短いから簡単だろうと考えて、気軽に始めてみたら難しくてわからなくなる文芸のこと。「二十週でわかる」と謳う教則本もありますが、ほとんどの人が二十年を費やしてますます道に迷って行きます。でもその人たちが不幸かといえばそうとも言えません。旅には道に迷う楽しみもあるからです。
私は俳句を「季語をめぐる冒険」と捉えています。季語には表面上の意味と奥に隠された意味があります。後者の奥に隠された意味を追求するには、多くの句に触れ、季語が生まれた背景や歴史的な文脈を探る必要が出てきます。例えば「花野(秋)」という季語。歳時記には「秋の草花が一面に咲き乱れる広々とした野原。華やかさととも、次の季節には枯野となる寂しさもあわせ持つ」とあります。花といえば春の季語で桜をさすのに、なぜ秋の季語なのでしょうか。実は鎌倉時代に編纂された玉葉集に「村雨の晴るる日影に秋草の花野の露や染めてほすらむ 大江貞重」という和歌があります。この歌が有名になったことから秋草の野を花野と呼ぶようになったのです。
先ごろ亡くなったアメリカの作家、アーシュラ・K・ルグインのファンタジー「ゲド戦記」をご存知でしょうか。何度読み返しても飽きのこない傑作です。主人公は「ハイタカ」という通り名を持っており、村人は彼をそう呼びます。ところが、彼には秘密の名前があり、それがゲドだったのです。原作を読んだ方にはお馴染みのエピソードですが、私は季語の捉え方に通じる考え方だと思っています。
ゲド戦記では、相手の本当の名前を知ることが魔法に結びついています。相手が龍ならば、背中にのって宙を舞うことさえできます。しかし、龍の名前を間違えるとたちまち火に焼かれます。この物語は「言葉が世界をつくる」というアメリカ先住民の思想を元にしています。言葉には素晴らしいパワーがありますが、正しく使わないと身を滅ぼします。季語の表面上の意味をハイタカ、奥に隠された意味をゲドと読み替えてみてください。俳句の秘密の一端が明らかになるはずです。大空に、海に、山野に、人の中に、季語の隠された意味を探ること、それが季語を巡る冒険です。