ほしのたつこ・星野立子(1903~1984)【超初心者向け俳句百科ハイクロペディア/蜂谷一人】




父がつけしわが名立子や月を仰ぐ

立子の代表句。月を仰ぐ凛々しい女性の姿が目に浮かびます。一体、どんな場面で詠まれた句なのでしょうか。立子自身がこう記しています。「1935年9月20日 夜。貞さんが死んだ。実は今日 私の大切な貞さんが死んだという話を父に聞かされた。私が三歳の時から家に手伝いに来ていて、十年もの間 いつも私達を世話してくれていた貞さん。貞さんは亡くなっていたのだ。それも十年も昔に。そして淋しい死に方だったらしいことがなお、私は悲しかった。月を見ながら貞さんのことを想い、自分の淋しさを考えつづけた。(中略)悲しみに沈むまま何句か詠んだ後、ふとこんな句が浮かんできた。父がつけしわが名立子やー この句が浮かんできたとき、くよくよするのもいい加減にしたいものだと思った。「父がつけしわが名立子やー」そして、一つ威張ってみようと思って「月を仰ぐ」とつけてみた。父がつけしわが名立子や月を仰ぐ」

ここに記されているのは、普段あかされることのない創作の秘密です。お世話になったお手伝いさんの死を知ったことがきっかけとなって生まれた一句。しかし完成した俳句からは、死の影はどこにも感じられません。父との絆を誇らしく思いながら月下にすっくと立つ女性の姿があるばかりです。一旦作られた句は、作者の意図とは無関係に歩き出す。そのことを端的に伝えてくれるエピソードではないでしょうか。

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html






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