ひざまづき挿してもらひぬ赤い羽根 金子敦
行事を俳句に詠むのは難しいとされます。期間が長い上に、構成要素が多様だからです。例えば「赤い羽根」毎年十月一日から一ヶ月間行われる共同募金のこと。ご存知ですよね。始まりは秋で、終わりは冬。途中で季節が移り変わります。あの針金に赤い羽がついた代物の色形を詠むのか。募金に携わる人々を詠むのか。それとも、募金する善意の人々を詠むのか。街角の様子も千差万別。焦点を絞るのが難しい。つまり俳句に詠むのが難しいということ。
そこで頭を抱えることになりますが、解決法はただ一つ。掲句のように思い切って捨てること。募金とも善意とも言わず、駅前とも商店街とも言わず、たった一つのことだけを的確に述べています。
「ひざまづき」。お金を払った方が膝を折るシーンです。他の場合であれば、お金をもらった方が頭を下げるはず。おそらく、募金を呼びかけているのは子どもで、大人が身を低くして羽根をつけてもらっているのでしょう。立場が逆転した一瞬を、作者は見逃しませんでした。赤い羽根はつけてもらうのが慣例。でもブローチを買ったら自分で身につけますよね。そこが不思議といえば不思議。
なぜお金を払った人がひざまづくのか。誰に対しての行為なのか考えてみるとわかります。もちろん目の前の子どもに対してひざまづくのですが、子どもは個人の立場を超えて何かの象徴となっている。それは社会の規範とでもいうべきもの。募金に携わることで、福祉が維持されることを誰もが知っています。より良い社会を作る上で役立てられる募金。そこには博愛という偉大な理念があります。人はその理念に対してひざまづくのではないか。そう考えると掲句の持つ意味は、一層深いものとなります。
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