- シクラメン花の裳をかゝげ初む
- 凍て飯にぬる茶もあらず子等昼餉
- 夏帽や太眉秘めて一文字
- 夏瘦の肩に喰ひ込む負児紐
- 夜寒児や月になきつつ長尿り
- 夜長き女裁板抱いて寝つきたり
- 子を負うて肩のかろさ天の川
- 弾っ放して誰そ我がピアノ夏埃
- 影させしその蝶にてはらざりき
- 彼の漢遊ぶが如し葦を刈る
- 手袋とるや指輪の玉のうすぐもり
- 打水やずんずん生くる紅の花
- 旅衣時雨るゝがまゝ干るがまゝ
- 日を追わぬ大向日葵となりにけり
- 書初めやをさなおぼえの万葉集
- 月代はつきとなり灯は窓となり
- 朝寒や小石大きな影を曳く
- 枝ながら柿そなへあり山の寺
- 水馬蜂の骸の眼を吸へる
- 流木に紅葉とぼしき双の岸
- 短夜や乳ぜり啼く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)
- 短夜を乳足らぬ児のかたくなに
- 祭人降り続くなり汀まで
- 秋日こめて紅蘆の葉や燃えそめし
- 稲刈のしぐるゝ妻を叱り居り
- 窓しめて魂ぬけ校舎干大根
- 緑蔭や矢を獲ては鳴る白き的
- 胼ふえてますます光る指輪かな
- 英霊も秋風に夕まぎれつゝ
- 苺ジャム男子はこれを食ふ可らず
- 華やかや吾をつつみて舞ふ落葉
- 藤棚に藤波なして返り咲き
- 鉢棚を叩く硬さや寒の雨
- 除夜の鐘襷かけたる背後より
- 雨風に黙々として鵙の冬
- 霧の海大博多港の燈を蔵す
- 額づけば秋冷至るうじなかな
- 颱風の去にし夜よりの大銀河
- 母の名を保護者に負ひて卒業す
- 愁あり鬢髱つめし祭髪
- 短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎
- 踏みのぼる木の根木の根の苔紅葉
- 子を連れし父が通るよ窓の冬
- 固き帯に肌おしぬぎて種痘かな
- 短夜や乳ぜり啼く児を須可捨焉乎
- 鍵板打つや指紋鮮かに夏埃
- 伏し重つて清水掬ぶや生徒達
- 芥子摘めば手にもたまらず土に落ちし
- 乱れたる我れの心や杜若
- 瀧見人水魔狂ひ落る影見しか
- 滴りて木賊嫩芽の色甘き
- 枯笹と墜ちし蝸牛に水暗し
- 夏痩の肩に喰ひ込む負児紐
- 紅葦の紅奪ひつつ陽は簷へ
- 三井銀行の扉の秋風を衝いて出し
- 夜寒児や月に泣きつつ長尿り
- 子を負うて肩のかろさや天の川
- ビン抜くや抜けて絡む毛秋の声
- 御忌僧一人異端者めきて鬚美事
- 電気炬燵に膝すこしあて老母かな
- 今年尚其冬帽乎措大夫
- 蜜蜂の如女集れりゑびすぎれ
- 初鶏やカアテン垂れて冬薔薇
- カルタ歓声が子を守るわれの頭を撲つて
- 詩書くや襤褸の中の春夜人
- 春夜人衿裄け了へて今十時
- 凍て畳に落ちてひろごる涙かな
- 寒夜鏡に褄しづまりて誰か彳つ
- 書初やをさなおぼえの万葉集
- 添へ髪のおもたき髷や祭髪
- 祭り人降り続くなり汀まで
- 夏痩もせずただ眠き怖しし
- 霧濃ゆし馬蹄のこだま喝破とのみ
- 青葦を手づから刈つて簾を編むも
- ちひさなる花雄々しけれ矢筈草
- 葦刈の去んで人見ぬ日数かな
- 鳰載せてけはしき水となり初めつ
- 古里は痩稲を刈る老ばかり
- 曲りたる七重の腰に毛見案内
- 雪嶺となつて外山の大起伏
- 寒禽となり了んぬる鵙一羽
- 畑打つて酔へるがごとき疲れかな
- 日を追はぬ大向日葵となりにけり
- 鳥雲に児を措きて嫁す老教師
- 影させしその蝶にてはあらざりき
- 夏帽や女は馬に女騎り
- 大いなる月こそ落つれ草ひばり
- 秋晴の名ある山ならざるはなく
- 月代は月となり灯は窓となり
- 十三夜日記はしるすことおほき
- 流材に紅葉とぼしき双の岸
- 学校の音春眠を妨げず
- 鯖提げて博多路戻ることもあり
- 茸狩るやゆんづる張つて月既に
- 山をなす用愉ししも母の春
- 子をおもふ憶良の歌や蓬餅
- 鮓おすや貧窮問答口吟み
- 花菜散る糟屋群をたもとほり
- 遠の灯の名ををしえられ居て涼し
- 一枚の濃紫せる紅葉あり
- 霧迅し山は紅葉をいそぎつつ
- 旅疲れかくして語る夜長妻
- 青春の仏のかほと見まゐらす
- 郵便の疎さにも馴る雲雀飼ふ
- 籠雲雀に街衢の伏屋の明け暮るる
- ことごとく夫の遺筆や種子袋
- 水飯に晩餐ひそと母子かな
- 貧厨にドカと位す冷蔵庫
- 墓参路や帯まであがる露しぶき
- 掃苔や景行帝の御所ちかく
- 真額に由布嶽青し苔を掃く
- ひよどり来きくいただき来人来ずも
- 忌ごもりのしのび普請に秋老ける
- 香の名をみゆきとぞいふ冬籠
- 花日々にふくらみやまず書庫の窓
- 書庫の窓つぎつぎにあくさくらかな
- いまそかるみ霊の父に卒業す
- かたくなに枝垂れぬ柳道真忌
- 貫之の歌たからかに菜摘人
- 玄海に花屑魚育てて碧き潮
- 卓の貝深海の譜をひそと秘む
- 書庫暗し若葉の窓のまぶしさに
- 紋のなき夏羽織被て書庫を守る
- 司書わかし昼寝を欲りし書を閲す
- かわせみに蔦をよそはぬ老樹なく
- 月見草に子におくるるの母帰宅
- 月見草に食卓就りて母未だし
- 干梅の皺たのもしく夕焼くる
- 汗の身を慮りて訪はず
- 蓼咲いて葦咲いて日とつとつと
- 父のなき子に明るさや今日の月
- 月あらば片割月の比ならむ
- おもむろに月の腕を相搦み
- 夜の闇さ椎降る音の降る音に
- 梟やたけき皇后の夜半の御所
- 梟に森夜ぶかくも来りつれ
- み仏にささぐる花も葦の華
- 吾がいほは豊葦原の華がくり
- 華葦の伏屋ぞつひの吾が棲家
- 棲めば吾が青葦原の女王にて
- 修道女のその胼の手を吾が見たり
- 節穴の日が風邪の子の頬にありて
- 化粧ふれば女は湯ざめ知らぬなり
- 葦火してしばし孤独を忘れをる
- 枯葦に雨しとしとと年いそぐ
- 葦の穂の今朝こそくろし春の雨
- 書庫の書に落花吹雪き来しづかにも
- 書庫瞑く書魔生るる春逝くなべに
- 灯りぬ花より艶に花の影
- 孵卵器を守れる学徒に日永くも
- 蝌蚪の水森ぐんぐんと緑し来
- ヨツトの帆はろかに低しつつじ園
- 紫陽花や夫を亡くする友おほく
- 明けて葬り昏れて婚りや濃紫陽花
- 起居懈しきんぽうげ実を挙げしより
- 受話機もて笑ふ顔見ゆ合歓の窓
- 吏愉し半休に入り弓を引く
- 痩せて男肥えて女や走馬燈
- 塔屋白しそだちやまざる雲の峯
- 青葦の囁きやまず端居かな
- 小風呂敷いくつも提げて墓詣
- 村人に轡をとらせ墓詣
- 四五人の村人伴れて墓詣
- 掃苔の手触りて灼くる墓石かな
- 故里を發つ汽車に在り盆の月
- 稗の穂は垂り稲の穂はツンツンと
- 篠白し月蝕まれつついそぐ
- 考へに足とられ居し蓼の花
- 母帰るや否や鶲が来しといふ
- 鶲来て母は毎日不在なり
- 鵯の路月の骸横たはる
- 随身の美男に見ゆ初詣
- 種子明す手品師も居し初詣
- 幾何を描く児と元日を籠るなり
- 円き日と長き月あり紙鳶の空
- アカシアや庵主が愛づる喧嘩蜂
- 大いなる弧を描きし瞳が
- 土蜂や農夫は土に匍匐する
- 痩せ麦に不在地主の吾が来彳つ
- 小作より地主わびしと麦熟る
- 藍を溶く紫陽花を描くその藍を
- 偸みたる昼寝芳し事務の椅子
- 的礫や風鈴に来る葦の風
- 風鈴や古典ほろぶる劫ぞなき
- 風鈴に青葦あをき穂を孕む
- 瑞葦に風鈴吊りて棲家とす
- 軒ふかしこの風鈴を吊りしより
- 翡翠の飛ばぬゆゑ吾もあゆまざる
- 翡翠に遅刻の事は忘れ居し
- 笹枯れて白紙の如しかたつむり
- 黄塵を吸うて肉とす五月鯉
- 五月鯉吾も都塵を好みて棲む
- 緑樹炎え日は金粉を吐き止まず
- 緑樹炎え割烹室に菓子焼かる
- 颱風に髪膚曝して母退勤来
- 汗臭き鈍の男の群に伍す
- 額に汗しいよいよ驕る我がこころ
- そくばくの銭を獲て得しあせぼはも
- 小作争議にかかはりもなく稲となる
- おばしまにかはほりの闇来て触るる
- 月の名をいざよひと呼びなほ白し
- 我を怒らしめこの月をまろからしめ
- 怒ることありて恚れり月まどか
- 月まろし恚らざる可らずして怒り
- 嫁ぎゆく友羨しまず柿をむく
- 柿をむきて久遠の処女もおもしろし
- 紫の蕾より出づ銀の葦
- かたくなに檪は黄葉肯ぜず
- 楢檪つひに黄葉をいそぎそむ
- 寒風と雀と昏るるおのがじし
- 寒雀風の簇にまじろがず
- まつくらき部屋の障子に凭れ居し
- 八ツ手散る楽譜の音符散る如く
- 黒き瞳と深き眼窩に銀狐
- 鳰の描く水尾の白線剛かつし
- ペンだこに手袋被せてさりげなく
- 雪ふかき田家に火のみ赤く燃ゆ
- 赤光をつらねてくらし遠山火
- 山火炎ゆ乾坤の闇ゆるぎなく
- 山上憶良ぞ棲みし蓬萌ゆ
- 蓬萌ゆ憶良旅人に亦吾に
- 蓬摘む古址の詩を恋ひ人を恋ひ
- 万葉の男摘みけむ蓬萌ゆ
- 木蓮に白磁の如き日あるのみ
- ただならぬ世に待たれ居て卒業す
- 新しき角帽の子に母富まず
- 月見草灯よりも白し蛾をさそふ
- 月見草勤労の歩のかく重く
- 朝の路水より素し蟻地獄
- 蟻地獄寸刻吝しき歩をはばむ
- 颱風は萩の初花孕ましむ
- 夏潮は白し母と子相距て
- 秋風をそびらにいそぐ家路かな
- 人膚に肖てあたたかき枯木かな
- 秋の雨征馬をそぼち人をそぼち
- 焦げし頬を冷雨に打たせ黙し征く
- 秋雨来ぬ重き征衣を重からしめ
- 水鳥に兵営の相ただならじ
- 夜ぞ深き葦を折りては北風叫ぶ
- 夕日赫つと枯野白堊にぶつかり来
- 寒鮒を堕して鳶の笛虚空
- 降霜期耕人征きて家灯らず
- 青きネオン赤くならんとし時雨る
- 鉄扉して図書と骸の歳と棲む
- 用納めして吾が別の年歩む
- 家事育児に疎まれて我が年いそぐ
- 悪妻の悪母の吾の年いそぐ
- 年立てり家政の鍵の錆ぶままに
- 花吹雪く窓をそがひに司書老いたり
- 寮の子に樗よ花をこぼすなよ
- 汝に告ぐ母が居は藤真盛りと
- 路幽く椿の紅を燃えしめざる
- 茅萌え芝青み礎石にかしづける
- 茅に膝し巨き礎石の襞に触る
- 鶯が鳴くゆゑ路が遠きなり
- 苺ジヤムつぶす過程にありつぶす
- 苺ジヤム甘し征夷の兄を想ふ
- 蚊の声の中に思索の糸を獲し
- 苔の香のしるき清水を化粧室にひき
- 女人高邁芝青きゆゑ蟹紅く
- 階高く夏雲をたたずまはしむ
- 田草取に鏡の如き航空路
- 葦咲いて夏をあざむくゆふべあり
- 刈稲の泥にまみれし脛幼し
- 寒波来ぬ月光とみに尖りつつ
- 寒暴れの門司の海越え来し電話
- 片頬にひたと蒼海の藍と北風
- 埋火や今日の苦今日に得畢らず
- かたくなに日記を買はぬ女なり
- 旅人も礎石も雪も降り昏るる
- 埋火に怒りを握るこぶしあり
- 宝庫番と暮れてまかるや初詣
- ちりひぢの旅装かしこし初詣
- 初富士の金色に暮れたまひつつ
- 傷兵の白ければ梅いや白く
- 散る梅にかざし白衣の腕なり
- 傷兵に今日のはじまる東風が吹く
- 軍隊の短き言葉東風に飛ぶ
- 軍需輸送の重き車両ぞ雪を被来
- 吹雪く車輌征人窓に扉に溢れ
- 車輌吹雪き軍服床に藉きても寝る
- やすまざるべからざる風邪なり勤む
- 寒行の眼鏡妖しく光り来る
- 壁炉美し吾れ令色を敢へてなす
- 壁炉あかしあろじのひとみひややかに
- 風鈴狂へり夕餉おくるる由ありて
- 悲憤あり吐きし西瓜の種子黒く
- うつぶして華こそ勁し葦の華
- 子といくは亡き夫といく月真澄
- 金色の尾を見られつつ穴惑ふ
- 鈴懸黄樹を鉾とし葦を楯とし棲む
- 鵯問へば鵙が答ふる答へけはし
- 吾が胃吾が手に触れよりの夜長かな
- 大学生に買はれて哀し塩鰯
- 塩鰯啖つて象牙の塔を去らず
- 寒雀倣岸に蘆華猖介に
- かく粗くかつ軽けれど今年米
- 枯銀杏空のあをさの染むばかり
- 年けはし炭欲る心打ち捨てたり
- 石炭を欲りつつ都市の年歩む
竹下しづの女 プロフィール
竹下しづの女(たけした しづのじょ、1887年3月19日 - 1951年8月3日)