俳句を構成する品詞の特性について考えてみましょう。作家 開高健は文章は形容詞から腐ると言いました。ヘミングウェイの文章修行の心得と実によく似ています。俳句と散文は違いますが、この言葉には真実が含まれています。例えば女性を描写する際、形容詞だけを使って美しいとか可愛いとかいうのは一番伝わらない言い方。まるで中学生のラブレターです。髪型、目の色、唇、頬、肌 などなど具体的に書けば書くほどはっきりと伝わります。川端康成は「雪国」で芸者の駒子をこう描写しています。
「細く高い鼻が少し寂しいけれども、その下に小さくつぼんだ唇はまことに美しい蛭の輪のように伸び縮みがなめらかで、黙っている時も動いているかのような感じだから、もし皺があったり色が悪かったりすると、不潔に見えるはずだが、そうではなく濡れ光っていた。目尻が上がりも下がりもせず、わざと真直ぐに描いたような眼はどこかおかしいようながら、短い毛の生えつまった下がり気味の眉が、それをほどよくつつんでいた。少し中高の円顔はまあ平凡な輪郭だが、白い陶器に薄紅を刷いたような皮膚で、首のつけ根もまだ肉づいていないから、美人というよりもなによりも、清潔だった」
凄いと思いませんか。270字も費やして駒子の顔立ちを描写しています。偏執的といえるほど濃密で微細な描写が続きます。確かに形容詞も使っていますが、そのあとに必ず具体的な描写が入ります。中でも「唇は美しい蛭の輪のように」とは、ちょっと言えませんよね。ねっとりと肉感的な紅い唇。少々危険な感じさえあります。さすがノーベル賞作家。
形容詞の次に要注意なのは動詞。数が増えれば増えるほど、扱いが難しくなります。ただし、オリジナリティのある動詞をひとつ用いると抜群の効果をあげることもあります。
美しき緑走れり夏料理 星野立子
夏料理の鮮やかな緑を走るようだ、と表現しているのです。料理に用いる動詞に走るは、出てきませんよね。一生に一度くらいは、このくらいインパクトのある動詞を使ってみたいものです。
助詞も厄介です。しかも形容詞や動詞と違って省くことができません。プロとアマの違い、巧拙がはっきり見えるのが助詞の選択です。
気兼ねなく使えるのが名詞。名句のいくつかが名詞だけで構成されていることからもわかるように、俳句の核となる言葉です。詩の世界には寄物陳思という言葉があります。物に寄せて思いを述べること。つまり名詞に作者の思いを託すのです。これが俳句の最短最強コース。
奈良七重七堂伽藍八重桜 松尾芭蕉
奈良、七重、七堂伽藍、八重桜。すべて名詞の一句。奈良のなと七重のなが韻を踏み、七堂、八重と数字の遊びも楽しませてくれます。すべての言葉ががっしりと組み上げられていて一点の隙もありません。まるで巨大な建造物を見るようです。