きごじゆうしゅぎ 季語自由主義【ワンランク上の俳句百科 新ハイクロペディア/蜂谷一人】




本意という言葉をきいたことがありますか。ひとことで言えば、季語にまつわる俳句的情緒のこと。炬燵(冬)であれば、体や心を温めるもの。ほっこりするもの。ところが、それに捉われすぎると昭和のホームドラマのような生ぬるい感じになってしまいます。もう、どこにもない郷愁を謳う句になってしまいうのです。そこで令和の作家は、本意とリアルの間で格闘しています。私は 本意にこだわるのが季語原理主義、リアルを重んじるのが季語自由主義と大雑把に分類してみました。次の一句などさしづめ季語自由主義の典型。

炬燵より離れてゐたり反抗期   西山ゆりこ

炬燵はご存知ですよね。日本の家から襖がなくなり、障子が姿を消そうとしています。マンションには和室がなくなり、代わりにアルミサッシが登場しました。そんな中で炬燵はしぶとく、テレビの前に居場所を確保し続けています。炬燵板の上にはテレビのリモコンと蜜柑がのっています。勉強にも仮眠にももってこい、もちろんゲームだってできます。万能の炬燵ですが、重大な問題を孕んでいます。掲句が指摘するように、反抗期、思春期の若者に不評なのです。一家の団欒の中心だからです。両親がでんと座っていて、なんとも鬱陶しく家父長的な世界観を体現している場所だからです。私にも炬燵が嫌で嫌でたまらなかった時期がありました。中学高校の頃です。当時の私のスローガンは、三十過ぎを信じるな、でした。自分が三十歳過ぎになるなんて、全く想像していませんでした。炬燵のあたりでは演歌がかかっていて、その緩さが許せず全くもって吐きそうでした。

とまあ、このようなことを掲句は一瞬で思い出させてくれました。炬燵という季語の恐ろしいパワーです。消え去ろうとしている襖や障子には悪いのですが、彼らにこんなパワーはありません。彼らはあくまで日本的な美の象徴。炬燵は日本的な生活の象徴です。美は時々忘れても構いませんが、生活はしないわけにいきません。ダサくてもウザくても炬燵の周辺で、日々の生活は営まれます。仮に会社でうまく行かなくても、ここでは猫が慰めてくれるのです。炬燵よ、フォーエバー。

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html

 

 

 

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