ひるね「昼寝(夏)生活」【最近の句集から選ぶ歳時記「キゴサーチ」/蜂谷一人】




神護景雲元年写経生昼寝  小澤實「瞬間(2005)角川書店」

漢字ばかりが連なる難しそうな印象の句。じんごけいうんがんねんしゃきょうせいひるね、と読みます。初めはどこで切れるのかわかりません。そもそも神護、景雲ってなに?疑問が湧いてきます。調べてみると「神護景雲」でひと続き。奈良時代の元号の一つで、767年から770年までの期間を指すそうです。四文字の元号はこれ以降使われていないとか。何か特別な事情がありそうですよね。

実は神護景雲3年に、日本史を揺るがす大事件がありました。宇佐八幡宮神託事件と呼ばれます。宇佐八幡宮より称徳天皇(女性)に対し「弓削道鏡が皇位につくべし」という神託が下されます。道鏡は女帝の病を治したことから寵愛を得、その2年前には僧籍のまま太政大臣、1年前には法王に任じられていました。神託により天皇の地位を伺おうとしたその時、和気清麻呂が即位を阻む別の神託を宇佐より持ち帰ったのです。これにより道鏡の野望はかないませんでしたが、清麻呂は配流。神護景雲とはなんともめでたそうな元号ですが、実は激動の時代であったのです。

さて掲句、神護景雲元年は道鏡が太政大臣になった年。仏法を広めるため写経を奨励したのでしょうか。写経生とは写経司と呼ばれる官庁や、東大寺などの写経所で経典の書写に従事したひとのこと。誤字脱字などは許されない神聖な仕事ですから、さぞ根をつめたことでしょう。疲れをとるための昼寝という季語が、当時の暮らしぶりを伝えてくれます。
と述べたいところですが、実はこの句は想像で作ったと作者自ら語っています。2013年放送のNHK俳句でのこと。いわく「句会で神という兼題が出た時、漢和辞典を開くと神護景雲が見つかった。写経は緊張を強いられるので昼寝をしていたに違いないと想像して作った」と。なんとまあ、これほど歴史の重みを感じさせる句が即吟であったとは。

こうした事実に私は創作の不思議を感じます。一旦発表された句は、ひとりで歩き始めます。あたかも歴史上の事件を背景に作られたように見えてきます。しかし、それが悪いことだとは少しも思いません。読む人が、句に意味を与えるからこそ名句として読み継がれてゆく。それもまた俳句という文芸の宿命の一つなのではないでしょうか。ちなみに。神護景雲4年に称徳天皇崩御。道鏡は下野に左遷されます。

最近の句集から選ぶ歳時記「キゴサーチ」(夏)

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html






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