動詞は一句に一つが原則です。せめて二つまで。三つとなると成功例が極端に少なくなります。多いのは困りますが少ないのは一向に構いません。動詞のない名句は沢山あります。 眼薬のおほかた頬に花の昼 安住敦 目薬を「さす」という動詞がなくても「頬に」で充分わかります。省略できる動詞は思い切って省略してしまいましょう。勿論どう...
俳句の作り方
俳句の作り方の記事一覧
一種の魔法、または錬金術。鉛のように濁った句の数文字を変えるだけで、黄金に生まれ変わります。俳人の井上弘美さんは添削の名手。その特徴は元の句のいいところを残すところ。というと「???」の声も上がりそうですが、世の中には原句をあとかたもなく粉砕する先生もいらっしゃるわけで。そうなると添削ではなく改作となってしまいます。例...
俳句の五七五の形式を定型と呼びます。そもそも俳句は俳諧(連句)から始まりました。連句ではまず五七五の発句を立て、それに別の人が七七をつけます。それに五七五をつけ、また七七とつないでゆきます。多くの人が参加してひとつの作品を作り上げる面白さがあり、室町から江戸にかけて流行しました。この俳諧の発句が独立したものが俳句。だか...
響きが美しくないからでしょうか、俳句では濁音が嫌われます。助詞の「が」や「で」が出てきたら要注意。「私が」のような主格の「が」は大抵の場合「の」に置き換えられます。上段の原作と下段の味わいを比べて見て下さい。 猫の子のもらはれて行く袂(たもと)かな 久保より江 ←猫の子がもらはれて行く袂かな 入学の子のなにもかも釘に吊...
つべこべ言う俳句は嫌われます。つべこべとは、道徳、教訓、理屈、分別、気取り、風流、人情などのこと。つまり「いいことを言ってやろう」と自信満々な句です。作者の意気込みとは裏腹に、空虚なスローガンに感じられてしまいます。 道徳、教訓、分別、はわかりますよね。ものには本音と建て前があり、この三つはいかにも建て前。押し付けられ...
鞦韆(しゅうせん)は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女 この句は「漕ぐべし」「奪ふべし」と、べしが繰り返されています。こうした表現を対句と呼びます。鞦韆とはぶらんこのこと。「鞦韆」と「愛」という一見異なるものを並列する面白さに気づきましたか。対句は漢詩によく用いられる形式で、リズムを整える効果があります。童謡の「雪やこ...
土地の名前を俳句にいれることで、具体性を高め印象を鮮やかにすることができます。 みちのくの淋代(さびしろ)の浜若布寄す 山口青邨 祖母山(そぼさん)も傾山(かたむくさん)も夕立かな 山口青邨 青邨は地名を詠むこむ名手で、両方とも名句として知られています。淋代と聞いただけで、寂しそうな風情が漂ってきます。実際に若...
短歌と俳句はともに短詩形文学と呼ばれるジャンルに属していますが、内容は野球とサッカーほど違います。短歌はご承知のように五七五七七。俳句は五七五。七七が違うだけのように見えますが、それだけではありません。短歌は自分の内面を歌い俳句は外側を歌う。ベクトルが真逆なのです。 試みに短歌の会と俳句の会の両方に出席してみてください...
当たり前の景色を当たりまえに詠むことを「ただごと」と言います。波多野爽波という俳人にこんな句があります。 鳥の巣に鳥が入ってゆくところ 爽波 鳥の巣が春の季語。そりゃそうでしょう、と突っ込みを入れたくなります。鳥の巣に蛇が入っていったら事件ですが、鳥が入るのは当たりまえ。では何故この句が名句とされているのでしょう?...
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