嗚咽なし悲鳴なし世界地図麗らか 高柳克弘「寒林(2016)ふらんす堂」
麗らかは「なごやかな春日に万象玲瓏と晴れ輝く様である」と歳時記に。万象玲瓏、これは難しい言葉ですね。辞書を引きました。万象は、天地に存在する様々な形、あらゆる事物のこと。玲瓏は、麗しく照り輝くさま。ということは、天地に存在する様々なものが、麗しく照り輝く様子。それは分かりましたが「嗚咽なし悲鳴なし」とはどういうことでしょうか。
世界のニュースを思いました。今、この時にも戦争、テロ、クーデター、新型コロナ、犯罪など恐ろしいニュースが世界を飛び交っています。それらは否応なく我が家のテレビやネットに飛び込んできます。世界は嗚咽と悲鳴に満ちているのです。しかし、世界地図には悲しみや恐怖がありません。大陸、半島、島嶼、海、川、湖、山、国や地域の位置と形、名前を告げているばかり。作者はそこに慰めを見出したのでしょうか。私も深く共感します。
ただ、不変と思われる地図の世界も長い時間の中ではゆっくりと変化してゆきます。例えばバルカン半島の国名は、ここ二十年の間に大きく変化しました。ユーゴスラビアの名を冠する国家がなくなり、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、北マケドニアとなりました。名前が変わる際には内戦が起こり、血が流されたりもしました。万象玲瓏たる時は短く、全てが移り変わってゆきます。だからこそ、麗かなひとときはかけがえのないもの。短いからこそ、一層慈しむ気持ちが強くなるのでしょう。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」