のあそび「野遊(春)生活」【最近の句集から選ぶ歳時記「キゴサーチ」/蜂谷一人】




野遊びのやうにみんなで空を見て  大木あまり「星涼(2008)ふらんす堂」

野遊は春の季語。暖かい春の日を浴びて野山で遊ぶことです。冬の間、屋内に閉じ込められていた人々が待ちに待った日です。野草を摘んだりスポーツに興じたり。ひととき子どものようになって楽しみます。幸せな季語とでも言えばいいのいでしょうか。

あるとき「俳句さく咲く!」という番組で早春の多摩川に出かけたことがありました。羊蹄(ぎしぎし)、野蒜(のびる)、芹(せり)、食べられる野草を見つけて、味わってみたりもしました。春の草はどれも青臭く、ほろ苦い。むきだしの命をいただいているような実感がありました。

さて掲句。野遊びのやうに、ですから野遊びをしてる訳ではありません。でも屋外でひとときを楽しんでいるらしい。もしかしたら皆で寝っ転がっているのかも知れません。そうすれば空が目に入ります。

考えて見れば、大人になってから空を見ることが少なくなりました。子どもの頃は雲を見上げながら走って、溝に落ちたりしたものです。大人になると多くが下を向いて歩きますが、だからと言って野草に目を留める訳ではありません。屈託を抱えているのです。目をあげればそこに、青空が広がっているというのに。

ですから、掲句の空を見上げるひとときは貴重です。今はお金の話をしません。話すのは未来のこと。夢のこと。ここではないどこか遠くのこと。白い雲をモーツァルトの鬘のようだと言った歌人がいました。風にのって音楽が聞こえてきます。

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html






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