- えりあしのましろき妻と初詣
- かいつぶりさびしくなればくぐりけり
- きさらぎの薮にひびける早瀬かな
- こひびとを待ちあぐむらし闘魚の辺
- こほろぎや右の肺葉穴だらけ
- しろがねの水蜜桃や水の中
- じやんけんの白き拳や花衣
- ちちろ虫女体の記憶よみがへる
- てのひらに載りし林檎の値を言はる
- ところてん煙のごとく沈みをり
- ひとりさす眼ぐすり外れぬ法師蟬
- ぼうたんのひとつの花を見尽くさず
- ものの種にぎればいのちひしめける
- わぎもこのはだのつめたき土用かな
- をさなごのひとさしゆびにかかる虹
- をみなとはかかるものかも春の闇
- 二上山(ふたかみ)をみてをりいくさ果てしなり
- 仰向けの口中の屠蘇たらさるる
- 切干やいのちの限り妻の恩
- 初鏡娘のあとに妻坐る
- 初霜やひとりの咳はおのれ聴く
- 南風や化粧に洩れし耳の下
- 右眼には見えざる妻を左眼にて
- 夏布団ふわりとかかる骨の上
- 夜の雪われを敗残者といふや
- 妻が持つ薊の棘を手に感ず
- 妻子を担ふ片眼片肺枯手足
- 子猫ねむしつまみ上げられても眠る
- 山茶花やいくさに敗れたる国の
- 手をとめて春を惜しめりタイピスト
- 新涼や女に習ふマンドリン
- 星屑や鬱然として夜の新樹
- 春の夜のわれをよろこび歩きけり
- 春の夜や都踊はよういやさ
- 春の昼遠松風のきこえけり
- 春の灯や女は持たぬのどぼとけ
- 春暁や人こそ知らね木々の雨
- 朝寒や歯磨匂ふ妻の口
- 水晶の念珠つめたき大暑かな
- 永き日や相触れし手は触れしまま
- 浴後裸婦らんまんとしてけむらへり
- 満月の照りまさりつつ花の上
- 潮干狩夫人はだしになり給ふ
- 研ぎ上げし剃刀にほふ花ぐもり
- 秋の夜や紅茶をくぐる銀の匙
- 秋風やつまらぬ男をとこまへ
- 篁(たかむら)を染めて春の日しづみけり
- 聖(きよ)くゐる真夜のふたりやさくらんぼ
- 船の名の月に読まるる港かな
- 見えぬ目の方の眼鏡の玉も拭く
- 誰が妻とならむとすらむ春着の子
- 重ね着の中に女のはだかあり
- 雷に怯えて長き睫(まつげ)かな
- 霜白し妻の怒りはしづかなれど
- 霽れ際の明るき雨や苗代田
- 高熱の鶴青空に漂へり
- 鼻の穴すずしく睡る女かな
- 遠野火や淋しき友と手をつなぐ
- サイネリア花たけなはに事務倦みぬ
- 釈奠や誰が註古りし手沢本
- ぼうたんや眠たき妻の横座り
- あぶらとり一枚もらふ薄暑かな
- 夏籠や畳にこぼすひとりごと
- 新緑や暁色到る雨の中
- 豌豆の煮えつつ真玉なしにけり
- ともしびにみゆるうのはなくだしかな
- グラジオラス妻は愛憎鮮烈に
- 清貧の閑居矢車草ひらく
- 生き得たる四十九年や胡瓜咲く
- 早苗田や朝の蛙はしげからぬ
- 嵩もなく解かれて涼し一重帯
- 心太煙のごとく沈みをり
- うす茜ワインゼリーは溶くるがに
- 晩霜や生ける屍が妻を叱る
- 爽籟や空にみなぎる月あかり
- 凍雲のすづかに移る吉野かな
- 粕汁に酔ひし瞼や庵の妻
- 熱燗に応えて鳴くや腹の虫
- 市中は激しき風や山眠る
- 火の色に透りそめたる潤目鰯かな
- 手袋の紅き手振りて歩きけり
- 冬薔薇の咲くほかはなく咲きにけり
- 不平有らば壁に擲て寒林檎
- ラグビーや敵の汗に触れて組む
- 炭の香のはげしかりけり夕霧忌
- 戎籠腰を落してなまめける
日野草城 プロフィール
日野 草城(ひの そうじょう、1901年(明治34年)7月18日 - 1956年(昭和31年)1月29日)