羅(うすもの)や人悲します恋をして
真砂女は恋に生きた女性。千葉県鴨川市の老舗旅館の三女として生まれました。22歳で日本橋の靴問屋の次男と恋愛結婚し一児を出産。しかし、夫が賭博癖のあげく蒸発してしまい、実家に戻ります。28歳のときに長姉が急死。旅館の女将として家を守るため義兄(長姉の夫)と再婚。30歳のときに旅館に宿泊した海軍士官と不倫の恋に落ち、出征する彼を追って出奔。その後 家に戻りますが夫婦関係は冷え切ってしまいました。50歳で離婚し、銀座一丁目に「卯波」という小料理屋を開店。亡くなるまでこの店の女将として暮らしました。この生涯を知れば、掲句に解説は必要ないのではないでしょうか。羅は紗、絽、上布などの薄く軽やかなひとえの着物のこと。夏の季語です。羅の女性といえば凛としたたたずまいを思い浮かべませんか。この季語には女性のかなしみと矜持が込められているのです。さて、こちらも同じ作者の句。
死なうかと囁かれしは蛍の夜
「歳時記食堂」という番組でこの句を紹介したところ、壇蜜さんが「私も死のうかと言われた経験がある」と突然告白を始めました。それを聞いた辰巳琢郎さんら男性陣の色めきたったことと言ったら。身を乗り出し「それでどうなったの」と口々に問いかけます。壇蜜さんは「今日はやめとこ、と言って電車に乗って帰りました」と涼しい顔。そのシーンを見ていた私はと言えば、掲句への思いが少々変わりました。それまで漠然と、真砂女の波乱の人生を象徴する一句だと考えていました。間違ってはいないものの、男性から心中を持ち掛けられることが、女性の中である種のプライドにつながっているのだと気づかされたのです。そんなに私は愛されていたのだと。
一句をどう読むかは、読者の人生経験によるところ大。「歳時記食堂」のやりとりで、今更ながら大人の世界への視点が開かれたのです。