秋の有名俳句の一覧




日本人は、古くから自然と一緒に生きていく中で、驚きや喜びなどを歌に詠んできました。

秋のシーズンは、美しく月が見え、赤く紅葉が色づいて、もの思いにちょっとふけてしまうためか、秋の有名な俳句は多くあります。

ここでは、秋の季語と秋に詠まれた有名な俳句についてご紹介します。

目次

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秋の季語とは?

まず、秋の季語についてご紹介します。

秋の食べ物や花の季語としては、無花果、椎茸、栗、落花生、サフラン、コスモス、ポインセチアなどがあります。

秋の行事の季語としては、お祭りがやはり多くあり、阿波踊、エイサー、芋煮会、ねぶた、七夕、べったら市などがあります。

また、秋ならではの季語としては、秋刀魚、案山子があります。

いずれの季語も、秋がすぐにイメージできるでしょう。

秋に詠まれた有名な俳句とは?

ここでは、秋に詠まれた有名な俳句についてご紹介します。

「秋深き 隣は何を する人ぞ」

この俳句は、松尾芭蕉が詠んだもので、秋深しが季語です。

内容としては、「秋がすっかり深まって、この頃は寂しさを何か感じ、何を隣の人はするか気になっています。」ということです。

「この道や 行くひとなしに 秋の暮れ」

この俳句は、松尾芭蕉が詠んだもので、秋の暮れが季語です。

内容としては、「この道は通る人もなく遥かに続き、秋の夕暮れの寂しさが身に染みます。俳諧への私の道もこのようなものでしょうか。」ということです。

「枯れ枝に 鳥のとまりけり 秋の暮れ」

この俳句は、松尾芭蕉が詠んだもので、秋の暮れが季語です。

内容としては、「気が付いてみれば、鳥が寒々と枯れ枝に止まっています。付近は日が暮れかかって、秋の夕暮れの静かさが広がっています。」ということです。

「荒海や 佐渡に横たふ 天の川」

この俳句は、松尾芭蕉が詠んだもので、天の川が季語です。

内容としては、「凄まじく夜の暗い海が荒れて、波音がはらわたをちぎるように響いています。多くの流人の悲しみを秘めた佐渡島が、この夜の暗い海の彼方に鮮やかに手に取るように浮かんでいます。空を仰ぎ見ると、佐渡島の方に銀河がかかっています。」ということです。

「白露も こぼさの萩の うねりかな」

この俳句は、松尾芭蕉が詠んだもので、白露・萩が季語です。

内容としては、「いっぱい露をためた萩の花は、風に吹かれても、露を落としません。」ということです。

「月天心 貧しき町を 通りけり」

この俳句は、与謝蕪村が詠んだもので、月が季語です。

内容としては、「天の中心に月がかかっている夜更けに、貧しい家が並んでいる町を通りました。」ということです。

「鳥羽殿へ 五六いそぐ 野分かな」

この俳句は、与謝蕪村が詠んだもので、野分が季語です。

内容としては、「五、六騎の騎馬武者が、野分が吹きすさぶ中を、飛ぶように離宮に向って疾走していきます。事変でも何か発生したのか、ただならないような気配です。」ということです。

「四五人に 月落ちかかる をどり哉」

この俳句は、与謝蕪村が詠んだもので、踊り(盆踊り)が季語です。

内容としては、「盆踊りの人数が夜もふけてくると少なくなって45人になって、月が沈みかかる中で踊っています。」ということです。

「白露や 茨の刺に ひとつづつ」

この俳句は、与謝蕪村が詠んだもので、白露が季語です。

内容としては、「秋も深くなってきて、朝露が庭一面に降りています。茨に近づいてみれば、一つひとつの茨の鋭い刺の先に露が付いています。」ということです。

「秋風や むしたがりし 赤い花」

この俳句は、小林一茶が詠んだもので、秋風が季語です。

内容としては、「亡くなった子どものお墓参りに行けば、秋風の中に道傍の赤い花が揺れています。よく亡くなった子どもがむしりたがっていた花です。この赤さが目に染めて、悲しさがこみあげてきます。」ということです。

「名月を とってくれると 泣く子かな」

この俳句は、小林一茶が詠んだもので、名月が季語です。

内容としては、「子どもが、あのお月様が欲しいので取ってよ、といいながら泣いています。」ということです。

「有り明けや 浅間の霧が 膳をはふ」

この俳句は、小林一茶が詠んだもので、霧が季語です。

内容としては、「朝早く出発しようとして起きれば、有り明けの月が空にはかかっています。浅間山の方から流れてきた霧が、煙のように開け放した窓から入り込んできて、膳の付近に低くまといついています。」ということです。

「露の世は 露の世ながら さりながら」

この俳句は、小林一茶が詠んだもので、露が季語です。

内容としては、「露のようにこの世ははかないものだと知っています。知ってはいますが、諦めることができません。」ということです。

「うつくしや 障子の穴の 天の川」

この俳句は、小林一茶が詠んだもので、天の川が季語です。

内容としては、「障子の穴から見える天の川は非常に美しいです。」ということです。

「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」

この俳句は、正岡子規が詠んだもので、柿が季語です。

内容としては、「柿を食べていると、法隆寺の鐘が急に鳴り出しました。」ということです。

「桐一葉 日当たりながら 落ちにけり」

この俳句は、高浜虚子が詠んだもので、桐一葉が季語です。

内容としては、「残暑の日差しを受けて、一枚の桐の葉が不意に落ちました。もう秋が来たのですね。」ということです。

「牛の子の 大きな顔や 草の花」

この俳句は、高浜虚子が詠んだもので、草の花が季語です。

内容としては、「牛の子の顔は大きい。草の花に牛の子がにゅっと顔を近づけたときに、花と比較してその大きさに気がつきました。」ということです。

「秋の暮れ 道にしゃがんで 子がひとり」

この俳句は、高浜虚子が詠んだもので、秋の暮れが季語です。

内容としては、「早くも秋の日は暮れようとしています。しかし、一人で道端にしゃがんでいる子どもは、まだ帰ろうとしません。」ということです。

「鳥わたる こきこきこきと 缶切れば」

この俳句は、秋元不死男が詠んだもので、鳥わたるが季語です。

内容としては、「鳥が渡って行きます。缶詰を切る音に合わせて、ジグザグに窓の外の空を鳥が渡って行きます。」ということです。

「啄木鳥や 落葉をいそぐ 牧の木々」

この俳句は、水原秋櫻子が詠んだもので、啄木鳥が季語です。

内容としては、「盛んに啄木鳥が木を叩いています。この軽快な音に誘われたかのように、ひらひらと牧場の木々が葉を落としています。」ということです。

「行水の 捨てどころなき むしのこゑ」

この俳句は、上島鬼貫が詠んだもので、虫の声が季語です。

内容としては、「行水に使ったお湯を捨てるところもないくらい、あちこちに虫の声が聞こえてきます。」ということです。

「秋風の ふきぬけゆくや 人の中」

この俳句は久保田万太郎が詠んだもので、秋風が季語です。

内容としては「都会の秋風は人の群れを吹くが、人の心の中を秋風が吹いているのかもしれない」ということで、秋風を詠んだものですが、冬のイメージがあるでしょう。

「赤とんぼ 筑波に雲も なかりけり」

この俳句は正岡子規が詠んだもので、赤とんぼが季語です。

内容としては「赤蜻蛉が舞い飛んで、これを見下ろす筑波山の上に広がる空は快晴で雲一つないことよ」ということです。

「秋草の すぐ萎るるを もてあそび」

この俳句は中村汀女が詠んだもので、秋草が季語です。

内容としては「すぐに萎れてしまう秋草をもて遊んで」ということで、イメージする秋草は俳句を詠む人によって違うかもしれません。

「秋風や むしりたがりし 赤い花」

この俳句は小林一茶が詠んだもので、秋風が季語です。

内容としては「秋風が吹く時期に赤い花を亡くなった児がよくむしりたがって遊んでいた」ということで、赤い花というのは、曼珠沙華とも鶏頭ともいわれています。

しかし、人によって自由に解釈できるため、それぞれの人がイメージする花でいいでしょう。

「秋の夜や あまへ泣き居る どこかの子」

この俳句は杉田久女が詠んだもので、秋の夜が季語です。

内容としては「どこかの子供が、今寂しくて人恋しい秋の夜に親に泣き甘えている」ということで、一見すると何気ない光景ですが、人恋しく小さな子供もなるようであるとしみじみ感じているようです。

「秋の空 露をためたる 青さかな」

この俳句は正岡子規が詠んだもので、秋の空が季語です。

内容としては「鰯が泳いでいるような雲が空に浮かんでいる様子を見れば、秋を感じるな」ということで、澄んだ秋の青い空がイメージできるでしょう。

「朝顔や 一輪深き 淵の色」

この俳句は与謝蕪村が詠んだもので、朝顔が季語です。

内容としては「朝顔がすがすがしく咲いている。この中の一輪は、深い底知れぬ淵のような藍色をしており、非常に美しい」ということです。

「秋深き 隣は何を する人ぞ」

この俳句は松尾芭蕉が詠んだもので、秋深しが季語です。

内容としては「秋も深まったある日、静かに床に伏せってしていれば、

隣の人の生活音が聞こえ、何を隣の人はしている人だろうなどと想いを寄せる」ということで、非常に有名な俳句でしょう。

「一枚の 紅葉かつ散る 静かさよ」

この俳句は高浜虚子が詠んだもので、紅葉が季語です。

内容としては「紅葉する葉もあったり散る葉もあったりするということで、木が同じ葉でも散り方は別々である」ということで、秋の静けさと散ってゆく紅葉の秋自体の光景といえるでしょう。

「荒海や 佐渡によこたふ 天河」

この俳句は松尾芭蕉が詠んだもので、天河が季語です。

内容としては「目の前に日本海の暗く荒れた海が広がり、流人の島として有名な佐渡島がそのかなたにある。秋の七夕の夜空を仰ぎ見れば、佐渡の方へ大きく天の河が横たわっている」ということで、流人が閉じ込められている佐渡島から感じる人間の運命のはかなさと天の河から感じる自然の悠久さを思ってしまうことです。

「鰯雲 ひとに告ぐべき ことならず」

この俳句は加藤 楸邨が詠んだもので、鰯雲が季語です。

内容としては「胸の中に人に告げるべきことではないものを持っている人が鰯雲の空を見ている」ということです。

「うつくしや 障子の穴の 天の川」

この俳句は小林一茶が詠んだもので、天の川が季語です。

内容としては「病の床ですることがなくて障子の穴から空を見れば、美しく天の川が見える、今夜は七夕か」ということで、自分は病気であばら家で寝ているがこんなに美しい天の川を障子の穴から見ることができて本当は幸せだということです。

「柿くえば 鐘が鳴るなり 法隆寺」

この俳句は、正岡子規が詠んだもので、柿が季語です。

内容としては「そそり立つ法隆寺の大伽藍を抜けるような秋空のもとで見ながら柿を茶店で食べていれば、時を告げる鐘の音がすぐ近くの西円堂の鐘楼から響き始めた。法隆寺の裏山に鐘の音はこだまして、微妙なうねりを伴いながら斑鳩の里に伝わっていったよ」ということで、非常に有名な俳句です。

「大いなる 団扇出てゐる 残暑かな」

この俳句は高浜虚子が詠んだもので、残暑が季語です。

内容としては「残暑であるためまだ大きな団扇が出ている」ということで、残暑、団扇と詠んでいますが、秋の情景がイメージできます。

「今日からは 日本の雁ぞ 楽に寝よ」

この俳句は小林一茶が詠んだもので、雁が季語です。

内容としては「今日からは日本の雁であるため、気楽に寝なさい」ということで、動物に語るのが得意な、非常に小林一茶出らしい俳句です。

「かりがねの 声の月下を 重ならず」

この俳句は大野林火が詠んだもので、雁(かりがね)が季語です。

内容としては「月のもとで雁の声が聞こえるが重なってはいない」ということで、月と雁の組み合わせは本命と言えるでしょう。

「鶏頭の 十四五本も ありぬべし」

この俳句は正岡子規が詠んだもので、鶏頭が季語です。

内容としては、次のような解釈があります。

・鶏頭の花が見えるが、1415本もあるだろうか

・私は見ていないが、鶏頭が今年もまた1415本も咲いているだろうか

「くろがねの 秋の風鈴 鳴りにけり」

この俳句は飯田蛇笏が詠んだもので、風鈴が季語です。

内容としては「鉄でできた秋の風鈴が鳴っている」ということで、俳句の持っている可能性がこの俳句によって大きく広がるのを感じられるでしょう。

「この道や 行人なしに 秋の暮」

この俳句は松尾芭蕉が詠んだもので、秋の暮が季語です。

内容としては「秋の声でこの道は行く人はない」ということで、秋の暮の寂しさが非常に感じられる俳句です。

「この道の 富士になり行く 芒かな」

この俳句は河東碧梧桐が詠んだもので、芒が季語です。

内容としては「この道の芒を辿っていくとやがて富士山に続いている」ということで、芒と富士山を題材にするのは非常に勇気がいるでしょう。

「白露も こぼさぬ萩の うねりかな」

この俳句は松尾芭蕉が詠んだもので、萩が季語です。

内容としては「枝に宿した白露をこぼしもしないで、なおやかに萩が風にうねっていることよ」ということで、萩と白露の組み合わせが非常に美しいでしょう。

「そよりとも せいで秋たつ ことかいの」

この俳句は上島鬼貫が詠んだもので、秋たつが季語です。

内容としては「秋風が吹いてそよそよと木々が騒ぐわけでなく、これでも秋を迎えたということなのか」ということで、ことかいのという表現が非常にユーモラスでしょう。

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