ヨハネス・フェルメール作「信仰の寓意」という絵画があります。世俗画で知られるフェルメールですが、これは唯一の宗教画として知られる作品。中央に白と青の輝くサテンのドレスを纏う女性。右手は胸に、右足は地球儀を踏み付けています。ドレスの白は純潔、青は天国を表す色。胸に当てた手は信仰。踏みつけた地球儀は世界を表します。つまり女性は信仰の象徴で、画家が信仰していたカトリックが世界を支配するという寓意なのです。西洋絵画には寓意を表現したものが多数あり、それを理解しないと意味が伝わりません。前置きが長くなりましたが実は俳句にもこうした寓意を表現したものがあり、読む人を惑わせます。
夜の蟻迷へるものは弧を描く 中村草田男
岸本尚毅さんは、寓意句の例として草田男の作品をあげています。写生句として捉えることも可能ですが、永遠の哲学青年であった草田男の生涯を知れば、心に迷いを抱えた人間の寓意として読むほうが自然でしょう。ところが一般に寓意は俳句に馴染まないとされていますから、注意が必要。
物いへば唇寒し秋の風 芭蕉
この名句についてさえ、虚子はこう述べています。「注意すべきは言葉であるという道徳の箴言に類した句である。こういう句を作ることが俳句の正道であるという事は言えない。(中略)この句のように道徳の寓意を含んだ句の如きは、たまにあってもいけれどむしろ脇道に外れたものである(角川ソフィア文庫「俳句はかく解しかく味わう」)
ね、かなり辛辣な批評です。しかし絶対に駄目だとは言っていません。「たまにあってもいいけれど」と言っている。程よいスパイスにもなると認めているような読める文章です。ありきたりの方法論で、名句をものにするのは難しい。ならば正々堂々ルールを破ってみるのも一興。私は使わない手はないように思えますが、さてあなたならどうしますか?
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