みずはらしゅうおうし・水原秋櫻子(1892~1981)【超初心者向け俳句百科ハイクロペディア/蜂谷一人】




冬菊のまとふはおのがひかりのみ

東京帝国大学医学部出身者の「木の芽会」で俳句に親しみ、はじめは松根東洋城に、次いで「ホトトギス」の高濱虚子に師事しました。しかし、次第に虚子の提唱する客観写生に飽きたらなくなります

元々短歌に親しんでいた秋櫻子は、写生をベースにしながらも短歌的叙情を取り入れ、感動を調べによって表現しようとしました。昭和6年に「自然の真と文芸上の真」という論文を発表して虚子と決別。ホトトギス一辺倒だった俳壇に一石を投じました。その後、山口誓子らとともに新興俳句運動を担う存在となり、石田波郷、加藤楸邨らの俊英を育てた秋櫻子。今日の俳壇の多様性は、秋櫻子のおかげと言っていいでしょう。

詩人の大岡信さんは「秋櫻子の気持ちのよいところは、親分風をまったく吹かさなかったところである」と記しています。「その意味で掲句は秋櫻子の人柄そのもの。だいたい秀句といわれているものはほとんど作者の自画像的なものだ」冬菊の姿そのままに生きた秋櫻子。飾らない人柄が「おのがひかりのみ」という楚辞に現れています。さて、秋櫻子の名句をもう一つ。

瀧落ちて群青世界とどろけり

秋櫻子は造語を使う名手として知られています。掲句の群青世界が造語。滝をとりまく杉林の青を、群青世界という一語で表しました。この言葉を聞くと私には三千世界という仏教用語が思い出されます。三千世界とは、須弥山を中心に日・月・四洲・六欲天などを含んだものを一世界とし、これを千個合わせたものを小千世界、それを千個集めたものを中千世界とし、それを千個合わせたもののことだそうです。まさに宇宙の広がりを感じさせることば。群青世界というひとつの造語によって、色だけでなく宇宙の広がりまでを暗示しているようです。

高嶺星(たかねぼし)蚕飼(こがい)の村は寝しづまり  秋櫻子
麦秋の中なるが悲し聖廃墟(せいはいきょ)       秋櫻子

高嶺星、聖廃墟も造語。俳句にこうした言葉を置くとうっとうしく感じるはず。そうならないのは秋櫻子の卓越した美意識のおかげでしょうか。

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html






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