- あぢさゐやきのふの手紙はや古ぶ
- いなびかり北よりすれば北を見る
- きしきしと帯を纏(ま)きをり枯るる中
- くらがりに傷つき匂ふかりんの実
- この雪嶺わが命終に顕ちて来よ
- さびしさを日日のいのちぞ雁わたる
- つくるよりはや愛憎や木の実独楽
- わが行けば露とびかかる葛の花
- オリオンの盾新しき年に入る
- 一ところくらきをくゞる踊の輪
- 七夕や髪ぬれしまま人に逢ふΩ
- 万緑やわが額(ぬか)にある鉄格子
- 乳母車夏の怒濤によこむきに
- 仏母たりとも女人は悲し灌仏会
- 凍蝶に指ふるるまでちかづきぬ
- 夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟
- 女(め)の鹿は驚きやすし吾のみかは
- 寒月に焚火ひとひらづつのぼる
- 幣ひらひら夜も水口の神います
- 手をおけば胸あたたかし露微塵
- 日を射よと草矢もつ子をそそのかす
- 星空へ店より林檎あふれをり
- 曇り来し昆布干場の野菊かな
- 月一輪凍湖一輪光あふ
- 月光にいのち死にゆくひとと寝る
- 月光に一つの椅子を置きかふる
- 母と子のトランプ狐啼く夜なり
- 毟りたる一羽の羽毛寒月下
- 火の山の阿蘇のあら野に火かけたる
- 猟銃音殺生界に雪ふれり
- 生き堪へて身に沁むばかり藍浴衣
- 白桃に入れし刃先の種を割る
- 白炎天鉾の切尖深く許し
- 硯洗ふ墨あをあをと流れけり
- 祭笛吹くとき男佳かりける
- 罌粟ひらく髪の先まで寂しきとき
- 薔薇崩る激しき水やことの起るごと
- 蛇いでてすぐに女人に会ひにけり
- 蛇を見し眼もて彌勒を拝しけり
- 蝶蜂の如く雪渓に死なばと思ふ
- 螢籠昏ければ揺り炎えたたす
- 袋角鬱々と枝(え)を岐ちをり
- 雄鹿の前吾もあらあらしき息す
- 雪の日の浴身一指一趾愛し
- 雪はげし抱かれて息のつまりしこと
- 雪はげし書き遺すこと何ぞ多き
- 霧月夜美して一夜ぎり
- 鶏しめる男に雪が殺到す
- 鶏頭起きる野分の地より艶然と
- 鷺打たる羽毛の散華遅れ散る
- 歌かるたよみつぎてゆく読み減らしゆく
- 敵のかるた一つの歌がわが眼索く
- 羽子の音つよし竹のさわげる風の中
- つまづきし如く忘れし手毬歌
- 息かくる一と羽一と羽と羽子蘇きる
- 突き了へて羽子を天より掌に享くる
- 暮れてゆくひとつの独楽を打ちにうつ
- 白羽子に息かけ童女斜視になる
- 独楽舐るいま地に鞭うちゐしを
- 独楽舐る鉄輪の匂ひわれも知る
- 枕辺に揚げざる凧と突かざる羽子
- われとあり天を知らざるわが凧よ
- 凧・独楽・羽子寄りあふわれと遊ばずば
- 独楽とあそぶ壁に大きな影おいて
- 独楽あそび手窪のごとき地を愛し
- 頭をふつておのれ止らぬ勢ひ独楽
- 何の躊躇独楽に紐まき投げんとして
- 掌にまはる独楽の喜悦が身に伝ふ
- 掌に立ちて独楽の鉄芯吾をくすぐる
- 寝正月夢湧きつげば誰より贅
- 寝正月鶲を欲れば鶲来る
- わが起居に眼をみはるもの奴凧
- りんりんたる白破魔矢に鏃なし
- 白破魔矢武に苦しみし神達よ
- 羽のみだれ正す破魔矢に息かけて
- わが寝屋の闇の一角白破魔矢
- 養身のほとりにつよく破魔矢おく
- 日向ゐて影がまつくら手毬つく
- 羽子つよくはじきし音よ薄羽子板
- 胸高しささげし膳や雛の前
- 振返へる人美しや雛の市
- 蜆舟いつか去りたる窓の景
- 笠深の笑顔幼なし蜆売
- 春寒や砂にくひゐる桜貝
- 春寒や砂をかみたる桜貝
- 公卿若し藤に蹴鞠をそらしける
- 春潮を着きけり志摩の国に来し
- 春潮のさむき海女の業を見る
- 若布は長けて海女ゆく底ひ冥かりき
- わがために春潮深く海女ゆけり
- 若布の底に海女ゐる光り目をこらす
- 海女の髪春潮に漬じ碧く垂る
- 東風さむく海女が去りゆく息の笛
- 東風さむく海女も去りたり吾もいなむ
- 葛蔓帯の阿蘇のくにびと野火かくる
- 霾が降る阿蘇の大野に火かけたる
- 火かければ大野風たち風駆くる
- 火の山ゆひろごる野火ぞ野を駆くる
- 野におらびくにびと野火とたたかへる
- 天ちかきこの大野火をひとが守る
- 草千里野火あげ天へ傾けり
- 野火に向ひ家居の吾子をわが思へり
- 旅を来し激戦のあと燕とび
- 草青く戦趾に階が残りたる
- 春暁の路面かつかつと馬車ゆかす
- 春暁の街燈ちかく車上に過ぎ
- 幌の馬車春暁の街の角に獲し
- 春暁の外套黒き夫と車上
- 春暁のひかり背がまろき馭者とゆけり
- 春暁の靄に燐寸の火をもやす
- 春日没り塩田昏るる身のまはり
- 魚ひかり春潮比重計浸せり
- 春日昏れ塩屋の裡にベルト鳴り
- 室桜手にせりひとの葬にあふ
- 閼伽汲むと春の日中に井を鳴らす
- 墓地をゆき春の落暉に歩み入る
- 春日暮れ掘られし墓地の土をふむ
- 真夜の雛われ枕燈をひくゝとぼし
- 女の雛描かれて男の袖に倚り
- 発車する列車と歩み春日面に
- 春落暉歩廊に列車の尾も疾くなり
- 黄砂航く朱の一輪の月一夜
- 雪山に野を界られて西行忌
- 翁草野の枯色はしりぞかず
- 暁けて来るくらさ愉しく燕とゐる
- 雪白きしなのの山山燕来る
- 桜散るしなのの人の野墓よき
- 野の藤はひくきより垂り吾に垂る
- 野の愁ここだの藤を身に垂らし
- 辛夷に立ち冥き湖にも心牽かれ
- 燈ともして梅はうつむく花多き
- 二月の雲象かへざる寂しさよ
- かぎろへる遠き鉄路を子等がこゆ
- 春月の明るさをいひ且つともす
- 山吹の黄の鮮らしや一夜寝し
- 吾去りて山は蚕飼の季むかふ
- 燕来ぬ山家の障子真白に
- ひばり野やあはせる袖に日が落つる
- 水打つてけふ紅梅に夕凍てず
- 来し方や昏き椿の道おもふ
- 雨風の連翹闇の中となる
- 子とあれば吾いきいきと初蛙
- 古雛をみなの道ぞいつくしき
- 鶯やかまどは焔をしみなく
- 移り来て蕗薹のみ鮮しき
- わが住みて野辺の末黒を簷のもと
- 月いでてわが袖の辺も朧なる
- わすれ雪髪をぬらして着きにけり
- 桃たへず雫してゐるわすれ雪
- 廃園に海のまぶしき藪椿
- 春潮に指をぬらして人弔ふ
- 雨の天たしかに雲雀啼いてゐる
- なかぞらに虻のかなしさ子の熟睡
- 山吹や山水なれば流れ疾く
- 中空に音の消えてゆくつばな笛
- 金鳳華子らの遊びは野にはづむ
- 野の鹿も修二会の鐘の圏の中に
- 修二会僧女人二人のわれの前通る
- つまづきて修二会の闇を手につかむ
- 野火燃やす男は佳けどやすからず
- がうがうと七星倒る野火の上
- 野火あとに水湧く火中にても湧きし
- 初蝶に合掌のみてほぐるるばかり
- 仏母たりとも女人は悲し潅仏会
- 二月尽林中に鹿も吾も膝折り
- 野火跡を鹿群れ移る人の如
- 野火あとに雄鹿水飲む身をうつし
- 絵雛かけし壁をそのままくらがりに
- 恋猫のかへる野の星沼の星
- よこざまに恋奪ひ尾の長き猫
- 百姓の不機嫌にして桃咲けり
- 桃畑恋過ぎし猫あまたゐて
- 花折つて少女 椿より降りしばかり
- 啓蟄の土の汚れやすきを掃く
- 木瓜紅く田舎の午後のつづくなる
- 嘆かじと土掘る蜂を見てゐたり
- 雉啼くや胸ふかきより息一筋
- 夜の雨万朶の花に滲みとほる
- 足濡れてゐれば悲しき桜かな
- 過去は切れ切れ桜は房のまま落ちて
- 起りたる桜吹雪のとどまらず
- 蘇枋の紅昃る齢同じうす
- 木蓮の一枝折りぬあとは散るとも
- 春空に鞠とゞまるは落つるとき
- 咽喉疼き旅寝や燕吻づくる
- 祷りちがふ三色もてすみれ一輪なす
- 夫婦して耕土の色を変へてゆく
- どこまでも風蝶一路会ひにゆく
- 雀の巣かの紅絲をまじへをらむ
- しやぼん玉窓なき厦の壁のぼる
- 旅の椅子仔雀はいま地にゐて
- 夜具の下畳つめたき四月尽
- 童女走り春星のみな走りゐる
- 旅の歩みどんたくしやぎりに切替へる
- どんたくの仮面はづせし人の老い
- どんたく囃子玄海に燈を探せどなし
- 椿落一つの墓を涜しつづく
- 身の入れ処なし紅梅の枝尖る
- 鳥の巣拾ひ幸福載せし如く持つ
- 雪解川濁る勢ひを合しけり
- 足袋白く霞の中をなほいでず
- 雛を出す枯山つゞく枯山中
- 男女の雛枯山の日は永きかな
- 照り返す光の中に雛ほころび
- ひしめきゆく風の中にて蝶ひかる
- 蝶蜂いでて身辺ひかり夥し
- 蕊高く紅梅の花ひとつひらく
- さからへる手に春水のひびきくる
- 伽藍の屋根大日わたる恋雀
- 恋雀頭に円光をひとつづつ
- 簷色雀簷を泰しと巣藁垂れ
- 蝶が来る阿修羅合掌の他の掌に
- 近き春山もひとたび陰りし山にして
- 石山に石截り春の日を一輪
- 雪原に没る三日月を木星追ひ
- 三日月を駆りて疾しや橇の馬
- どこも雪解稚子より赤き毬ころがり
- 階下に手斧の音雪どんどん解くる
- 紙漉女と語る水音絶間なし
- 一夜の床敷きくるる乙女雪崩音
- 信濃雪解口をそゝぎて天美し
- 鱗甘し雪解千曲の荒鯉なり
- 母のどこか掴みてどれも雪焼け子
- 赤き雪下駄見てそのをとめを見上げる
- 千木の屋根重しや雪消ざる家
- 山バスも春水も疾し平地恋ひ
- 雪解の泉飲まむとすれば天うつる
- ランプの焔ペロリとゆがむまた雪崩れる
- 雪崩音暮るれば明きランプの辺
- 吾待たで諏訪の大湖凍解けたり
- 寝ね足りぬ紅梅は蕊朝日に向け
- 雪解鳩よろこぶこゑを胸ごもらせ
- 卒業歌弾くこの家のをとめまだ吾見ず
- 信濃いま蘇枋紅梅氷解くる湖
- 諏訪のうなぎ氷解けて捕られ吾食うぶ
- 桜大枝刃もて截りしすがしさ
- 春嵐鳩飛ぶ翅を張りづめに
- 四方の扉を閉して静かに春の塔
- 生いつまで桜をもつて日を裏む
- 手がとゞくかなしさ桜折りとりぬ
- 春の暮白き障子を光とし
- 流水と関る藤が色に出て
- 子がつくりし干潟砂城潮満ち来
- 卒業近しバスケットボールはづむを掴み
- 切株ばかり鶯のこだまを待つ
- 蝶食ひし山蟻を許すか殺すか
- 枯崖に雨鶯の鳴きしあと
- ばらばらに漕いで若布刈の舟散らず
- 海人の掌窪棘だつ雲丹の珠が截り
- 子が駆け入る家春潮が裏に透く
- たんぽぽの金環いま幸福載せ
- 潮潜るまで海女が身の濡れいとふ
- 海女舟に在り泳げざる身をまかせ
- 鎌遁れし若布が海女の身にからむ
- あはび採る底の海女にはいたはりなし
- 海女潜り雲丹を捧げ来若布を抱き来
- 南風吹けば海壊れると海女歎く
- 産みし乳産まざる乳海女かげろふ
- 海女あがり来るかげろふがとびつけり
- かげろふを海女の太脚ふみしづめ
- 平砂に胸乳海女の濡身伏せ
- 春の日がじりじり鹹き身が乾く
- 青葉木菟記憶の先の先鮮か
- 草炎や一歯を欠きし口閉づる
- 春の蝉こゑ鮮しくしては継ぎ
- 牡丹百花衰ふる刻どつと来る
- 春の日の木樵また新しき株
- 手繰る藤素直に寄り来藤ちぎる
- 鶯の必死の誘ひ夕渓に
- 地上に母立つぴしぴしと椿折る
- 西の日に紅顕ち来るや貴妃桜
- 渦潮見る断崖上のわが背丈よ
- 波あげて鵜岩の孤独わだなかに
- 渦潮に対ふこの大き寂しさは
- 燈台守よぎたつ渦潮汝とへだつ
- 渦潮の圏にて鵜岩鵜を翔らす
- 渦潮去る香を奪はれし髪そゝけ
- 南風の迫門渦潮の刻解かれ
- 春夜解纜しづかに陸を退けて
- 春夜解纜それ以後潮のたぎちづめ
- 春夜解纜陸の燈ひとつだに蹤き来ず
- 幾転舵春潮の舳に行方あり
- 春夜どの岬ぞ吾を呼ぶ燈台は
- また転舵春夜の寄港短くして
- 海風に尾羽を全開恋雀
- 毛を刈る間羊に言葉かけとほす
- かなしき声羊腹毛刈られをり
- 羊毛刈る膝下に荒きけものの息
- 羊毛刈る人とけものの夕日影
- 毛刈り了ふ赤膚羊がかたまり啼き
- 羊啼く毛を刈る鋏またあやまち
- 花しどみ老いにしあらず曇るなり
- 入りゆくや落葉松未知の青籠めて
- 草木瓜は紅きがゆゑに狐寄らず
- 旅ゆく肩落葉松の風草の風
- 背を凭せて風がひびける芽落葉松
- 紅鱗をかさねて何の玉芽なる
- 花しどみ倚れば花より花こぼれ
- 残雪光岩に石斧を研ぎたりき
- 赤土籠めの埴輪おもへばしどみ朱に
- 花しどみ火を獲し民の代の炉焦げ
- 雪解犀川千曲の静にたぎち入る
- よろこびに合へり雪解の犀千曲
- 雪解犀川砂洲を見せては瀬を頒つ
- こゑ出さばたちまち寂し雪解砂洲
- 假橋にて雪解水嵩に直かに触れ
- 假橋にて雪解犀川鳴りとほす
- ひざついて雪解千曲をひきよせる
- 雪解落合ふ嬉々たる波欝たる波
- 犀・千曲雪解を合はす底ひまで
- 眼の前の雪解千曲かちわたらず
- 雪代の光れば天に日ありけり
- 紫雲英打つ木曾の青天細き下
- りんりんと海坂張つて春の岬
- 海の鴉椿林の内部知る
- 椿林天透きてそこ風疾し
- 一人の遍路容れて遍路の群増えず
- かりかりと春の塩田塩凝らす
- 一丈のかげろう塩田に働きて
- 黒々とかげろふ塩田方一里
- 出来塩の熱きを老の掌より賜ぶ
- 沼みどり瞳しぼつて恋の猫
- 暮れ際に茜さしたり藤の房
- 藤昏るる刻の浪費をし尽して
- 切れ切れに雨降る藤の低きより
- 藤の房寄りあひ雨のだだ濡れに
- やはらかき藤房の尖額に来る
- 梢まで藤房重し一樹立つ
- 渦の迫門翅あれば鴉の翔けつづけ
- 渦潮に乗りゆく何の躊躇もなし
- 渦潮を乗り切るときに後退して
- 躊躇許さずはや舳を責むる渦の潮
- 渦潮を脱せし船体白波敷き
- 荒鎌の刈り若布を逸す疾潮に
- 疾潮に逸せし刈り若布惜しと立つ
- 渦潮と落ちゆく舵輪いつぱいに
- 梅渓に赤土露出せる一断崖
- ひきよせてはつしと放つ梅青枝
- 吾等去つて木魂しづまる梅の渓
- 鶯や火を欲りて立つ崖の枯れ
- 鶯や山拓く火に昂りて
- 蝶の翅ひたひた粗朶の永乾き
- 桃桜野良ごゑ出せば胴ひびき
- 負ひ帰る海髪の滴り濡れついで
- 四方風樹仔雀を地に置放し
- 岩山を蝶越ゆ吾も幸福追ふ
- 薄明界蝶は眼よりも翅信じ
- 春雷のあとの奈落に寝がへりす
- 薪能枝を入日に枯櫻
- 咽喉笛を女面の下に薪能
- 薪能執しあひつつ二タ火焔
- 薪能雑色のみに火の熱気
- 薪能火焔熱しと眼に観じ
- 薪能悔過の女面を火の粉責め
- 目つむれば鉦と鼓のみや壬生念仏
- 壬生念仏とても女なればみめよき面
- 壬生念仏身振りの手足語りづめ
- 壬生念仏「喰はれ子」鬼に抱へられ
- 炮烙割れし微塵の微塵壬生念仏
- 春の日を壬生念仏が索きとどむ
- 天に蝶壬生念仏の褪せ衣
- つづみうつ肉手丁々都踊
- 修学旅行緘黙紅き都踊
- 火がついて修二会松明たちまち惨
- 火の修二会闇に女人を結界して
- 修二会の闇われ方尺の女座を得て
- 桟窓格子透きてへだてて修二会女座
- 火を滴々修二会松明炎えほろぶ
- 刻みじかし走りて駆けて修二会僧
- 修二会走る走る女人をおきざりに
- 飴ふくむつばとくとくと修二会の闇
- 一睡さめ身が覚めきつて修二会女座
- 水散華火散華修二会僧たのしや
- 西天に赫きオリオン修二会後夜
- 椿華鬘重し花蕊をつらぬきて
- 落椿くもる地上の今日の紅
- 二タ雲雀鳴きあふ低き天もたのし
- 散りづめの桜盲眼もつて生く
- 嘴こぼる雀の愛語伽藍消え
- 生きてゆく時の切れ目よ藤垂りて
- 静臥の上巣つくり雀しやべりづめ
- おとろへて生あざやかや桜八重
- 蝶蜂の薊静臥の主花として
- 降る雨が浸まず流れて二月の地
- 昆虫の肢節焼野の灰ぼこり
- 土に憩ひ眼にほろがれる野焼黒
- 恋負け猫ずつぷり濡れて吾に帰る
- 山中に恋猫のわが猫のこゑ
- 土筆の頭遠くに人も円光負ふ
- 近くして静かな修羅場昼山火
- 北天の春星の粗に北斗の鉾
- 桜吹雪ござ一枚の上に踊る
- 疲れ知らぬ韓鼓どどどど桜の山
- 青き踏む試歩よ大きく輪を描いて
- いくらでもあるよひとりのわらび採り
- 風吹いて帰路の白道わらび採り
- 誕生仏立つ一本の黒き杭
- 熱灰の焼野日輪直射して
- 崖山吹倉暗黒の覗き窓
- 罪障のごとしその根の落椿
- 藤の森日曜画家に妻のこゑ
- わが頭上無視して藤の房盗む
- 藤盗む樹上少女の細脛よ
- 女を飾る木よりぬすみし藤をもて
- 藤盗みし足をぬらして森を出る
- 花会式造花いのちありて褪せ
- 手をつけば土筆ぞくぞく大地面
- 燦と燭良雄忌はまた主税忌よ
- 大石悼む低き鴨居のその低きも
- 大石忌仮恋とても恋佳きぞ
- 大石の死の刻春日この位置に
- 老の妓の笛座ゆづらず大石忌
- 投げ独楽の遠くにまはる吾と遊び
- 親よりも頭勝ちむつくり巣立鳥
- 泉の円一方切つて流れ出す
- 鈍男野焼きしことに勇みをり
- 紅椿直哉が捨てし涸れ筧
- 桜の下喪の髪にピンいくつも挿し
- 花万朶しづもるや喪の重き如
- 桜寒む生死の境くつきりと
- 桜見てひとり酌む酒手向け酒
- げんげ畑そこにも三鬼呼べば来る
- 花万朶皮膚のごとくに喪服着て
- 眼にあまる万朶の桜生き残る
- 喪服着て花の間いそぐ生き残り
- 桜寒む熱き白湯飲み生一途
- 日をつつむ西方桜死は遠し
- 踏み込んで大地が固しげんげ畑
- げんげ畑坐ればげんげ密ならず
- 蝶翅をつかへり風の群れ来るに
- 寒き戒壇人が恋しくなりて降る
- みごもりて盗みて食ひて猫走る
- 捨仔猫見捨てし罪を負ひ帰る
- 病院のガラス春雲後続なし
- 春の河夜半に大阪ネオン消す
- ガラス透く春月創が痛み出す
- 晩春やベッドの谷に附添婦
- 一羽鳩春日を二羽となり帰る
- 風に乗る揚羽の蝶の静止して
- 死ぬ日はいつか在りいま牡丹雪降る
- たんぽぽの花大いさよ蝦夷の夏
- 夏川や根ごと流るゝ大朽木
- 灯をめぐる大蛾のかげや蚊帳くらき
- 濃むらさきもぐ手そむかや茄子のつゆ
- 茄子もぐや草履にふみし草の丈
- 夏の夜や驟雨くるらし樹々の風
- 化粧ひしも我眉はけし夏の宵
- 夏寒しくれてつきたる山の駅
- 霧の港北緯五十度なり着きぬ
- 船航くに北海夏の日に照らず
- 波荒く港といへど蕗繁り
- 樺を焚きわれ等迎ふる夏炉なり
- フレップの涯なき野に雲流れ
- フレップの実はほろにがし野に食ぶ
- 積雲も練習船も夏白き
- 南風つよし綱ひけよ張れ三角帆
- 百千の帆綱が南風にみだれなき
- 帆を統べて檣は南風の天に鳴る
- 白南風や練習船は舳にも帆を
- 練習生帆綱の上ぞ南風に堪へ
- 南風の船並み帆の上に帆を張れる
- 練習船白南風の帆を並めて航く
- 若人等幾日ぞ南風鳴る帆の下に
- 巻き雲が尾をひき並び夕焼けぬ
- 月見草地の夕焼が去りゆきぬ
- 月見草雲の夕焼が地を照らす
- 高波のくだくる光り月見草
- 月見草闇馴れたれば船見ゆる
- 白波の沖よりたてり波乗りに
- 波乗りに青き六連嶋が垣なせり
- 波に乗れば沖ゆく船も吾に親し
- 波の乗り陸の青山より高し
- 波に乗れば高波空を走るなり
- 波乗りに暮れゆく波の藍が濃き
- 龍舌蘭咲きて大きな旱来ぬ
- 龍舌蘭灼けたる地に葉を這す
- 高き葉ゆ蜥蜴の尾垂り龍舌蘭
- 龍舌蘭の花日輪を炎えしめぬ
- 龍舌蘭旱天の花驕り立つ
- 龍舌蘭夏天の銀河夜々濃ゆし
- 牡丹照り二上山ここに裾をひく
- 牡丹照り女峰男峰とかさなれる
- 牡丹照り廚の噴井鳴りあふる
- 花舗くらく春日に碧き日覆せり
- 薔薇欲しと来つれば花舗の花に迷はず
- 薔薇を撰り花舗のくらきをわすれたる
- 花舗いでゝ街ゆき薔薇が手にまぶし
- 病院の匂ひ抱ける薔薇のにほひ
- 薔薇にほひあさきねぶりのひとがさめぬ
- 激戦のあと夏草のすでに生ひぬ
- 船長も舵手も夏服よごれなき
- 羅針盤しづけし雷火たばしるに
- 地下涼し炎日の香は身に残り
- 電気時計涼しき地下の時を指す
- 走輪去り地下響音を断ちて涼し
- 闇に現れ鵜篝並めて落し来る
- 鵜のあはれ鵜縄の張ればひかれたる
- 篝もえ舳のつかれ鵜を片照らす
- あぢさゐの夕焼天にうつりたる
- 蝙蝠は天の高きに飛びて焼けぬ
- 蝙蝠は夕焼消ゆる地を翔くる
- 蝙蝠の飛びてみとりの燈も濃きよ
- 蝙蝠を闇に見たりきみとる夜半
- 霧あをし紫陽花霧に花をこぞり
- 霧ごもり額の濃瑠璃が部屋に咲く
- 炉火すゞし山のホテルは梁をあらは
- 霧にほひホテル夕餐の燈がぬくき
- 百合にうづみ骸の髪生きてゐる
- 百合匂ひ看護婦は死の髪を梳く
- 百合そへしなつかしき死の髪に触る
- 若人の葬ぞ炎ゆる日をかゝげ
- 母に遺す一高の帽白き百合
- 夜光虫星天海を照らさざる
- 夜光虫火星が赫く波に懸る
- 夜光虫垂直の舳を高く航く
- 夜光虫夜の舷に吾は倚る
- 夜光虫さびしや天の星を見る
- 捕虫網子等は穂わたをかゆがれる
- 捕虫網草原に且つ青かりき
- 捕虫網草原の日に出て焼くる
- 樹々にほひ更衣のあした嵐せり
- あらはれて高架走輪新樹に入る
- 雨あれて緑陰の椅子部屋にある
- 騎馬南風に駆り来て波に乗り入れず
- 向日葵に天よりあつき光来る
- 向日葵の蕚たくましく日に向へり
- 向日葵は火照りはげしく昏てれゐる
- 向日葵に夜の髪垂りてしづくせる
- 渡御まちぬ夕の赤光河にながれ
- 渡御の舟みあかしくらくすぎませる
- 地の籠に枇杷採りあふれなほ運ばる
- 枇杷のもと農婦とあつき枇杷すする
- 栗の花日に熟れ草に農婦等と
- 草に寝て栗の照花額にする
- 大阿蘇の波なす青野夜もあをき
- 子がたてりこの野の蛍掌にとぼし
- 蛍籠子等が匂はせ地にも飛ぶ
- 蛍火が掌をもれひとをくらくする
- 莨の葉蛍をらしめ列車いづ
- 青草の草千里浜天さびし
- 駆くる野馬夏野の青にかくれなし
- 青牧に中岳霧を降ろし来る
- 日輪に青野の霧が粗く降る
- 霧ゆきて炎ゆる日輪をかくさざる
- 夏雲に胸たくましき野馬駆くる
- 夏雲に昂る野馬が野を駆くる
- 熔岩を攀ぢ夏青山を四方に見ず
- 霧巻くに炎ゆる日輪懸りたる
- 岩燕泥濘たぎち火口なり
- 火口壁灼くるに人を見し驚き
- 火噴くとき夏日を天に失へり
- 噴煙は灼くる天搏ち巻き降る
- 神の火に対ひ炎日を忘れたり
- 噴煙の熱風に身を纏かれたり
- 新樹荒れタキシー水漬きつつ駆くる
- 新樹荒れ埠頭の鉄路浪駆けり
- 夏潮の青さ絨毯をふみて船室
- 銀河濃し無電の部屋へ階をのぼる
- 船檣に夏夜の星座ゆるる愉しさ
- 夏暁のオリオンを地に船着けり
- 夜の軽羅硬きナプキンを手にひらく
- 遠花火夜の髪梳きて長崎に
- 海燕歩廊に青き海暁けたり
- 連絡船峡の青嶺が灼け迫る
- 青林檎噛みつつひとは海に向へり
- 夏潮に航送の貨車車輪あらは
- 貨物船油流しつつ朝焼くる
- 船繋り夏潮段をなして落つ
- 港見るうしろに青き蚊帳吊られ
- 青き蚊帳熟睡の吾子とならび寝む
- 青き蚊帳ひとの家にも吊られゐる
- 日覆ふかく疲れ港の照るを瞳に
- 面を過ぐる機関車の灼け旅はじまる
- 潮騒を身ちかく火蛾と海渡る
- ひとの家に実桜熟るる一夜寝し
- 夏潮の滾ち真白くはや舳のゆれ
- 真日灼くる渦潮を直に船航けり
- 南風碧く渦潮の面を駆け過ぐる
- 渦潮を過ぎ来て南風に舳をかはす
- 短艇甲板燬くる静けさ日も航けり
- 雷鳴下匂ひはげしく百合俯向く
- 郭公を暁にきゝそれより寝き
- 言とぎれ面に夏雲たゞ照るのみ
- 林中の夕焼よめる書には来ず
- 夜草刈蠍の星はしづみたり
- 天昏れて草原いつまでも蒼き
- 青野来し砲車の車輪湖荒るる
- 車輪の中遠き青野の山が移る
- 夏草野砲車の車輪川渡る
- 砲車ゆく青愛鷹山を野にひくく
- 夕焼くるかの雲のもとひと待たむ
- 夕焼雲鉄路は昏るる峡に入る
- 南風吹く湖のさびしさ身に一と日
- 子を負へる子のみしなのの梨すもも
- 五月野の雲の速きをひと寂しむ
- 掌に熱き粥の清しさ夏やせて
- 蕗畑のひかり身にしつなつかしき
- 牡丹にあひはげしき木曾の雨に逢ふ
- ひとをかへすおだまきの雨止むまじく
- 薄荷の葉噛んで子供等雨が降る
- おだまきやどの子も誰も子を負ひて
- 入学の一と月経たる紫雲英道
- 薄荷の葉噛みて唇巒気ひゆ
- 牡丹照るしづけさに仔馬立ねむる
- 牡丹照り鷄は卵を抱きをり
- 花あふち梢のさやぎしづまらぬ
- どくだみの白妙梅雨の一日昏る
- こがね虫吾子音読の燈をうちうつ
- 学ぶ子に暁四時の油蝉
- はまなすの紅姨捨も霧に過ぎ
- 髪匂ふことも親しく蛍の夜
- いづこにもいたどりの紅木曾に泊つ
- 足袋買ふや木曾の坂町夏祭
- ほととぎす暁の闇紺青に
- ほととぎす新墾に火を走らする
- い寝さめて武蔵野の穹合歓の穹
- 鹿の斑の夏うるはしや愁ふまじ
- 菜殻火のけむりますぐに昏るるなり
- 田植季わが雨傘もみどりなす
- ほととぎす髪をみどりに子の睡り
- ほととぎす夜の髪を梳きゐたりけり
- 灯のもるる蕗真青に降り出しぬ
- 簾戸入れて我家のくらさ野の青さ
- 雨の沼蛍火ひとつ光り流れ
- ひと日臥し卯の花腐し美しや
- 夜光虫舳波の湧けば燃ゆるなり
- 枇杷買ふて舷梯のぼる夜の雨
- 仄かにも渦ながれゆく夜光虫
- 花栗の伐らるる音を身にし立つ
- 樹々伐られ夏嶽園に迫り聳つ
- 月燦々樹を伐られたる花栗に
- 花栗の枝ふりかぶり斧うちうつ
- 生々と切り株にほふ雲の峰
- 炎天の清しき人の汗を見る
- 炎天の清々しさよ鉄線花
- 紫蘇しぼりしぼりて母の恋ひしかり
- もの書けるひと日は指を紫蘇にそめ
- 蛍火のこぼれて小石照らさるる
- 濃き墨のかはきやすさよ青嵐
- 青芒月いでて人帰すなり
- 青萱に月さして尚雨はげし
- 蛇を見し眼もて弥勒を拝しけり
- 吾去ればみ仏の前蛇遊ぶ
- ゆきすがる片戸の隙も麦の金
- 手に拾ひ金色はしる麦一と穂
- 北庭に下りて得たりし蝸牛
- 仔鹿駆くること嬉しくて母離る
- 万緑やおどろきやすき仔鹿ゐて
- 袋角指触れねども熱きなり
- 袋角神の憂鬱極りぬ
- 袋角森ゆきゆきて傷つきぬ
- いたどりの一節の紅に旅曇る
- いそがざるものありや牡丹に雨かかる
- 旅の手の夏みかんむきなほ汚る
- 花栗に寄りしばかりに香にまみる
- 敷かれたるハンカチ心素直に坐す
- 驟雨の中歩幅あはされゐたりけり
- 夕焼に柵して住む煙突を出し
- 死が近し翼を以て蝶降り来
- 旅了らむ燈下に黒き金魚浮き
- 枕せば蚊ごゑ横引くひとの家
- 言葉のあと花椎の香の満ちてくる
- 花椎やもとより独りもの言はず
- 花椎の香に偽りを言はしめし
- 夜の雨より飛び入りし蛾の濡れてもゐず
- いとけなく植田となりてなびきをり
- 梅雨の藻よ恋しきものの如く寄る
- 厚板の帯の黴より過去けぶる
- 海南風死に到るまで茶色の瞳
- あぢさゐが藍となりゆく夜来る如
- 蟇いでて女あるじと見えけり
- 更衣水にうつりていそぎつつ
- ひと聴きて吾きかざりしほととぎす
- 衣更雀の羽音あざやかに
- ほととぎす新しき息継にけり
- 麦秋や乳児に噛まれし乳の創
- 麦刈が立ちて遠山恋ひにけり
- 雀斑をとめ野の麦熟れは極まりし
- 麦束をよべの処女のごとく抱く
- 菜殻火は妻寝し方ぞ沖の漁夫
- 青梅の犇く記憶に夫立てり
- 百合折らむにはあまりに夜の迫りをり
- 何うつさむとするや碧眼万緑に
- 黴の中一間青蚊帳ともりけり
- 濡れ髪を蚊帳くぐるとき低くする
- 松高き限りを凌霄咲きのぼる
- 僧恋うて僧憎しや額の花
- こがね虫朝は殺さず嘆きけり
- 翡翠の飛ばねばものに執しをり
- くらがりに捨てし髪切虫が啼く
- 髪切虫押へ啼かしめ悲しくなる
- うつむきてゐるは髪切虫と遊ぶ
- わがそばに夜蝉を猫が啼かし啼かし
- 青みどろ蛇ゆきし跡さらになし
- 蟻地獄孤独地獄のつづきけり
- 断崖へ来てひたのぼる蛍火は
- 蛍籠昏ければ揺り炎えたたす
- 水鶏笛吹けばくひなの思い切
- 蟻走りとゞまりて走り蟻に会ふ
- 隠るゝもの青蛇の尾のなほ余る
- 人来るひとり蜈蚣を押へゐれば
- 毛虫焼く焔が触るるものを焼く
- 愛されずして油虫ひかり翔つ
- 熱砂ばかりもし青蜥蜴失なはゞ
- 日盛りや脚老い立てる一羽鶴
- 甲虫しゆうしゆう啼くをもてあそぶ
- 拾ひたる空蝉指にすがりつく
- 炎天や雀降りくる貌昏く
- 隠れ了ふせしと思ひゐるや瑠璃蜥蜴
- 一夜経て朝蛾行方を失へり
- 乳母車夏の怒涛によこむきに
- 雲の峰立ちてのぞける乳母車
- 夏氷童女の掌にてとけやまず
- 帰りゆく人のみ子等と蝸牛
- 後髪涼しき子かな母へかへす
- 寝冷子の大きな瞳に見送られ
- 日焼童子洗ふやうらがへしうらがへし
- 啼きひびく蝉を裸子より受けとる
- 裸子をいかに抱かむ泣きわめくを
- 女童泣き男童抱く虹の下
- 夏雲の立ちたつ伽藍童女うた
- 童女うた伽藍片陰しそめけり
- 日を射つて草やつぎつぎ失へり
- 燦々とをとめ樹上に枇杷すゝる
- 枝にあるをとめの脚や枇杷をもぐ
- 枇杷を吸ふをとめまぶしき顔をする
- 牛飼のわが友五月来りけり
- 草矢射る山の子草矢射らすは吾
- 虹新し田にてをとめの濡れとほる
- 八方へゆきたし青田の中に立つ
- 炎天に松の香はげし斧うつたび
- 炎天の梯子昏きにかつぎ入る
- 薔薇色の雲の峰より郵便夫
- 暑の中に吾をうつさず鏡立つ
- 祭太鼓うちてやめずもやまずあれ
- 爪立てども切れたる虹のつながれず
- ゆくもまたかへるも祇園囃子の中
- われもまたゆきてまぎれん祇園囃子の中
- 髪白く笛息ふかきまつりびと
- 鉾囃子高くくらきに笛吹く群れ
- 祭笛吹とき男佳かりける
- 祭笛うしろ姿のひた吹ける
- 生き堪へ身に沁むばかり藍浴衣
- 潮汲のゆきて夏濤に小さくなる
- 夏潮の二つの桶を肩にかけ
- 蝉声や吾を睡らし吾を急き
- 歎きゐて虹濃き刻を逸したり
- 咳しつつ遠賀の蘆原旅ゆけり
- 青蘆原をんなの一生透きとほる
- 水底の明るさ目高みごもれり
- 吾に気づきてより翡翠の気鋒損じ
- 滝道や小幅の水がいそぎゆく
- 蛍火が過ふとき掌中の蛍もゆ
- 葭雀松をつかみて啼きつづくる
- 髪乾かず遠くに蛇の衣懸る
- 日盛りの墓かげ濃しや吾を容れ
- 草静か刃をすゝめる草刈女
- 人への愛憎午前の蝉午後の蝉
- 時計直り来たれり家を露とりまく
- 松蝉の中に帰り来こゝよしと
- 青蜥蜴吾ゆかねば墓乾きをらむ
- 帯ゆるく片蔭をゆくもの同士
- 洗ひ浴衣ひとりの膝を折りまげて
- 髪につく蟻緑蔭も憩はれず
- 青蚊帳の粗さつめたさ我家なる
- 真夜起きゐし吾を油虫が愕く
- 青螳螂燈に来て隙間だらけの身
- 倒るるも傾くも向日葵ばかりの群
- ひとつぶを食べて欠きたる葡萄の房
- 額碧し聞きたる道をすぐ忘れ
- 七月の蛍ひと訪ふまたこの季
- 巣があれば素直に蜂を通はせる
- 仔鹿追ひきていつか野の湿地ふむ
- 踊りゆく踊りの指のさす方へ
- 衣更前もうしろも風に満ち
- 衣更老いまでの日の永きかな
- 駅燈に照らされて巣の燕寝し
- 旅のひざ仔猫三つの重さぬくさ
- 単衣着て足に夕日のさしゐたり
- 蓮散華美しきものまた壊る
- 飛燕のした母牛に乳溜りつゝ
- 嫗の身風に単衣のふくらみがち
- 炎天や笑ひしこゑのすぐになし
- 踊り唄終りを始めにくりかへし
- 夏書の筆措けば乾きて背くなり
- ひしひしと声なき青田行手に満ち
- 舷燈の一穂に火蛾海渡る
- 万緑や石橋に馬乗り鎮むる
- トンネルに眼つむる伊賀は万緑にて
- 明けて覚めをりひとの家の蚊帳に透き
- 蛍火の一翔つよく月よぎる
- 急流を泳ぎ切り若き全身見す
- 青き吉野泳ぐ百姓淵に透き
- 尻あげて泳ぎ吉野の川に育つ
- 吉野青し泳ぐとぬぎし草刈女
- 泉の底明し顔浸け眼ひらけば
- 待つ長し電線つかみ仔燕等
- 老い髪の仲間隅まで青あらし
- 斑猫が紅青をもて惑はせり
- 馴れざる水に金魚の尾鰭ひらく
- 踊り唄遠しそこよりあゆみ来て
- 百足虫の頭くだきし鋏まだ手にす
- みどりの島へ舷梯懸るわたりけり
- あぢさゐのくれなゐ潮路来りけり
- 思ひ切り西日の舵輪まきかへす
- 夏雲航く地上のことを語りつづけ
- 巣燕を見しこと遠し天翔けつゝ
- 灼くる翼その上に重き無限の碧
- 夏の雲天航く玻璃に露凝らす
- 夏の雲翼とゞまるゆるされず
- 夏天航く四ツ葉プロペラ健かなり
- 灼くる翼ゆれつゝ平らたもちつゝ
- 双翼が地上の梅雨の暗さに入る
- 天降りて青野に車輪ぐゝと触る
- 青櫨が蔽ひ久女の窓昏む
- 鑰はづし入る万緑の一つの扉
- 万緑やわが額にある鉄格子
- 一切忘却眼前に菜殻火燃ゆ
- 菜殻火の火蛾をいたみ久女いたむ
- つぎつぎに菜殻火燃ゆる久女のため
- 菜殻火や入日の中に焔もゆ
- 万緑下浄き歯並を見せて閉づ
- 佛花としてアマリリスの花八方向く
- 僧苑や咲く罌粟散る罌粟罌粟に充ち
- 一族の墓乾く泉遠く遠く
- 甃坂にすくむ頭勝ちの捨仔猫
- 龍舌蘭どこにでも腰おろして旅
- 万緑や霧笛どの窓からも入る
- 鎧扉ひらく青きあぢさゐ青き枇杷
- アマリリス跣足の童女のはだしの音
- 糊かたき彌撒ベールに農の日焼
- 西日の玻璃神父に赤光孤児に紫光
- 汗の雀斑少年聖歌隊解かれ
- すでに日焼少年聖歌隊匂へり
- 日焼子の涎が念珠の一つ一つに
- ただ黒き十字架朝焼雀らよ
- 同じ黒髪梅雨じめる神父と子等
- 梅雨の床子等へ聖書を口うつしに
- 石塊として梅雨ぬるる天使と獣
- 梅雨の廃壇石塊の黙天使の黙
- 梅雨に広肩石のヨハネの顔欠けて
- 寄りゆけば寄り来夏野の牛と吾
- 牛達の夜床野の草まだ短く
- 肉桂の香がする夏野の仔牛ねむし
- 放馬と寝たし夏野はるかに発破音
- 噴く火見えず青き低山牛遊びて
- 熔岩を積む道標熔岩の野の夕焼
- 熔岩に汗しおのれの歩みあゆみつゞくる
- 夕焼くる嶺が聚る火の山へ
- 夕焼鴉熔岩野の寂に降りられず
- 母燕細し炎天へ翔けいづるとき
- 汗の荷を胸に背に分け歩き出す
- をどりの衆眉目わかたず影揃ふ
- 男をんな夜の砂擦つてをどりの足
- 夜の崖に水打つ胸をぬらす如
- 麻衾暁ごうごうの雨被る
- 老いも緑袋のものを出して喰べ
- 道よぎる蜥蜴や和するに難き行
- 毛虫焼く焔このとき孤独でなし
- 考ふる瞼の裡も緑さし
- 赤毛大瞳誰に似しかもよ麦負ふ子
- 麦刈の薬罐が日のぬくさまでさめ
- 麦を負ふ母金色の夕の餓ゑ
- 鵜の餓ゑどき西日徹して荒鵜籠
- 家に西日鵜匠もろとも田楽刺
- 鵜川暮れず何に生れつぐ白水泡
- 老い鵜「彦丸」内輪歩きに暮れざる川
- 篝火に眼窪頬窪鵜の匠
- のどふくらむ鵜にて引かるる縄つよし
- 疲れ甘ゆ鵜の鳥鵜じまひはかどらず
- かをかをと疲れ鵜鵜綱ひきずつて
- べたべたと篝おとろへ鵜のつかれ
- つかれ鵜おこゑごゑ鵜匠きゝわけて
- 鵜じまひや鵜匠折れ身に鵜を抱きて
- 人声よりきちきち勁し宮址掘る
- 炎天の礎石に老眼鏡発掘者
- 宮址発掘す傍観の日傘の影
- 埴輪出土炎天に歓喜のこゑ短く
- 郭公や明さとなるか北の蒼
- 遁走によき距離蛇も吾も遁ぐ
- 炎天の鵜や遠かける羽づかひ
- いたどりの酸さを渋さを弟に教せ
- 炎天下鉦が冴え音のチンドン屋
- わが夜床火虫に新参の青蛾加ふ
- 長路来て泉さそへば足浸ける
- 泉に足行く手の長路頭に白らけ
- 泉に入れ胸腹熱き碧蜥蜴
- 手をついて深淵の静滝わすれ
- 五月白き八ヶ嶽聳つを日常にて
- 天界に雪渓として尾をわかつ
- 双眼鏡天上界に白嶺混み
- 双眼鏡いつぱいの白嶽にて遠し
- 欲れば手に五月の雪嶺母の傍
- 孤つ身のいよよ孤つに白穂高
- 五月白嶺恋ひ近づけば嶺も寄る
- 八ケ嶽聳てり斑雪近膚吾に見せ
- みづから霧湧き阿弥陀嶺天がくる
- そのいのち短しとせず高野の虹
- 轍曲る五月高野の木の根つこ
- 天ちかき高野の轍黍芽立つ
- 雪嶺と童女五月高野のかがやけり
- 白穂高待ちし茜を見せざりき
- 目を凝らす宙のつめたさ昼半月
- 五月の凍み童女の髪の根の密に
- 母の鵙翔ちて地上の巣を知らるな
- 行々子高野いづこか葭ありて
- 八つ嶽に雪牡丹に雨のふりそそぐ
- 五月高原よれば焚火の焔がわかれ
- 青木曽川堰きて一つ気にまた放つ
- 五月空真白くのぞき木曾の駒嶽
- 雪嶺の赤恵那として夕日中
- ひと年会ふひつは知らずに虹を負ひ
- 鉄棒にさかしまたぎつ青吉野
- 吉野青山檜山修羅場を袈裟懸けに
- 高鳴つて鵜の瀬暮るるに遅れたり
- 腋も黒し鵜飼の装に吾を裹む
- 腕長の鵜飼の装に身を緊むる
- 狩の刻荒鵜手縄をみな結はれ
- 手縄結はるる不安馴れし鵜とても見す
- 鵜の篝夜の殺生の明々と
- 鵜篝の火花やすでに棹さし出
- 友鵜舟焔危し瀬に乗りて
- 狩場にて鵜の修羅篝したたりづめ
- 男壮りの鵜の匠にて火の粉の中
- 鵜舟に在りわが身の火の粉うちはらひ
- かうかうと身しぼる叱咤鵜の匠
- 瀬落すや手縄曳かれて鵜が転び
- 早瀬ゆく鵜綱のもつれもつるるまま
- 中乗や男の腰緊り鵜舟漕ぐ
- 索かるるもまた安からむ手縄の鵜
- 鵜匠の眼火の粉になやむ吾を見る
- 鵜舟に在る女面を篝襲ひづめ
- 彼方にて焔はげしき友鵜舟
- こゑとどかぬ遠さの火焔友鵜舟
- 友鵜舟離るればまた孤つ火よ
- 一炎やおのが狩場に鵜を照らし
- 鵜の篝倚せゐて崖の胸焦がす
- 鵜舟にあり一切事闇に距て
- 寝髪にほふ鵜篝の火をくぐり来て
- 鵜篝の火の臭の髪解き放つ
- わがゆく道くらし鵜篝いま過ぎゆく
- 鵜舟過ぎしあとに夜振の小妖精
- 念々に紅焔靡く二タ鵜舟
- 二羽のゐて鵜の嘴あはす嘴甘きか
- 仔鹿の脚雨の水輪に急かれをり
- 破損仏緑光堂の隙割つて
- ものをいふ老顔の口緑さす
- 薔薇崩る切るに躊躇の長かりき
- 一切の混沌青嵐矢つぎばや
- 蜘蛛の囲の蝶がもがくに蝶が寄る
- 泉湧きあふる歓喜は静かならず
- 泰山木ひらき即ち古びに入る
- 旅人はものなめげたり沙羅落花
- 沙羅双樹ぬかづくにあらず花拾ふ
- 夏行秘苑泉のこゑに許されて
- 沙羅落花傷を無視してその白視る
- 沙羅双樹茂蔭肩身容れるほど
- 夏行秘苑僧の生身のねむたげに
- 「脚下照顧」かなぶんぶんが裏がへり
- 一燭の饒舌夏行の僧の眼に
- 夏行秘苑指しびる清水魚生きて
- 風騒ぐ緑蔭の幹背を凭せ
- 草あらし香を奪はれて百合おとろふ
- 濃夕焼泥田をいでず泥夫婦
- 囲の蝶のもがきに蜘蛛のともゆれる
- 菖蒲園かがむうしろも花暮れて
- 万緑の中層々と贋アカシア
- 梅雨泥の靴裏汝の寝つづかしめ
- 西日の仮睡汝の荷汝をかばひ
- 森いでて女たる隠さず新毛鹿
- 穂草八方いづこかに仔鹿が隠れ
- 袋角脈々と血の管通ふ
- 農婦帰る青田をいでて青田中
- 太鼓の音とびだす祇園囃子より
- 鉾の稚児袖あげ舞ひて衣装勝ち
- 炎天の眼に漲りて鉾の紅
- 眼前の鉾の絢爛過ぎゆくもの
- 鉾の後姿ゴブラン皇妃灼け放題
- 地車止り祗園囃子のとどこほる
- 鉾曲る前輪ぎぎと梃子を噛み
- 鉾過ぎし炎天架線工夫吊り
- 帰り山車走せて徒足脛揃ひ
- 砂利採りが砂利にまぎれて木曽青し
- 鮎の底流木曽となる荒性見せ
- 昼寝部落よ屋根にみな石重く
- 杏子熟れ落つ飛騨つ子の重瞼
- 青田豊年定紋頑と飛騨の倉
- 山のバス驟雨に合歓の紅の惨
- 緑山中下りがあつて車輪疾し
- 靴に踏み固しもろしこれが雪渓
- 一瞬の日にも柔らぎ雪渓照る
- 雪渓に手袋ぬぎて何を得し
- 大雪渓太陽恋ひの面あぐる
- 雪渓にひろふ昆虫の片翅を
- 残りて汚れて雪渓日曝し霧曝し
- 摂理の罅走る雪渓滅びのとき
- 霧の嶽上わが背に鳴るはわが翼
- 身伏せれば地ややぬくし霧押しくる
- 霧去つて魔王嶽南雪渓垂り
- 死を遁れミルクは甘し炉はぬくし
- 炉にかはき額にかたまる霧の髪
- 青林檎の青さ孤絶の山小屋に
- 豪雨中雪渓真白以て怺ふ
- 雪渓がごつそり痩せて豪雨晴れ
- 登山荘煙吐き吐く我らこもり
- 避難下山負はれて老いの顔高く
- 花桐や城址虚しき高さ保つ
- 密集の金魚に選別手網入れる
- まくらせる北の空にてほととぎす
- 暁の雨蛙また枕ひびく
- ひた翔くるこゑほととぎす鳴いて過ぐ
- 仰臥する胸ほととぎす縦横に
- 噴き出づる汗もて汗の身を潔め
- 麦の秋無縁の墓に名をとどめ
- 十薬の匂ひにおのれひき据ゑる
- 炎天に冥きこゑごゑ蜂巣箱
- 翅のうなりが蜂の存在青裾野
- 近づき過ぎバスに由布岳青胴のみ
- 青双丘乳房と名づけ開拓民
- 湖底に合す鶴見青裾由布青裾
- 昼浴衣地獄げむりを身に纏きて
- 過去見るかに老婆泉を長眺め
- 蜜まづき花のかぼちやに遠来し蜂
- 青嵐ガラス戸ひらき何招ず
- 青嵐危ふきときは身を屈し
- 青嵐静臥の椅子に身を縛し
- 眼つむれば泉の誘ひひたすらなる
- 静臥飽く流泉のこゑ蜂のこゑ
- ほととぎす叫びをおのが在処とす
- 病院の壁に囚はれ祭囃子
- 鉄格子天神祭押しよせる
- 土中より筍老いたる夫婦の財
- 筍の穴が地軸の暗さ見す
- 筍と老婆その影むらさきに
- 田を植ゑてあがるや泳ぎ着きし如
- 妻の紅眼にする田植づかれのとき
- 男女入れ依然暗黒木下闇
- 仔の鹿と出会いがしらのともはにかみ
- 梅壺の底の暗さよ祖母・母・われ
- 一粒一粒漬梅かさね壺口まで
- 漬梅を封ぜし壺を撫でいとしむ
- 漬梅と女の言葉壺に封ず
- 金銀を封ぜし如き梅壺よ
- 梅干を封ぜし壺のなぜ肩よ
- 透ける簾に草炎の崖へだつ
- 七月の光が重し蝶の翅
- 十代の手足熱砂に身を埋め
- 海昃りはつと影消す砂日傘
- けふの果紅の峰雲海に立つ
- 乳母車帰る峰雲ばら色に
- 華麗なるたいくつ時間ばらの園
- 爛熟のばら園時間滞る
- らん塾のばら園天へ蠅脱す
- 姉妹同じ声音蝉鳴く中に会ひ
- 籐椅子が四つ四人姉妹会ふ
- 蝉声に高音加はる死は遠し
- 女やすむとき干梅の香が通る
- 紅き梅コロナの炎ゆる直下に干す
- 甲虫飛んで弱尻見せにけり
- 西日浄土干梅に塩結晶す
- 吾去れば夏草の領白毫寺
- 鵜飼見る盲ひ鵜匠と顔並べ
- 鵜舟より火花とびくる盲鵜匠
- かなしき距て鵜篝と盲鵜匠
- 盲鵜匠疲れ鵜羽うつ翼風
- 出陣の稚き眉目の武者人形
- 牡丹畑日熱りのいま入り難し
- わが寝屋に出でし百足虫は必殺す
- 百足虫殺さむとすわれの力頼み
- 雨風に巣藁のなびき法華尼寺
- くろがねの甲虫死して掌に軽し
- 悲しき夏百日のはじめの日
- わが髪にぶんぶんもつれ啼きわめく
- 蜥蜴食ひ猫ねんごろに身を舐める
- 炎天下夫婦遍路の白二点
- 書を曝す中に紅惨戦絵図
- うとみ見る我丈ほどの女郎花
- 露草や郵便めてる門の坂
- 山裾や萩の見え来し海の色
- 萩の風葉うらかへして渡りけり
- 裏門の石段しづむ秋の潮
- 花葛のひきおろされてあらけなや
- 濃き淡き霧の流れや目のあたり
- 乗捨てし駕まだ見ゆれ霧の中
- 新涼の沼にうつりて流れ雲
- 山霧の下りて色濃き野菊かな
- 深々と磐石しづむや草もみじ
- 月光にこぎ入る舟の影ありぬ
- 野菊折るや地獄温泉けむりながれくる
- 硬き角あはせて男鹿たたかへる
- 鹿啼きてホテルは夜の炉がもゆる
- わがまつげ霧にまばたき海燕
- 海彦のゐて答へゐる霧笛かな
- アベマリア秋夜をねまる子がいへり
- 山荘やわが来て葛に夜々燈す
- 花葛の濃きむらさきも簾をへだつ
- ひぐらしや絨毯青く山に住む
- 月照りて野山があをき魂送り
- 月の砂照りてはてなき魂送り
- わが袂磯砂にある魂送り
- 月光にもゆる送り火魂送り
- おぼえなき父のみ魂もわが送る
- 浦人の送り火波に焚きのこる
- 送り火が並び浦曲を夜にゑがく
- 曼殊沙華咲きて日輪衰へず
- 曼殊沙華折りたる手にぞ火立もゆ
- 曼殊沙華火立の花瓣うづまける
- 野路ゆきて華鬘つくらな曼珠沙華
- 曼殊沙華折りて露草わすれたる
- 曼殊沙華日はじりじりと襟を灼く
- 曼殊沙華日は灼けつつも空澄めり
- 茎たかく華もえ澄めり曼殊沙華
- 曼珠沙華みとりの妻として生きる
- ひと日臥し庭の真萩もすでに夕べ
- 青き蛾のとびた夜が来ぬひと日臥し
- 秋の蚊帳枕燈ひくくよみて寝ず
- 曼珠沙華身ぢかきものを焼くけぶり
- 曼殊沙華多摩の翠微をけぶらしぬ
- 曼珠沙華はふりのけぶり地よりたつ
- 曼殊沙華灼熱の骨を灰にひらふ
- 曼殊沙華はふりの車輪をふれぬ
- 颱風過しづかに寝ねて死にちかき
- 死にちかき面に寄り月の光るをいひぬ
- 月光は美し吾は死に侍りぬ
- 夫うづむ真白き菊をちぎりたり
- 菊白く死の髪豊かなりかなし
- 忌に籠り野の曼殊沙華ここに咲けり
- 曼珠沙華咲くとつぶやきひとり堪ゆ
- 曼珠沙華あしたは白き露が凝る
- 露のあさ帯も真黒く喪の衣なり
- 曼珠沙華けふ衰へぬ花をこぞり
- 長崎の暗き橋ゆき遠花火
- 埠頭の燈去りゆき霧の航につく
- あかつきの舷燈よごれ霧をゆく
- 霧を航き汽笛の中を子が駆くる
- 霧を航き船晩餐の燈を惜しまず
- 船室も霧寝台の帳ひきて寝る
- いなづまを負ひし一瞬の顔なりき
- いなびかり想ひはまたもくりかへす
- 火のまつりくらき燈火を家に吊り
- 火祭の道よりひくく蚊帳吊られ
- 火まつりの戸口にちかく子がねまり
- 火のまつり子等は寝ねしか町に見ず
- 火祭の戸毎ぞ荒らぶ火に仕ふ
- 湖をへだて火まつりの火がおとろふる
- 火祭のその夜の野山月に青く
- 霧昏れて落葉松にゐし吾よばる
- いなづまに落葉松の幹たちならぶ
- 熔岩野来て秋風の中に身を置ける
- 秋空と熔岩野涯なし歩みゐる
- 熔岩の原薊を黒く咲かしむる
- 富士薊日輪に翳するものなし
- 熔岩の砂熱きを掬び掌をもるる
- 地を翔くる秋燕ひとりの道かへる
- 羅針盤平らに銀河弧をなせり
- 羅針ともり天球銀河の尾を垂らす
- 海晦くいなづま船橋を透せり
- いなびかり船橋にひくき言かはす
- 富士薊野のいなづまにかくれなき
- 寝られねば野のいなづまを顔にする
- 月照りて野の露ひとをゆかしめず
- ひとを送り野のいなづまに衝たれ立つ
- 虫の声かさなり四方の野より来る
- 露けくて富士は朝焼野にうつす
- 曼殊沙華吾が疲るゝに炎えつきず
- ひとりゐて露けき星をふりかぶる
- ひとの肩蟋蟀の声流れゐる
- 鵙啼けりひとと在る時かくて過ぐ
- 機銃やみ一本の桔梗露に立つ
- 霧降れば霧に炉を焚きいのち護る
- 霧の中おのが身細き吾亦紅
- 花売りの擬宝珠ばかり信濃をとめ
- 十六夜はわが寝る刻を草に照る
- ひと去りしいなづまの夜ぞ母子の夜
- ひとの子を濃霧にかへす吾亦紅
- 暁殊に露けき蚊帳ぞ子のねむり
- わかれ蚊帳母子に五位の声つばら
- 露の楢夜はわが燈に幹ぬれて
- 母と子に夜も木の実の落ちしきる
- 黒姫も落暉負ふ山燕去る
- 数歩にして狐のかみそり草隠る
- 白露や花を尽さぬ鳥かぶと
- 虹消えて荒磯に鉄路残りたる
- 秋の蝶きりぎしのもといそぎつつ
- いわし雲忌日きのふに過ぎゆける
- 鶏頭の花のみ視野にしてひさし
- 睡られぬ月明き夜のつづくなる
- きりぎりす日が射せるより露あつく
- 膝前に秋炉もえつく山の日々
- 草照りて十六夜雲を離れたり
- 青胡桃地にぬくもりて拾はるる
- 青栗にしなのの空がすき透る
- いなびかりひとゐて炉火を更けしめず
- わがひざに小猫がぬくしいなびかり
- ひざ前に炉火が燃えつぐきりぎりす
- 朝刊のつめたさ螽斯が歩み寄る
- 牛乳飲みに日日や秋立つ切通し
- 母と子に落葉の焔すぐ尽きぬ
- あさがほや家をめぐりて十数歩
- 鳥兜花尽さぬに我等去る
- 道の辺に捨蚕の白さ信濃去る
- 日が射せる秋の蚊遣や忌を訪はる
- いなびかりつひに我灯も消しにけり
- 走り出て湖汲む少女いなびかり
- 秋燕にしなのの祭湖荒れて
- 草の中ひたすすみゆく秋の風
- 雀ゐてどんぐり落ちる落ちる
- 木の実落つわかれの言葉短くも
- 曼殊沙華ひそかに息をととのふる
- 早稲の香のしむばかりなる旅の袖
- 筆洗ふ蜩とみに減りしよと
- 増面に八日の月の落ちかかる
- 角あはす雄鹿かなしき道の端
- 木犀の香や縫ひつぎて七夜なる
- 後の月縫ひ上げし衣かたはらに
- つゆじもや発つ足袋しろくはきかふる
- 砂をゆく歩々の深さよ天の川
- 濤ひびく障子の中の秋夜かな
- 天の川今滝なせり産声を
- 草の穂を走るいなづま字を習ふ
- 鰯雲旅を忘れしにはあらず
- 曼珠沙華塔得し道の楽しさに
- 秋風や耳朶を熱くしひとの前
- 曼珠沙華海なき国をいでず住む
- 曼珠沙華さめたる夢に真紅なり
- 白露や穂草茫茫ちかよれず
- 着きてすぐわかれの言葉霧の夜
- 門司と読み海霧巻ける街に出る
- 夜の霧に部屋得て窓に港の燈
- 宿ありて夜霧博多の町帰る
- 秋蝶に猫美しく老いにけり
- 秋雨にわかれの言葉まだいはず
- 船まつや不知火の海蝗とび
- 旅の髪洗ふや夜霧町をこめ
- 荒園の又美しやいわし雲
- 柚を垂らす秋刀魚筑紫の旅了る
- 霧がくる一輪の日や沼施餓鬼
- 沼波の青沁むべしや施餓鬼幡
- 沼施餓鬼蟹はひそかによこぎりて
- 珈琲濃しあさがほの紺けふ多く
- 蘆の笛吹きあひて音を異にする
- 子がねむる重さ花火の夜がつづく
- 梶の葉の文字瑞々と書かれけり
- いなびかり病めば櫛など枕もと
- いなびかり医師の背よりわがあびぬ
- いなびかり寝しまま髪を梳きくるる
- うちそとに月の萩むら門を鎖す
- 頭のみ見えて雀が野分中
- づぶ濡れて野分の雀われ覗く
- 病み臥して夜々のいなづま身にあびる
- 蜂の巣にめつきり朝は秋日ざし
- ひぐらしのしぶけるごとく湖暮るる
- 夜の障子木犀の香のとどこほる
- われに来る木犀の香をひとよぎり
- 木犀のにほひの中に忌日来る
- みじろげば木犀の香たちのぼる
- 曼殊沙華忌日の入日とどまらず
- 曼殊沙華海を渡りてなほ鉄路
- 曼珠沙華けふは旅なる吾にもゆ
- 曼殊沙華駅々に咲き旅遠き
- さそり座をかかげ余して露の宿
- 出水して町に秋燕啼き溜る
- 踏切を流れ退く秋出水
- 蟹の碧秋の出水の町に見る
- 秋燕や高き帆柱町に泊つ
- 息あらき雄鹿が立つは切なけれ
- 背を地にすりて妻恋ふ鹿なりけり
- 寝姿の夫恋ふ鹿か後肢抱き
- 女の鹿は驚きやすし吾のみかは
- にはたずみ鹿跳び遁げてまた雲充つ
- 隠るゝ如茗荷の花を土に掘る
- さかしまに螳螂よこのまゝ暮るゝか
- いなびかり毛ものゝ背に手触れゐて
- けさよりいくたび秋蝶通る崖の傷
- 秋の蝶沼の上にて逢ふものなし
- いなずまの野より帰りし猫を抱く
- 野分の家蝶ゐて薄暮過ぎにけり
- はたはた飛ぶ地を離るゝは愉しからむ
- ゆきあひて眼も合さずよ野分蝶
- 蟷螂のおのが枯色飛びて知る
- 暮れて鳴く百舌鳥よ汝は何告げたき
- 踊りゆくどこまでも同じ輪の上を
- 堪ゆることばかり朝顔日々に紺
- 泣きたれど朝顔の紺破るべし
- 朝顔は紺折りたたむひらく前
- 一束の地の迎火に照らさるる
- 流燈を灯して抱くかりそめに
- 焔の中蓮燈籠の燃ゆるなり
- 連れ立ちて百姓低し天の川
- 七夕や同じ姿に農夫老い
- いなびかり遅れて沼の光りけり
- 地の窪すぐにあふるゝいなびかり
- わが行方いなづましては闢きけり
- いなづまの触れざりしかば覚めまじを
- 双の掌をこぼれて了ふいなびかり
- いなずまのあとにて衿をかきあはす
- いなびかりひとの言葉の切れ切れて
- いなづまの息つく間なし妬心もつ
- 燈の消えて野にあるごときいなびかり
- 一燈なく唐招提寺月明に
- 野の猫が月の伽藍をぬけとほる
- 月天へ塔は裳階をかさねゆく
- 月光に朱うばはれず柱立つ
- 月光にいまも黒髪老いつつあらむ
- 忌日眼に見ゆるちかさに青野分
- 忌日ある九月に入りぬ蝶燕
- 麻衾暁の手足を裹み余さず
- 日の中にゐて露冷えに迫らるる
- 曼珠沙華咲けば悲願のごとく祈る
- 曼珠沙華からむ藁より指をぬく
- 昏くして雨ふりかかる曼珠沙華
- 瀬を流るゝとき曼殊沙華のもつれとけず
- 仏足に一本の曼珠沙華を横たふ
- 秋燕となりて一日天にばかり
- 秋の蝶吾過ぐるとき翅ゆるめよ
- 霧中にみな隠れゆく燈も隠る
- いなずまに誘はれ飛びて蝶はづかし
- 頭あぐればかなしさ集ふ野分あと
- 白露やわが在りし椅子あたゝかに
- 荒百舌鳥や涙たまれば泣きにけり
- 百舌鳥の下みな雨ぬれし墓ばかり
- 墓と共に花野に隠れゐたかりし
- 傘いつも前風ふせぎ雨の百舌鳥
- 秋風や鶺鴒二つ飛びたる日
- 断崖や激しき百舌鳥に支へられ
- 叫びても翅濡る雨の百舌鳥なれば
- 老いよとや赤き林檎を掌に享くる
- 伏目に読む睫毛幼し露育つ
- 露の中つむじ二つを子が戴く
- 人の背をふと恃みたる穂草の野
- 白露や鋼の如き香をもてり
- 露けき中竃火胸にもえつづけ
- 虫鳴く中露置く中夫死なせし
- 露霜や死まで黒髪大切に
- 露万朶幼きピアノの音が飛ぶ飛ぶ
- 椎の実の見えざれど竿うてば落つ
- 海彦の答へず霧笛かけめぐる
- 高まりつゝ野分濤来るはや砕けよ
- 野分濤群れ來る歓喜生き継ぐべき
- 沼の上に来て二星の逢ひにけり
- 七夕流す沼水流れざるものを
- いそぐほど銀河の流れさからひて
- 秋風にあさがほひらく紺張りて
- 髪を梳きうつむくときのちちろ虫
- ぬれ髪にちちろは何を告げゐるや
- 吾に近き波はいそげり秋の川
- 母と子の間白露の幾千万
- 秋風に筝をよこたふ戦経て
- 三日月に死の家ありて水を打つ
- 沼水に捨てし秋蛾のそえぞれ浮く
- 霧月夜美しくして一夜ぎり
- 穂草野に雀斑を濃く従へり
- 木の実独楽ひとつおろかに背が高き
- ひと死して小説了る炉の胡桃
- 握りもつ山栗ひとつ訣れ来し
- 山の子が独楽をつくるよ冬は来る
- 此処去らじ木の実落ちてはころがる
- 掌の木の実ひとに孤独をのぞかるゝ
- 没せむとしては顔あぐ青野分
- いなづまの薔薇色徹る雲の峰
- 寒蝉啼くひとつびとつが語尾を曳き
- 師の前に野分来し髪そのまゝなる
- 刈田にて白鷺あらそふ姿と影
- 黄菊白菊作者いま白に触れ
- 黄菊にむかふ一切の彩しりぞけ
- 紅玉の霧の日落つる祖母の唄
- 瀬をくぐりふたたび曼珠沙華が浮く
- 吾なしに夫ゐる曼殊沙華を流す
- 猛かりし鵙よ隻翼拡げて見る
- 鱗雲ことごとく紅どこから暮る
- 櫨採唄なぜ櫨採の子となりしと
- 噴井の水遁げをり葡萄作りの留守
- 乳足り子を地におき葡萄採りいそぐ
- 葡萄畑男が走り日の斑ゆれ
- 葡萄樹下処女身に充つ酸さ甘さ
- 葡萄の房切るたび鋏の鉄にほふ
- 鶏頭もゆ疲れしときを臥し隠れ
- 穴まどゐ身の紅鱗をなげきけり
- 汽車を乗り継ぐ月光の地に降りて
- 霧に鳩歩む信濃に着きしなり
- 霧寒きとき信濃川わたりゐたり
- 畑の樹の林檎幾百顆にて曇る
- 林檎にかけし梯子が空へぬける
- 林檎の樹のぼりやすくて処女のぼる
- 青胡桃ひろへり墓地の土つきしを
- 秋野の汽笛波立つ千曲渡り来て
- 秋風や地底よりなる熔岩の隙
- こほろぎやもとより深き熔岩の隙
- こほろぎが生きをるこゑをよびかはす
- 胸先にくろき富士立つ秋の暮
- 天暮るる綿虫が地に着くまでに
- 椎どんぐり海龍王寺ぬけとほる
- 秋刀魚競る渦に女声の切れつぱし
- 秋刀魚競場旅の肩身の吹きさらし
- 秋刀魚市場風蝶の羽むだづかひ
- 秋刀魚競る忘れホースの水走り
- 鮪またぎ老いのがにまた競りおとす
- 鮪競る興奮をもて老いのたゝら
- 故国野分大漁旗のひらきつぱなし
- 野分濤繋かれる中の遠洋漁船
- 野分浪さなくとも旅衣しめりやすし
- おのが蜜柑山にて長脛行く自在
- 蜜柑の枝折りひゞかせるおのが山
- 大足に傾斜踏まへて蜜柑採る
- 立木より立ちてむさぼる蜜柑の肉
- 長脛をがくがく蜜柑負ひ下る
- 蜜柑担く重さに押され山下る
- 蜜柑負ふ背が眼の高さわが前に
- 樹齢五十蜜柑千顆を黄に照らし
- 蜜柑照る丘葛城の眠りを前
- くつわ虫激ち一夜に一生懸け
- くつわ虫歴とわが影燈を負ひて
- 露の吊橋「一橋一車」ならば許す
- 法師蝉友蝉ゐねばこゑとぎれ
- 右眼病めば左眼に青き野分充つ
- むんむんと子の香を率ゐ霧の教師
- 鮎下り尽きし瀬の夜を鳴り徹す
- わが立てる岩より秋水また下る
- 木犀や記憶を死まで追ひつめる
- 暗黒に水たぎらして廃れ簗
- 絶対安静眦に鵙の天
- 白炎と見しは太白露の塔
- 露晒し日晒しの石桔梗咲く
- 閼伽水のながれの尖が吾にくる
- 切子点く寂光濾せる紙の質
- 真の闇切子が山蛾欲りつ獲つ
- 火蛾生死切子内界さしのぞく
- 切子火蛾よぶ殺生戒の身におもしろ
- 火蛾よべる切子より吾貪欲に
- 山蛾食ひ切子ふたたび明もどす
- 切子貪欲一山蛾族翔け参じ
- 切子長尾ただにしづまり燈が暗し
- 切子燈籠うしろが明しまわりて見る
- 火蛾捨身涜れ涜れて大切子
- 施餓鬼舟黒煙を吐く船に曳かれ
- 施餓鬼の波芥引寄せ引放つ
- 海までの穢川の舟に偕に乗り
- 施餓鬼舟より享けよと紅き毬流す
- 施餓鬼卒塔婆流す入日の波寄り来る
- 裏返り穢川に施餓鬼卒塔婆の白
- 施餓鬼幡鉄打つ音にうなだれづめ
- 落日に群衆が透く川施餓鬼
- 施餓鬼僧蝙蝠の両つ袖ひろげ
- 柿盗りの蹠に老の樹のよき瘤
- 柿盗りを全樹の柿がうちかこみ
- 柘榴の裂けすでに継げざるまで深く
- 茸山に入る身を細め身を屈し
- これが茸山うつうつ暗く冷やかに
- いまは花野決壊の傷天に懸け
- わが比叡比良と嶺わかつ秋の空
- はるかに光る秋の川来るか行くか
- 不断燈鬱々夏を遣り過す
- 北谷に立てば北空法師蝉
- 仏燈や火蛾の翅粉をただよはす
- 老いて醜き白川女頭に秋草
- 白露行身袖ひつかく有刺線
- 石窟仏蜂の出入に有刺線
- 秋晴より蜂がかへり来石窟佛
- 石窟仏秋蚊に女血たつぷり
- なきがらの蜂に黄の縞黒の縞
- 秋晴に仏の石窟口ひらく
- 岬に土ありて藷づる引けば藷
- 礁の道女藷担く肩かへては
- 子の干柿口より享けて口濡れる
- 廃馬ならず花野に手綱ひきずつて
- 踏みゆるめばすぐに低音稲扱機
- 豊年や走れば負ひ子四肢をどる
- 三つ星がオリオン緊める新ラ刈田
- 乳母車坂下りきつて秋天下
- 噴水を白らめ川霧とどこほる
- 走馬燈昼のからくり風にまはる
- 九月来箸をつかんでまた生きる
- 九月の地蹠ぴつたり生きて立つ
- 虫のこゑベッド鉄脚つつぱつて
- ちちろ虫寝よ寝よとこゑ切らず
- 深青の天のクレパスうろこ雲
- 人恋へり鱗つばらにうろこ雲
- 起きて見る木床秋日が煮つまつて
- 軽々と抱きて移さる秋日和
- 紅き実がぎつしり柘榴どこ割つても
- 深裂けの柘榴一粒だにこぼれず
- 雀・仔猫病院やつと露乾く
- 点滴注射遠く遠くに木の実落つ
- 露ベッド人の言葉を瞼で享け
- 雁のこゑわが六尺のベッド過ぐ
- 柿・栗吾にもたらし食べよ食べよ
- 秋の蝶病院のどの屋根越え来し
- 病室に柿色かたまる柿もらひ
- をどり太鼓すりばち沼に打ちこんで
- をどり衆地上をよしと足擦つて
- をどりの輪つよし男ゐて女ゐて
- かの老婆まためぐりくるをどりくる
- 夜の土に腰唄はずにをどらずに
- 尽きぬをどりおきて帰るや来た道を
- をどり太鼓びんびん沼がはね反す
- 子が持つて赤蝋赤光地蔵盆
- わが燭の遅れ加はる地蔵盆
- 曼荼羅の虫の音崖の下に寝て
- 郭公に刻をゆづるよ暁ひぐらし
- 試歩を寄す秋天ふかき水たまり
- 翅立てて蝶秋風をやり過す
- 蜂さされ子に稲を刈る母の濃つば
- 月遅し木星が出て海照らす
- 流れ急どかつと曼珠沙華捨つる
- 障子貼るひとり刃のあるものつかひ
- 障子貼る刃ものぬれ紙よく切れて
- 鳥渡る群ばらばらに且つ散らず
- 猫走る白斑野分の暮れんとして
- 野分の燈鳴かぬちちろがうつむきて
- うろこ雲声出すことを禁じられ
- いのち守る秋の簾を地上まで
- 月祀る起きて坐りて月に照り
- 蜻蛉の翅枯葉のごとく指ばさむ
- 指の間に枯葉の音す蜻蛉の翅
- 角伐り場土壇場へ鹿追込めり
- 角伐り場血ぬれて土が傷つけり
- 角重し生きし鹿より伐りとつて
- 鋸の歯に鹿角最後まで硬し
- 走り去る男鹿男の角失ひて
- 斎かれて鹿の伐り角枝交す
- 角伐り場解きたるあとは野の平ら
- 角伐り場虹がかかりて凄惨に
- 柴漬の舟あらはれぬ窓の景
- 窓の海今日も荒れゐる煖炉かな
- 初雪や椋鳥あそぶ広芝生
- 慈善鍋みかんの皮のふかれゆく
- 早鞆の風おさまりし暖炉かな
- 咲きみちし寂しさありぬ寒牡丹
- おほわだへ日向うつりぬ冬の山
- まゆ玉の散るをくべたる暖炉かな
- 枯芝に万歳楽は尾をひけり
- 陵王に四方の庭燎のもえさかる
- 里びとは北しぐれとぞいひつ濡れ
- 北しぐれ野菊の土はぬれずある
- 野をゆきつ吾にも馴れし北しぐれ
- 冬の燭遊び女に吾にまたたかず
- 冬の燭見て吾を見しにはあらざりし
- 凩の白雲ひとつ光りてゆけり
- 凩は地に鳴り路を白らめたる
- 凍てし燈の光の尾さへ風が奪ふ
- 凩の天鳴り壁の炉が鳴れり
- 吾子そろひ凩の夜の炉がもゆる
- スケートの面粉雪にゆき向ふ
- スケートの手組めりつよき腕と組めり
- スケートの手組めり体はたえずななめ
- スケートの汗ばみし顔なほ周る
- スケートの青槇雪をふきおとす
- 雪去れりスケートリンク天と碧き
- 煖炉たき吾子抱き主婦の心たる
- 煖炉もえ末子は父のひざにある
- 書をくりて風邪の憂鬱ひとり黙す
- ひとりゐて落ちたる椿燻べし炉火
- 凩は遠き地に鳴り地下をゆく
- 落葉あり地下の掃除夫路を洗ふ
- ひとを運ぶ階は動けり地下凍てず
- 地下の花舗温室の白百合路にあふれ
- 地下の花舗汗ばむ毛皮肩にせり
- ひと待ちぬ約せし花舗に毛皮ぬぎ
- 雪しまきわが喪の髪はみだれたり
- わが眼路の枢かくしぬ雪しまき
- 雪の野ははるけしここに人を焼く
- 葬の炉火が入りしまく天鳴れり
- 吹雪きて天も地もなき火の葬り
- 船室より北風の檣の作業みゆ
- 煖房に闇守る水夫の瞳を感ず
- 浴槽あふれ北風航くことをわすれたり
- 北風の扉がひらかれ煌と吾を照らす
- 無電技士わかく北風航く夜をひとり
- 北風を航くその揺れにゐて無電打つ
- わが電波北風吹く夜の陸よびつ
- 見さくる野黄なりここなる園も枯れ
- 枯園に聖母の瞳碧をたたへ
- ただ黒き裳すそを枯るる野にひけり
- 枯園に靴ぬがれ少女達を見ず
- 学び果てぬ日輪枯るる園に照り
- 夫の手に壁炉の榾火たきつがれ
- 駅に降り北風にむかひて家に帰る
- 北風つよく抗ひ来るに身をかばひ
- 寒の星昴けぶるに眼をこらす
- 北風吹けり夜天あきらかに雲をゆかす
- 枯木鳴り耀く星座かかげたる
- 星天は厳しく霜の地を照らす
- 壁炉もえ主なき椅子の炉にむかひ
- 吾子とゐて父なきまどゐ壁炉もえ
- 壁炉照り吾子亡き父の椅子にゐる
- 吾子寝ねてより海鳴りを炉にきけり
- 夜の濤は地に轟けり壁炉もゆ
- われのみの夜ぞ更けまさり炉火をつぐ
- 壁炉もえ白き寝台いひとを見ず
- 惜しみなく炉火焚かれたり雪降り来る
- あさの炉がもえたり旅装黒くゐる
- 機関止みふぶける船に艀を寄す
- 黒き舷船名もなく雪に繋る
- 舷側の十字を紅く吹雪の中
- 雪の航水夫垂直の階を攀づ
- 雪を航き朝餐のぬくきパンちぎる
- 航海燈かがやき雪の帆綱垂る
- 雪を航きひとりの船室燈をともす
- 農婦マヤわが泊つる夜の炉を焚きに
- くちそそぐ花枇杷鬱として匂ひ
- 洗面器ゆげたち凍てし地に置かれ
- 農婦の瞳霜の大地のひかりあふれ
- 雷をきき聖なる燭のもとにわれ
- 雷雨去り聖歌しづかなりつづく
- 虹ひくく天主の階を降りんとする
- 風邪に臥す遠き機銃音とぎれ
- 海雀を北風に群れしめ解纜す
- 港遠く海雀北風にはのとべり
- 北風を航き陸の探照燈に射られ
- 七面鳥皿に灯ともり聖夜航く
- 北風の中水夫綱を降り駆けて去る
- 冬雲に甲板短艇を支へ航く
- 北風の浪汽艇にうつる腕をとられ
- 枯るる野に温泉突きの車輪まはるまはる
- 炉によみて夫の古椅子ゆるる椅子
- ひとりの夜よみて壁炉の椅子熱す
- 凩の天ダイナモも鳴りとよむ
- 北風昏れて熔炉の炎ゆる駅を発つ
- 風車寒き落暉を翼にせり
- 風車由布の雪雲野に降りる
- トロッコを子が駆り北風の中を来る
- 子の凧があがり索道よりひくかり
- 塊炭を投げあひ凧をもたざりき
- 霧さむく火を焚く船へ子はかへる
- 夜の鉄路乗りかへてより雪深き
- 寝台車真夜雪ふかき駅を見たり
- 寝台車手洗場に雪原暁けてゐる
- 雪原を焚きけぶらして鉄路守る
- 月ひかり雪原暁くる駅に降る
- 子が遊び雪原の雪駅にも敷く
- 除雪車のプロペラ雪を噛みてやすむ
- 信号手青旗に除雪車をゆかす
- 日輪に除雪車雪をあげてすすむ
- 雪原をゆくとまくろき幌の橇
- 橇駆けり雪原にくりき点となる
- 雪原の昏るるに燈なき橇にゐる
- 雪原に橇駆り吾子と昏れてゐる
- 雪原の極星高く橇ゆけり
- 橇の馭者昴を帽にかがやかす
- 橇がゆき満天の星を幌にする
- ひくき星橇ゆく方の燈と見ゆる
- 雪原に遭ひたるひとを燈に照らす
- ホテルあり鉄階を雪の地に降ろし
- ラヂエター鳴りて樹氷の野が暁くる
- 樹氷林ホテルのけぶり纏きて澄む
- 熱湯の栓あけ部屋に雪ごもる
- 雪原のしづけさ部屋の窓をひらき
- スキー靴ぬがずおそき昼餐をとる
- 雪深くして厨房の音こもる
- 月が照り雪原遠き駅ともる
- 月が照り雪原の面昏しと思ふ
- 雪眼鏡雪原に日も手も碧き
- 万燈のしづかなひとのながれにゐる
- 万燈の裸火ひとつまたたける
- 油火の火立しづかに霜が降る
- 壁の外海鳴り壁に炉がもゆる
- 壁炉もえ吾寝る闇を朱にしたり
- 回想の炉がもえひとを炉に映えしめ
- 筑紫なるかの炉かなしみ炉を焚ける
- わが手向け冬菊の朱を地に点ず
- 閼伽の水豊かに冬の日とも思へず
- 墓地をゆき黒き手套をぬがざりき
- 貝ひかり冬の薊の濃きを得ぬ
- わが眉に冬濤崇く迫り来る
- 冬濤のうちし響きに身を衝たる
- 子が駆けり吾駆けり北風の波うてり
- 冬薊海界高くのぼり来ぬ
- 冬の霧手套の黒き指を組む
- 霧ながら冬うつくしき夕べ得ぬ
- 一月の菫を黒く指宿に
- 万燈籠たかきへたかきへ道いざなふ
- 万燈籠幽けしひとの歩にあはす
- 身にさして万燈ほのかなるひかり
- 時雨月夜半ともなれば照りわたり
- 山茶花のくれなゐひとに訪はれずに
- 武蔵野の樹々が真黄に母葬る
- 母葬る土美しや時雨降る
- 枯萩を人焚き昏るる吾も昏る
- 枯萩の焔ましろくすぐをはる
- 木枯のひととき夕焼つのり来る
- 冬雲の北のあをきをわが恃む
- ほのぼのと襟あたたかし石蕗も日に
- 濤うちし音返りゆく障子かな
- 冬河に海鳥むるる日を訪へり
- 冬の月明るきがまま門を閉ざす
- さめてまた時雨の夜半ぞひとのもと
- 臘梅のかをりやひとの家につかれ
- 枯るる道ひとに従ひゆくはよき
- 雪嶺を空にし人はあひわかる
- 枯木中わがゆく方に月すすむ
- 毛糸あむ掌なつかしや事告げむ
- 干大根人かげのして訪はれけり
- 干大根月かげにあり我家なり
- 礫うつ氷沼のひびきを愛しみて
- 時雨星北斗七つをかぞへけり
- 由布に雪来る日しづかに便書く
- 冬の蝶いつしか旅の日をかさね
- 冬の月いでて歩廊の海冥き
- 寒星のひかりにめざめ貨車の闇
- 寒の闇体がくんと貨車止る
- 貨車とまる駅にあらざる霜の崖
- 貨車の闇小さき鏡に霜明くる
- 貨車の扉の筑紫冬嶽みな尖る
- 寒牡丹炭ひく音をはばからず
- 寒牡丹山家の日ざしとどめ得ず
- 山住みのしぐれぞよしや日日時雨
- 凍蝶も記憶の蝶も翅を欠き
- 凍蝶を容れて十指をさしあはす
- 凍蝶のきりきりのぼる虚空かな
- 箸とるときはたとひとりや雪ふり来る
- 鴉過ぎ怺へこらへし雪ふり来る
- 雪墜る音髪を洗ひて眼つむれば
- 雪はげし夫の手のほか知らず死す
- かぢかみて脚抱き寝るか毛もの等も
- 鶏と猫雪ふる夕べ食べ足りて
- 猫歩む月光の雪かげの雪
- みぞれ雪涙にかぎりありにけり
- ねむたさの稚子の手ぬくし雪こんこん
- 燃ゆる薪雪に置かれて焔立つ
- 牡丹雪さわりしものにとどまりぬ
- 肩かけやどこまでも野にまぎれずに
- 肩かけの裡に息して人の死へ
- 刈田の火赤し人亡しと思ふとき
- 冬雲雀そのさへづりのみぢかさよ
- 拠るものの欲しけれど壁凍るなり
- あふれいづる涙冬蝶ふためき飛び
- 掌に裹む光悦茶碗凩堪へ
- 蕗の薹寒のむらさき切りきざむ
- 寒念仏ひびくやひびきくるもの佳し
- 木樵ゐて冬山谺さけびどほし
- 冬の森若人にすぐ谺して
- 空林や流れのあれば紅葉しづめ
- 水鳥の沼が曇りて吾くもる
- 沼氷らむとするに波風たちどほし
- 頭勝なる鳰の身すぐにくつがへる
- 凍て死にし髪吾と同じ女の髪
- 冬の日を鴉が行つて落して了ふ
- 風の中枯蘆の中出たくなし
- 子を想ふとき詩を欲るとき枯木立つ
- 枝交へ枯れし柘榴と枯れし櫻と
- 威し銃おどろきたるは吾のみか
- 威し銃おろかにも二発目をうつ
- 童女童子来てすぐ枯れし崖のぼる
- 童子寝る凩に母うばはれずに
- ラヂオ大きく枯山のふもとに住む
- 枯れはてて遊ぶ狐をかくすなき
- 枯れし木が一本立てり狐失せ
- 手繰れど手繰れど海に頭向けて凧落ちゆく
- せめて瞋りあらばやすけし冷ゆる蹄
- 寒星ひとつ燃えてほろびぬ海知るのみ
- 何をか待つ雪着きはじむ松の幹
- 風邪髪の櫛をきらへり人嫌ふ
- 風邪髪に冷き櫛をあてにけり
- つひに来ず炉火より熱き釘ひらふ
- 泣きしあとわが白息の豊かなる
- 心見せまじくもの云へば息白し
- 渦巻く炉火ともすれば意志さらはるゝ
- 許したししずかに静かに白息吐く
- いぶり炭悲しくてつい焔立つ
- 激しき心すでに去りたる炉火の前
- 雪窪に雪降る愛を子の上に
- 忘られし冬帽きのふもけふも黒し
- 鷄しめる男に雪が殺到す
- 鶏の臓剥してぬくし雪ふりをり
- 鷄の血の垂りて器に凍むたゞこれのみ
- 咳が出て咳が出て羽毛毟りゐる
- いまありし日を風花の中に探す
- 五位鷺飛びて寒の茜をそれてをり
- 聖夜讃歌吾が息をもて吾涜る
- 燭の火と炉火が燻る聖歌隊黙し
- 層見せて聖夜の菓子を切り頒つ
- 冬霧ゆく船笛やわが在るところ
- 冬の航はじまる汽笛あふれしめ
- 海渡る黒き肩かけしかとする
- 大綿は手に捕りやすしとれば死す
- 真青な河渡り終へ又枯野
- 河豚の血のしばし流水にまじらざる
- 河豚の皿燈下に何も残らざる
- ジヤズに歩の合ひゐて寒き水たまり
- 河豚の臓喰べたる犬が海を見る
- 冬の旅喫泉あふれゐるを飲む
- 雪マント被けばすぐにうつむく姿勢
- 若さかくさず冬帽に雨の粒ふえゆく
- まくなぎの位置さだまらず雪の上
- 雪激し一つの地窪埋めむため
- 梳りゐて雪嶺の照る曇る
- 馴るるまで雪夜の枕うちかへし
- 雪の昼ねむし神より魔に愛され
- 雪の日の登校クレヨン画大切に
- 冬駅の名を一つづつ伊賀に読み
- 師の前にたかぶりゐるや冬の濤
- ゆらゆらと月のぼるとき師と立てる
- 濤高き夜の練炭の七つの焔
- うち伏して冬濤を聴く擁るゝ如
- 冬鴎百姓たゝせたゝせ来る
- 寒月下海浪干潟あらはしつつ
- 万燈のどの一燈より消えむとする
- 離るれば万燈の燈となりにけり
- 一つづゝ落暉ふちどるみな冬鹿
- 毛絲編む手の疾くして寄りがたき
- 冬日の蜂身を舐めあかず羽づくらふ
- 林檎齧る童子冬日を落しつゝ
- 日の翼冬蝶遊びほほけたり
- 冬の蝶童女の顔をのぞきては
- 童女より冬蝶のぼるかゞやきて
- 鞦韆を漕ぎはげむ木々枯れつくし
- 童女の眉馥郁として雪を吊る
- 一夜の島月下の石蕗の花聚まる
- 海よりの雨激しくよせる石蕗の花
- 河豚煮るゆげ誘はれて海渡りたる
- 昨日海に勁かりし星枯野に坐る
- 莨火にも由布の枯野の燃えやすき
- 野火立ちて由布野の小松つひに燃ゆ
- 野に寝れば髪枯草にまつはりぬ
- 狐の皮干されて枯るゝ野より悲し
- 赭崖の氷雨の八幡市すぐ暮るゝ
- 凍る嶺の一つ嶺火噴きはゞからず
- 縄とびをするところだけ雪乾く
- 日照るとき霜の善意のかがやけり
- 大きな冬がジヤケツ毛ばだつ童女の前
- 笹枯るる明さ山中猫さまよひ
- 冬夜の霧馴れし道ゆく馴れし水音
- 冬日の髪茶色母わらが伝へし
- 冬の石乗れば動きぬ乗りて遊ぶ
- めざむよりおのが白息纏ひつつ
- 対丈の着馴れし冬着に手足出し
- はしばしより凍て髪を解きほぐしゆく
- 四方枯野たるを燈ともして忘る
- 天の青さ広さ凍て蝶おのれ忘れ
- 月明し凍蝶翅を立て直す
- 厚き氷の下にて泥の尾鰭もつ
- 絶対安静雪片の軽々しさ
- 絶対安静降りくる雪に息あはず
- 生るはよし静かなる雪いそぐ雪
- 枕上み枯れし崖立つ枯れはてし
- 雪まぶしひとと記憶のかさならず
- きしきしと帯を纏きをり枯るる中
- かじかむや頭の血脈の首とくとく
- 撃ちもたらす鴛鴦どこよりか泥こぼす
- 踵深き静塔のあと千鳥の跡
- 雪嶺が遠き雪嶺よびつづけ
- 鴨隠るときあり波に抗はず
- 霜柱顔ふるるまで見て佳しや
- 田に燈なし冬のオリオン待ちてゆく
- 炉火いつも燃えをり疲れゐるときも
- みつみつと雪積る音わが傘に
- 十指の癖一と冬過ぎし手袋ぬぐ
- 群羊帰る寒き大地を蔽ひかくし
- 冬野かへる群羊に牧夫ぬきん出て
- 群羊に押され背見せて寒き牧夫
- 冬草喰ひ緬羊姙りにも従順
- 寒き落暉群れを離るる緬羊なく
- ポケットに「新潮」寒き緬羊追ひ
- 寒き緬羊耳たぶのみ血色して
- 使い子走る昃ればすぐ風花して
- 風邪の眼に解きたる帯がわだかまる
- 除夜浴身しやぼんの泡を流しやまず
- ひざ前に炉火立つ一切暮るる中
- 霜月夜細く細くせし戸の隙間
- 寒き肉体道化師は大き掌平たき足
- 寒き道化瞼伏せればキリストめき
- いま降りし寒き螺旋階の裏が見え
- 月下に舞ふ照りてくもりて姥面
- 月に立つ桜間龍馬すでに素おもて
- 山路暮るる子が失ひし独楽ころがり
- 漁夫の櫂わが眼の寒湖かきたつる
- まどゐの燈ときに暗しや湖凍つるか
- 凍湖青し指に纏きもつ木の葉髪
- 沖の鴨群それへいそげる鴨の翅
- 赤彦の氷魚かも真鯉生きて凍て
- 月一輪凍湖一輪光りあふ
- 雪原の昼月乾し寒天軽き
- 寒天煮るとろとろ細火鼠の眼
- 家鼠を見て野鼠が走るや雪明り
- 子を呼ぶや寒天の反射雪の反射
- 雪の上餌あるや雀胸ふくらみ
- 白き山白き野寒天造りの子
- 雪の酒庫男の手力扉を開くる
- 酒湧くこゑ槽に梯子をかけ覗く
- 糀室出し髪すぐに雪がつく
- 赤子泣き覚めぬひとの家雪明し
- 穂高白し修理の小城被覆して
- 寒念仏追ひくる如く遁げゆく如く
- 熊が口ひらく旅の手に何もなき
- 雪原に踏切ありて踏み越ゆる
- 落葉松を仰げば粉雪かぎりなし
- 雪原や千曲が背波尖らして
- 雪原のわれ等や鷹の眼下にて
- 火の山へつゞく雪野に足埋め立つ
- 雪野のかぎり行きたし呼びかへさらずに
- 土間は佳し凍雪道の長かりしよ
- 氷上を犬駆ける採氷夫が飼へり
- 採氷夫焚火に立ちて雫する
- 遠灯つく千曲の枯れを見て立てば
- 藁塚も屋根も伊吹の側に雪
- 留守を来てわが枯崖を如何に見し
- 直哉ききし冬夜の筧この高さに
- 寒き壁と遊ぶボールをうち反し
- 相うつは凍つるや解くるや氷と波
- 綿虫飛ぶ天光の寵暮るるとも
- 風邪の髪解けざるところ解かず巻く
- 風邪の身に漢薬麝香しみにけり
- 黄八丈の冷たさおのがからだ冷ゆ
- 風花や葱が主な荷主婦かへる
- 同じ寒さ乞食の身より銭鳴り落つ
- 佛寒しわめける天邪鬼に寄る
- 天邪鬼木枯しゆうしゆう哭く音立て
- 凍てゆくなべ壊れやまざる吉祥天女
- 虎落笛吉祥天女離れざる
- 狐飼はれてたゞに餌を欲る愛しさは
- 地を掘り掘る狐隠せしもの失ひ
- 狐舎を守る髪に狐臭が浸みとほり
- われに向く狐が細し入日光
- 狐臭燦狐にはまる鉄格子
- 詩をしるす鉛筆狐きゝもらさず
- 溝乾く伽藍凩絶間あり
- 何あるといふや万燈のつゞきをり
- 行く方の未知万燈の火が混みあふ
- 万燈の一つが消えて闇あそぶ
- 万燈の万のまたゝき五十路よき
- 恍惚と万燈照りあひ瞬きあひ
- 一燈に執し万燈の万忘る
- 呼ばれしにあらず万燈の火のまどはし
- 万燈の闇にぬめぬめけものの膚
- 冬芒幡なす加勢子を発たす
- 遺身の香女帯の長さ冬日巻く
- 冬の巌この身を寄せしあともなし
- 巌の黙石蕗の一花を欠きて去る
- 断崖の穂絮きらきら宙にあり
- 椿咲く冬や耳朶透く嫗の血
- 枕かへし冬濤の音ひきよせる
- 冬濤の壁にぶつかる陸の涯
- 遍路の歩岬の長路をたぐりよせ
- 埼に立ちおのれはためきや冬遍路
- 埼に立つ遍路や何の海彦待つ
- 遍路歩むきぞの長路をけふに継ぎ
- 遍路笠裏に冬日の砂の照り
- 遍路笠かぶりし目路にまた風花
- 冬の泉冥し遍路の身をさかしま
- 女遍路や日没る方位をいぶかしみ
- 女遍路や背負へるものに身をひかれ
- 孤りは常会へば二人の遍路にて
- 龍舌蘭遍路の影の折れ折れる
- 寒墨踏む蹠足趾ねんごろなる
- すでに汚る墨工が眼に触れしのみ
- 墨工のわが眼触れざる側も汚れ
- かじかめるまゝ蝮指墨を練る
- 雪の暮墨工の眼に墨むらさき
- 煤膚に隠れ墨工何思ふや
- 煤膚の墨工佳しや妻ありて
- 寒雀と墨工眼澄む夕餓ゑどき
- 墨工房さましわが香を畏れはじむ
- 墨工の黙つひに佳し工房去る
- 木枯に墨工房を狭く仕切る
- 油煙部屋四方を壁天窓あるのみ
- 北風より入り百の油火おどろかす
- 雪はらはず鴨殺生の傍観者
- 鴨撃つと鴨待つ比良の飛雪圏
- 猟夫立つせでに殺生界の舟
- 雪中や絶対にして猟夫の意志
- 眼ばたきて堪ふ猟夫の身の殺気
- 猟人の毛帽雪つきやすしあはれ
- 鴨撃たる吾が生身灼き奔りしもの
- 鷺撃たる羽毛の散華遅れ降る
- 鷺撃たれし雪天の虚のすぐ埋まり
- 猟夫の咳殺生界に日ざしたり
- 土砂降りより入る目口に楮の湯気
- 楮煮るゆげ土砂降りの家出でず
- 土砂降りの紙漉場より水流れ
- 老いの顎うなづきうなづき紙を漉く
- 紙漉のぬれ胸乳張る刻が来て
- ぬれ紙に重ねる漉紙滴るを
- 漉きかさねし濡紙百枚まだはがさず
- 子の母がここにも胸濡れ紙を漉く
- 紙砧をりをり石の音発す
- 顎に力をとめ紙漉く脚張つて
- 働く血透きて紙漉くをとめの指
- 漉紙に漉紙かさね畏るる指
- 紙しぼる赤手の上を水流れ
- 紙しぼる流れの端に鍋釜浸け
- 隆き胸一日圧して紙しぼる
- 水照りて干紙に白顕ち来る
- 干紙の反射に遊ぶ茶目黒目
- 紙を干す老いの眼搏つて鵙去れり
- 若き日の如くまぶしき紙干場
- 死なざりし蜂干紙にいつ死ぬる
- 峡より峡に嫁ぎて同じ紙を漉く
- 遠燈点くはつとして紙漉場点く
- 紙漉女に「黄蜀葵糊」ぬめぬめ凍てざるもの
- 冬立ちて十日猫背の鵙雀
- 火と風と暮れを誘ふ薪能
- 風早の暮雲薪能けぶる
- 指さえざえ笛の高音の色かへて
- 伏眼の下笛一文字に冴え高音
- 舞ひ冴ゆや面の下より男ごゑ発し
- またたかぬ舞の面上風花うつ
- 笛冴ゆる老いの重眉いよよ重
- 薪能鴉の翼火を退け
- 生きてまた絮あたたかき冬芒
- 木枯の絶間薪割る音起る
- 吸入器噴く何も彼も遠きかな
- 枯れ崖長し行途いつきしばかり
- また同じ枯れ切通しこの道ゆく
- 冬の旅日当たればそこに立ちどまる
- 蒟蒻掘る泥の臭たてて女夫仲
- 蒟蒻掘妻と吉野山常に偕
- 蒟蒻掘顔をあげるを鴉まつ
- 蒟蒻掘る尻がのぞきて吉野谷
- 天が下土と同色蒟蒻掘
- 蒟蒻掘る顔を妻があげ山鳩翔つ
- 蒟蒻掘る穴に吐き捨つ夫の言葉
- 蒟蒻掘る夫婦に吉野山幾重
- 蒟蒻負ひ馴れしこの道この傾斜
- 蒟蒻負ふ泥の重さも背に加へ
- 毛糸編む老の刻々打ちこみて
- 汽罐車のよこがほ寒暮裏日本
- 雪の駅ピアノ木箱を地膚の上
- 野の雪雲集りて仕へて白大山
- 駅炉の煖盗む白鳥行に暮れ
- 白鳥を恋へる眼に鳶鴎翔つ
- 風颯々白鳥の鋭目切れ長に
- 尻重き翔ちざまの鴨白鳥湖
- 白鳥渡来日本の白嶽痩せ
- 雪嶽越ゆ白鳥の白勝ちて
- 日の寵は白鳥にのみ鴨翔ける
- 漁る白鳥主婦は下身に雪の泥
- 「レダ」の白鳥出雲白鳥像かさね
- 低雲の一日駅夫と白鳥と
- 月ある闇白鳥光は寄りあひて
- 楫の音夜目の白鳥追はれゐる
- 一夜吾に近寝の白鳥ゐてこゑす
- 万燈の低きに混めりわが来し方
- 歩み高まり万燈の高まりゆく
- 万燈の夜を遠吠えの小稲妻
- 万燈の明り流水石底見せ
- 万燈籠地に焚ける火は焔裂き
- 万燈籠とぎれてそこは渓の暗
- 万燈の廻廊のその赤光寂び
- 万燈やおのれ徹して一流水
- 裾の寒さよ万燈下の暗さよ
- 一掴み落葉を置けば水急ぐ
- みな聳ちて冬山那智に聚まれる
- 冬山中いま暮る滝に会ひ得たり
- 滝凍てしめず落下すなほ
- 全山の寒暮滝壺よりひろごる
- 冬の旅滝山に入り滝尊む
- 滝を神としとどろくものとし禰宜かがむ
- 冬滝の天ぽつかりと青を見す
- 滝山を出づる沖には冬白浪
- 触らねば蘆火おとろふ刈蘆原
- 蘆刈がもの喰へば鋭刃やすらへり
- 妻遠し蘆原広し蘆刈男
- 蘆刈の姥の重腰鎌させば
- 枯蘆中すでに枯蘆退路断つ
- この風にこの枯蘆に火かけなば
- 廃戒壇あれば高まり野の穂絮
- 夕冴ゆる雪嶺ちりめん織られゆく
- 灰削げば真紅な炭火ちりめん織る
- 冬日移るちりめん白地一寸織られ
- 機絲の凍て柔指にほぐれ出す
- ちりめん織る冬の一日の時間の量
- 寒き光織子の頬の総生毛
- 絲の継傷ちりめんの白地冴え
- 織子寒し千の縦絲一本切れ
- 凍て機の縦絲を掻き鳴らして検る
- 雪嶺下藍つぼ紅つぼ深し深し
- 沈み友禅寒水の流れゆるみ
- 鴨群の鴨翔つ従ひしは数羽
- 雪明りこゑももらさず餌場の鴨
- 鴨毟る雪降らざれば止まぬなり
- 鴨浮寝はぐれし一羽降り来たり
- はぐれ鴨加はりすぐに夜の鴨
- 強白の息ぬくぬくと吉祥讃
- 人香に佛香勝てり吉祥会
- 炉より立ちひとりの刻をさつと捨つ
- 炉框の法形の方待ち時間
- 熾る炉火その上言葉ゆききする
- ただ寒き壁大佛の背面は
- 冬晴の影ふかぶかと伽藍の溝
- 湖北に寝てなほ北空の鴨のこゑ
- 心底より深空ゆるす冬泉
- 前燈に枯野枯道行方しらぬ
- 綿虫載せおのが手相をおのが見る
- 山火の夜光りもせずに溝流れ
- 紅と方向指示器吹雪の中の意志
- 雪とけて凍る靴底一直路
- 暗ふかく家裡見えて雪深道
- 病み勝つて日々木の葉髪木の葉髪
- 忘れゐし花よ真白き枇杷五瓣
- 綿虫の浮游病院の家根越せず
- 晴れて到る人の訃シベリヤ高気圧
- 退院車入りてまぎれて師走街
- 藁塚が群れて迎ふる退院車
- 臥して見る冬燈のひくさここは我家
- 臥す顔にちかぢか崖の霜の牙
- 今日も臥す立ちはだかりて枯れし崖
- 綿虫の綿の芯まで日が熱し
- 冬日浴足の爪先より焼きて
- 髪洗ひ生き得たる身がしづくする
- 臥す平らつづき寒肥の穴ぽつかり
- 霜を踏み試歩の鼻緒をくひこます
- 厚氷金魚をとぢて生かしめて
- もがり笛枕くぐりて遁げ去りぬ
- 崖下に臥て急雪にめをつぶる
- 養身や目鼻にからむ飯のゆげ
- 枯田圃日風雨風吹きまくり
- 話しゆく体温の息万燈会
- 万燈の誘ひ佳き道岐れをり
- 鬼の闇一文字深く溝の黒
- 我ら来て人気枯山三時頃
- 風花の大勢小勢待つ時間
- 綿虫とぶものに触れなばすぐ壊えん
- 頭も見せず蒲団を被れば一切消ゆ
- 折ればわがもの冬ばらと園を出る
- 脚抱きて死にきれぬ蜂掃き出せり
- 一冬の玩具熊に木の切れつ端
- 冬兎身の大の穴いくつも掘り
- 寒肥の大地雪片ふりやまず
- もがり笛厚扉厚壁くぐり来る
- 亡き夫顕つごと焚火あたたかし
- 金魚池水輪もたてず雪ふりて
- 神楽ひよつとこ神楽おかめの惚れ手振り
- 神楽の世をんなおかめの妬き手振り
- 泣きじやくる神楽おかめの笑ひ面
- 年迎ふ櫛の歯ふかく髪梳きて
- 除夜の鐘打ちつぎ百を越えんとす
- 除夜の鐘大切なこの歳を病み
- 火を恋ふは焔恋ふなり落葉焚き
- 猟銃音わが山何を失ひし
- 銃音圏逃げる翼の生きる翼
- 雉子置きしところにその香とどこほる
- 雉子料るつめたき水に刃をぬらし
- つよき香の雉子食ふいのち延ばすとて
- 雉子食ふや外の暗黒締切つて
- 暮れ土に雉子の羽毛の一羽分
- 雪降る中髪洗ひたる顔あげる
- またたくは燃え尽きる燭凍神将
- 少年の冒険獲もの一氷片
- 氷塊の深部の傷が日を反す
- 寒燈を当つ神将の咽喉ぼとけ
- オリオンが方形結ぶ野火余燼
- 山焼きし余燼もなしや天狼下
- なんといふ暗さ万燈顧る
- 万燈道けものの匂ひかたまり過ぐ
- 万燈会廻套利玄とすれちがふ
- 入院車ゆきて深々雪轍
- 雪はげし化粧はむとする真顔して
- 雪映えの髪梳くいのちいのりつつ
- 寂しければ雨降る蕗に燈を向くる
- 罌粟ひらく髪の先まだ寂しきとき
- まつさをな魚の逃げゆく夜焚かな
- 石蹴のをとめもすなるふところ手
橋本多佳子 プロフィール
橋本 多佳子(はしもと たかこ、1899年(明治32年)1月15日 - 1963年(昭和38年)5月29日)