老鶯の思ふが儘に吾動く 生駒大祐「水界園丁(2019)港の人」
夏鶯が鳴いています。別の場所に行くと、また鳴いている。また別の場所でも。実際は、それぞれの場所で別の鶯が鳴いているのでしょう。それを作者は異なる捉え方をした。一羽の鶯が先回りして自分の行動を指示しているのだと考えたのです。それだけ、老鶯の声に人を動かす力があったということでしょう。まるで自然と交感しているような作者。寺山修司は「目つむりいても吾を統ぶ五月の鷹」と詠みました。同じように、ここでは老鶯が作者を支配しています。私が感じるのは、寺山の句と同様のみずみずしさ。感受性の研ぎ澄まされた時期に特有の危うさと輝きです。
季語は老鶯。歳時記には「高原や山岳地帯で夏になってもまだ鳴いている鶯。春を過ぎて繁殖のために山に上がってきて、まだ鳴いている鶯を老鶯と言う」と記されています。実際の老若とは関係ないのですが、老という文字が入っているだけに翁のような知恵と威厳を感じます。
さて鳥に心を通わせるとはどういうことでしょう。鳥は、地上の束縛から逃れて自由に羽ばたく存在。人には、どこまでも飛んで行ける未来を予感する時期があります。あの夏のただ一度だけの天啓のようなひとときです。
最近の句集から選ぶ歳時記「キゴサーチ」(夏)
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」