋をすれば魂が蛍となって身体から飛び立っていくようだ」というのです。何と激しい恋の歌なのでしょうか。

昆虫でありながら、その光に心や魂といったものを感じさせる蛍。掲句は、初夏の長かった日もとうとう暮れて、水辺に夜が訪れた情景でしょう。さっきまで光っていた水面は闇に沈み、ふと青白い光が灯ります。それが蛍。

暗い水面で何かが水を飲む音が聞こえます。夜行性の動物でしょうか。生きているものは水を飲むことができます。しかし、蛍に誘われて彷徨いでた魂は、渇きを癒すことができません。蛍は次第に数を増し乱れ飛び始めます。縦横に川の表を浮遊する光。恋する魂だけなく、戦争で亡くなった方や非業の死を遂げた者たちも集まってきたのかもしれません。

ひとときが過ぎ、やがて蛍たちの群舞も収まります。川には闇が再び訪れ、魂はあるべき場所へと戻ってゆくのでしょう。蛍川は黄泉と現世を隔てる結界。背景に、古来日本人が培ってきた死生感が読み取れる一句です。

最近の句集から選ぶ歳時記「キゴサーチ」(夏)

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html






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