定型詩




俳句は定型詩です。松尾芭蕉が作品中で必ずといっていいほど意識しているように、元来日本の定型詩の原型あるいは、その源流は中華王朝の五言絶句や律詩における文字そのものや形式美とされています。

中国では古詩散文を形式化して、テーマの凝縮と起承転結の構成の強調を浮き彫りにし、定型詩として昇華させた経緯があります。

5世紀頃までには作られ始め、楊貴妃たちの生きていた盛唐時代までに韻律などによる厳しい規則が整備されて5字または7字からなる定型詩が完成しました。

唐時代までに、倭国といわれたこの国では、そのような南梁・北魏の南北朝時代の仏像や装飾品などを始め、国家の作り方や仏教文化、漢字文化などが、隋への遣隋使、唐への遣唐使の派遣(隋、唐の先進知識を学び、倭にもたらすための留学者たちの派遣)などにより採り入れられ、急ピッチで京づくりが進められていました。

万葉仮名(さらには平仮名)、そして片仮名といった漢字を形ばかり借りて古来からの音をあてはめたり、そこから一部異なる文字群を創設したりする試みがなされていて、それらの文字によって短歌が『五・七・五』の韻律(リズム)で漢文の読めない女性たちにも防人(当時の軍人)にも詠まれてもいたという時代背景があるのです。

それゆえ、五言絶句の韻律(リズム)、律詩の『起聯承聯転聯結聯』などといった構成は、そのまま短歌と連歌、俳諧などといった日本古来かつ固有のものとばかり誤認されがちな詩歌文学系譜に、直接的にも間接的にも影響を与えている可能性が示唆されます。






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