てんさく・添削【超初心者向け俳句百科ハイクロペディア/蜂谷一人】




一種の魔法、または錬金術。鉛のように濁った句の数文字を変えるだけで、黄金に生まれ変わります。俳人の井上弘美さんは添削の名手。その特徴は元の句のいいところを残すところ。というと「???」の声も上がりそうですが、世の中には原句をあとかたもなく粉砕する先生もいらっしゃるわけで。そうなると添削ではなく改作となってしまいます。例えば先日の句会に出た次の句。井上さんがどう添削したか見てみましょう。

筍の姫皮までも食ひつくす

どうです。なんとなく、俳句っぽくないですよね。どこがいけないのでしょう。まず、「食ふ」という動詞がいらないと指摘されました。なるほど、筍は食べるもの。わざわざ言わなくても食べるに決まっています。では、どこを残せばいいでしょう。井上さんは「筍の姫皮」に注目しました。筍の部分に踏み込んでいます。神は細部に宿る。全体を詠うより部分を詠むほうが具体性が増すというもの。さらに姫皮はかなりおいしい部分。ならば「までも」は変ですよね。姫皮がまずいとされているのなら「までも」で正解ですが、美味しいのなら別の言い方が必要です。結局こんな風に添削されました。

筍の姫皮なれば焼きにけり

わお、がぜん俳句らしくなりました。井上さんによれば、食べ物季語の場合は料理法や食べ方をいれるとよいとのこと。なるほど。普通茹でて食べる筍を焼くといわれると、がぜん香ばしい匂いが立ち上がってきます。焼いてどうするの?と尋ねる人はいませんよね。食べるに決まっています。おいしいお酒までついてくるように感じるのは、「焼く」という動詞のおかげでしょう。気の利いた小料理屋のような洒落た雰囲気まで漂ってきませんか。

俳句は小さな詩形。多くを言おうとするとすぐに破綻してしまいます。このくらいの情報量がちょうどいい。だけどありきたりではなく、ちょっとだけ気の利いたものにしたい。そんなときには動詞の選択が大切です。

井上さんからのアドバイス。初心者の方が俳句を作るときは、必ず一句を完成させること。言葉の断片だけでは添削のしようもありませんし定型感覚も身に付きません。このケースのように欠点があっても一句にまとめることで、次のステップ=添削へと進むことが出来るのです。

さて同じ作者のこんな句もありました。

朝掘りの竹の子ゆでて昼に喰ふ

こちらも俳句らしくないですね。その理由は朝掘り、昼に、と午前中の長い時間が描かれていること。俳句は言葉の写真と言われます。シャッターチャンスは一瞬。井上さんには到底及びませんが、私がそのやり方を真似て添削してみることにします。

まず残すフレーズを決めます。竹の子は食べ物だから「喰う」は不要。「竹の子ゆでて」を残すことにします。ここで考え方は二つあります。茹でるのは室内ですから、室内のものを取り合わせる。

竹の子を茹でて厨のととひぬ

厨とは台所のこと。竹の子をゆでることで台所のありようがびしっと決まった、という句です。もう一つは屋外の景や地名を詠み込むこと。世界が広がります。

竹の子を茹でて嵯峨野の風つのる

嵯峨野は筍の産地として知られる京都の地名。風つのるで、これから何かが起きる予感が漂います。もう一点指摘すると、原句では掘り、ゆでる、喰うと
動詞関連の語が三つ入っています。正確には「朝掘り」は名詞ですが、掘るという動詞が名詞化したもの。だから読んだ印象は、動詞が三つあるように感じられます。一句に動詞は一つ。せめて二つまで。添削した句も動詞は二つになっています。動詞が多いと印象が散漫になってしまうのです。いい句の理由をあげるのはなかなか難しいものですが、悪い句の理由はすぐにあげられます。いいですか。シャッターチャンスは一瞬。動詞は二つまで。

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html






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