残雪や鱗を持たぬ身の渇き 篠崎央子「火の貌(2020)ふらんす堂」
残雪は春になっても消え残っている雪。「北国や日本海側などでは、藪陰、山陰、樹陰などに降った雪が幾日も消えずに残り、残雪の期間が相当長い」と歳時記に記されています。山の景色ですから掲句の鱗は、魚ではなく蛇のものではないでしょうか。鱗を持たぬ身とは、言い換えればかつては鱗を持っていた身。蛇身の神を想像します。鱗があった頃は、鱗が身の渇きを防いでくれた。しかし鱗を失った今は、渇きを癒すものがないというのです。
日本の神話に登場する蛇は、ときに人間の女性と結婚し、ときに生贄を求めました。またある時は刀剣に姿を変え、本当の姿を見たものを滅ぼす力を持っていると考えられてきました。出雲に神々が集まる神在月の頃。南の海から龍蛇神と呼ばれる海蛇が、出雲の海岸に流れ着きます。これを出雲大社に奉納するのが、古からのしきたり。また奈良県桜井市三輪の大神神社の祭神は蛇神。雷を操る大蛇の伝説が日本書紀に記されています。
きっと作者は現世と神話の世界を自由に行き来できる人なのでしょう。消え残る残雪の中で、消えない渇きが作者を遥かな場所へと駆り立てています。「火の貌」は作者の第一句集。俳人協会新人賞及び星野立子新人賞を受賞しています。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」