カメラワーク【ワンランク上の俳句百科 新ハイクロペディア/蜂谷一人】




カメラワークと言えば、ワンカットの中で焦点を変えてゆく技法があります。ピン送り、フォーカス送りとも言われるテクニックです。それが俳句でも応用できるといったら、驚かれるでしょうか。次の句をごらんください。

コスモスにピント移せば母消ゆる 今井聖

コスモスの前で記念写真を撮っている。そんなシーンでしょうか。ここではレンズの光学的な特性が利用されています。望遠レンズではピントの合う距離が限定されます。数センチの奥行きの違いではっきり見えたり、ぼやけたり。その特性を活かした掲句。手前の母にピントがあえば背景のコスモスはぼける。反対にコスモスに焦点が合えば、母が消える。ぼけるではなく、消えるとした点に注目して下さい。まるで母がいなくなったように感じられませんか。年配の母であれば、地上から旅立ってしまったかのような寂しさを一瞬感じます。だから「消ゆる」。季語のコスモスは身近な親しい花。家族の思い出とともにアルバムに収められる花。そして冬が来る前のひとときを彩る花。母の晩年を飾るにふさわしい花です。もう一句、ピン送りの例を挙げてみましょう。

ガラス戸の遠き夜火事に触れにけり  村上鞆彦

火事は冬の季語。「冬は空気が乾燥しているので、暖房器具や寝煙草により火事が起きやすい」と歳時記に記されています。ガラス戸の外に火事が見える。戸に駆け寄って遠くの炎を見つめた。こう解釈すれば、カメラは室内にあります。主人公の背中越しにガラス戸と、遠くの火事が見えています。これでもいいのですが、後ろ姿なので主人公の表情が見えません。そこで、カメラをガラス戸の外に置いてみます。ガラスに炎が写っている。主人公が近づいて来て、ガラスに手を触れる。主人公の顔のあたりに炎が写っている。このカメラワークだと、ガラス越しに主人公の表情がはっきりと見え、しかもガラスに写った炎が心の動きをもの語ってくれます。私が監督ならば、カメラはガラス戸の外。ガラスから人へピントを送れば、ワンカットで炎と主人公の両方を撮影する事ができます。まず、画面には炎が映っています。奥にピントを送ると人の顔が現れます。少しぼやけて炎が重なっています。渇きなのか、恐れなのか、それとも欲望なのか。ガラスに手を触れる主人公の心理を描写することが出来ます。

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html

 

 

 

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