小春日や尾生え脚生え龜てふ字 津川絵理子「夜の水平線(2020)ふらんす堂」
小春は旧暦十月の異称。小春日は立冬を過ぎてから春のように暖かくよく晴れた日のこと。のんびりとした気分のあふれる季語なので、龜にぴったり。この字は亀の旧字。調べてみると象形文字なのだそうです。つまり、動物の亀の形を模している。一番上の「々」みたいなのが頭。下にはみだしている「L」に似た所が尻尾。脚は、左下の「巾」を横にした部分。よく見ると小さな爪までついています。実にリアル。
そもそも私は、亀の旧字をよく知りませんでした。掲句をみて、もともとこんな複雑な形だったんだと仰天しました。びっくりしましたが興味も湧いてきました。そこで龜について少々考えてみました。そもそも龜は麒麟や鳳凰、龍と並ぶ霊獣の一つ。甲羅を焼いて未来を占いました。それほど古代中国の文化と深く結びついた存在。人々が、この一字に込めた情熱はどれほどのものだったでしょう。だって、龜ですよ。実に16画。大切なものだから、きちんと形を写したい。画数が多くても気にしない。むしろ複雑な方が霊力が宿りそう。漢字は意味を伝えるだけでなく、呪術的な側面を持っています。この龜の一字にも歴史の彼方からの声が反響しているようです。
さて蛇足ながらもう一言。「尾生え脚生え」の「生え」が絶妙です。この動詞のおかげで龜が生きているように見えてきます。水に放ったら泳ぎだしそう。面白くてためになる一句です。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」
最近の句集から選ぶ歳時記「キゴサーチ」(冬)