日本橋獅子と麒麟と春塵と 高田正子「青麗(2014)角川学芸出版」
春は風が強い日が多くとかく埃や塵が立ちやすい、と歳時記に。春は大陸から黄砂が飛んでくる季節。埃や塵がさまざまな場所に沈殿してゆきます。日本橋も例外ではありません。獅子や麒麟の像も春塵に霞んで見えます。
日本橋が現在のかたちになったのは1911年。掛け替えの際、江戸情緒を残す朱塗の木の橋の構想もあったといいます。それに反対したのが、当時の東京市長・尾崎行雄でした。「都市は便利と美観を兼ね備えなければならない」という持論を持っていた尾崎は、堅牢な石橋の建設を推進。さらに美観にこだわり、東京市の紋章を抱く獅子と左右を睨む麒麟の装飾を採用したのです。
こうして帝都・東京のシンボルとなった獅子と麒麟。どちらも元々は大陸の意匠です。広大なアジアの東の果てに位置する日本。大陸からもたらされた文化と春塵の終着点が国名を冠する日本橋だったというのも、興味深いことです。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」