なし「梨(秋)」【最近の句集から選ぶ歳時記「キゴサーチ」/蜂谷一人】




梨剝く手サラリーマンを続けよと  小川軽舟「朝晩(2019)ふらんす堂」

誰が梨を剝いているのでしょうか。「サラリーマンを続けよ」と言っているのですから、作者の妻。「続けよ」というさりげない命令形が、有無をいわさぬ圧力を醸し出しています。想像するに、「まだまだお金もかかるから、今仕事を辞めてもらっては困る」というところではないでしょうか。しゃりしゃりと梨を剝く音が、沈黙する夫の耳に響きます。人物を出さず、「手」と言った点に注目。顔が見えないことが、句の緊張感を高めています。

これは「単身赴任」と記された章の中の一句。句集に単身赴任という言葉を見つけると大層新鮮に映ります。今や日本の勤労者の多くはサラリーマンであるはずなのに、俳句の世界には、これまであまり登場しませんでした。歳時記にも、サラリーマン関係の季語は「年末賞与」などごくわずか。稲作や養蚕、漁業に関する季語が豊かなのと対照的です。俳句は自然の詩。サラリーマンの世界には自然も詩もないとされてきたからでしょう。しかし、自らもサラリーマンである作者は、身近なところに詩を見出しました。都会の生活を詩情溢れるタッチで描いた小津安二郎の映画を思わせる一句です。

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html

 

最近の句集から選ぶ歳時記「キゴサーチ」(秋)

 






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