ただごと【超初心者向け俳句百科ハイクロペディア/蜂谷一人】




当たり前の景色を当たりまえに詠むことを「ただごと」と言います。波多野爽波という俳人にこんな句があります。

鳥の巣に鳥が入ってゆくところ   爽波

鳥の巣が春の季語。そりゃそうでしょう、と突っ込みを入れたくなります。鳥の巣に蛇が入っていったら事件ですが、鳥が入るのは当たりまえ。では何故この句が名句とされているのでしょう?

私なりの答え。フツーのことをあえて言葉にすることで、不思議な世界が立ち現れるからです。

テレビのプロデューサーとして何度もロケに行きましたが、出演者に「普通に歩いてください」というと歩けなくなることに気づきました。意識すればするほどロボットのようになり、右手と右足が一緒に出たりします。体の動きは無意識に制御されていて、左手と右手を同時に出そう、などと考えながら歩いている訳ではありません。そこに指示が入ると、自分の体でありながら自分のものでないような違和感が立ち現れます。つまり「毎日の生活の中で我々はフツーを意識することがない」ということ。

このフツーの不思議さを気づかせてくれるのが詩です。掲句は、見過ごしているフツーの鳥の巣が、あえて言葉にされることでフツーでなくなってしまう瞬間を捉えています。日常がなにか少し違う場所に見えてくる。そんな効果をあげるのが「ただごと」。

ところで、短歌の世界では、ただごとを更に意識的、積極的に詠っており「ただごと歌」というジャンルさえあるほど。奥村晃作の歌はその典型です。短歌は俳句よりも長い分、一層ただごと感が際立つようです。

奥村晃作「歌集 八十一の春」より

副都心線で横浜直通の地下鉄赤塚駅を利用す

鳥たちの頭小さい 鳩見ても体に比べ頭小さい

俊介出,北條繋ぎ福留のセンター犠打でサヨナラ勝ちす

「死なねーよ」と叫びし石井は生きていて昨日の会でおしゃべりもした

じゃんけんと蛍を結び付けたのは池田澄子の秀吟である

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html






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