今様は、平安時代の末期に一世を風靡しました。『紫式部日記』や『枕草子』にも登場する言葉で、そもそもは仏教などの宗教の歌や、詩文の朗詠といった当世における声楽的なものといった幅広い意味を有していました。平安時代末期に貴族政治が崩壊して権力分散が始まる中、格式ばらないくだけた現代風として流行したり浸透したりしたため、主としてそのような時代の流行歌をいうようになりました。
今様が流行し一世を風靡した理由は、史書の記録等にあるように、白河法皇の養女で愛妾の藤原璋子腹の四番目の男子であった後白河法皇が、喉を傷めるほど愛好して『梁塵秘抄』を編纂までしたためといわれます。
今様の特徴は、7・5・7・5・7・5・7・5で1コーラスを構成するに相当する詩句となることでした。短歌の形式に似ていますが、内容はもっとざっくばらんで末法思想の影響を免れえない時代の歌も中にはありました。
今様には、その時代の固有名詞のように使用される以外に、当世風という普通名詞のように使用される場合もあり、やや複雑な意味があります。しかし、和歌のスタイルが次第にカジュアルな形で広まる過程において、連歌の変遷とともに大きな役割を果たしているジャンルです。
近現代においては、『荒城の月』等などがこの形式で作られるなど、いまだに注目されることも多い今様です。