田一枚植ゑて立ち去る柳かな 松尾芭蕉
「奥の細道」に登場する一句。季語は田植えですが、柳が別れに彩を添えています。しかし、柳でなくても他の木でもかまわないのでは。そう思ったあなた、いい勘をしています。何か深い事情がありそうですよね。
漂泊の歌人として知られる西行の歌に、「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」(新古今集、山家集)があります。芭蕉は、西行ゆかりの柳に心を寄せ、元禄2年(1689年)4月19日、殺生石を見物したあと、この遊行柳に立ち寄りました。「奥の細道」には、憧れの地に立った感慨が記されています。
「清水が流れるほとりにある柳は、蘆野の里の田の畦に残っている。郡守の戸部某が、この柳を見せたいなどと折々に手紙をくれたのだが、是非いつかと思っていたところ、今日 この柳のほとりに立つことができた」と嬉しさを記し、その後に掲句を詠んでいるのです。芭蕉にとっては特別な柳だったわけですね。
ところで、その遥か以前から柳は詩歌に詠まれてきました。次の漢詩を見てください。
渭城の朝雨軽塵をうるおす
客舎青青柳色新たなり
君に勧む更に尽くせ一杯の酒
西のかた陽関を出ずれば故人なからん 王維
唐代の詩人・王維が西域に旅立つ知人を見送ったときの情景です。渭城とは、渭水のほとりにあった秦・漢時代の都 咸陽のこと。「咸陽の朝の雨が塵をしずめている。旅館の柳は青々と新たな色合いを見せている。さあ、もう一杯酒を飲み干したまえ。西のかた陽関の先に行けば、もう知り合いはいないのだから」という意味。この有名な詩に登場するのが柳。そのおかげで、古来 柳が旅立ちや別れの象徴とされるようになりました。
王維、西行、芭蕉、古の大詩人たちが別れを詠んだ柳。あなたも一句詠んでみませんか。