野ざらし紀行




野ざらし紀行とは、江戸時代の俳諧師松尾芭蕉による紀行文のうちの1冊です。

この中の1句、『山路来て 何やらゆかし 菫草』は大変有名です。

松尾芭蕉が門下の千里を伴い、自身の出生の地であった伊賀の国へと江戸から旅をした日々を綴った俳諧紀行文です。

貞享元年(1684年)秋から翌4月の旅程について描かれています。

野ざらしを 心に風の しむ身かな

松尾芭蕉が江戸を出立するに際して詠んだこの野ざらしの一句が一大テーマとなったため、そのまま紀行文の名になった趣きがありますが、俳句にいきなり『野ざらし』とは縁起が悪いとされています。しかし、その前年に芭蕉は母を亡くしていて、墓参の目的もあったことが背景から窺えます。

故郷である伊賀の国上野で、無事母親の墓参をした松尾忠右衛門宗房は、「手にとらば消えんなみだぞあつき秋の霜」という俳句を詠じ、『野ざらし紀行』の中にしっかりその思いを書き留めました。

松尾芭蕉の旅では、度々、俳句や日本の定型詩の源泉ともいえる漢詩、そして詩聖の杜甫や詩仙の李白への共感探しが見受けられ、『おくのほそ道』では、「国破(やぶ)れて山河(さんが)あり、城春にして草青みたり(杜甫『春望』)」が引用され、更に本歌取りのように舞台設定や体験を借用もされていますが、この『野ざらし紀行』においては、駿河・富士川で捨て子を見、「猿を聞く人捨て子に秋の風いかに」と、杜甫の「聴猿実下三声涙」等の詩のただよわせる悲しみにも心を馳せています。

続く旅程においては、「杜牧が早行の残夢」などの散文もあります。杜牧は、晩唐の頃の詩人で、李白より1世紀ほど後に活躍した人です。

このように、四季万物をみて、即座に漢詩等を詠じる才能が、松尾芭蕉の特に秀でた才だと窺えます。それゆえ、しきりに著名な詩人を思う旅ともいえ、彼らに思いを馳せながらの筆致は高邁な旅情に満ちて、広く人々を惹きつけてきたのでした。

『野ざらし紀行』においては、江戸から東海道を通って伊賀国に到達してから京の都や大和といった畿内近辺を巡り、甲斐国から江戸へと帰っていく旅中について、簡素な前書きと俳句、という形式で多数の5・7・5の俳句がものされています。

長きに渡る旅に疲れ、庵に戻った芭蕉が詠じた俳句――。

夏衣 いまだ虱(しらみ)を とりつくさず  松尾芭蕉






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