せんりゅう・川柳【超初心者向け俳句百科ハイクロペディア/蜂谷一人】

かつて、ある政治家が「私の俳句は川柳のようなもの」と謙遜してみせたところ、川柳愛好家から猛抗議を受けたことがありました。川柳は俳句の季語がないもの、俳句より一段劣ったものと考える方が多いようですが、それは誤り。俳句と川柳は同じ五七五の詩形を持っていますが、全く別のジャンルです。川柳と言えば世相を風刺したものがすぐに思い浮かびます。しかし、それだけではなく、シリアスで芸術性にとんだものや季語を備えたものもあります。現代川柳を代表する作者のひとり、時実新子(1929-2007)の作品を見てみましょう。

れんげ田を千枚越えて逃げられぬ
もしかして椿は男かもしれぬ
どこまでが夢の白桃ころがりぬ
逃げてきた町で鰯を手掴みに
急に暗くてぶどうの房を裏返す

素敵な句ばかりです。それに れんげ、椿、白桃、鰯、ぶどうはいずれも季語。俳句との違いは何なのでしょうか。

ちょっと難しい言い方をすれば「切れ」の有無。俳句には切れがありますが、川柳にはありません。切れは映像の編集点のように、二つの異なる世界をつなぐもの。ですが、切れを知らない初心者にとって意味のとりにくいものとなる危険性もはらんでいます。一方、川柳は上から下へすらすら読んで、容易に意味を取ることが出来ます。

この定義が難しければ、次の逸話はどうでしょう。部屋に大勢の人が集まっています。そこに川柳の作家が入ってきました。彼女(彼)は、人々の顔をまじまじと見、服装や会話の内容に注意を払いました。やがて俳句の作家が入って来ました。彼女(彼)はどうしたでしょう。人々の間を通り抜け、窓辺に向かうと空の様子や外の景色を眺め始めました。人を詠むのが川柳。自然を詠むのが俳句。切れの有無が形式的な区別であったのに対し、この逸話はテーマ設定の違いを表しています。

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html

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