月とペンそして一羽の鸚鵡あれば 高柳克弘「寒林(2016)ふらんす堂」
月とペンは一体何を表しているのでしょうか。今回は句の解釈ではなく、私の妄想を記してみましょう。この句が謎に満ちて力強く、不思議な魅力に溢れているからです。
実はこの句に出会った時、私の頭に浮かんだのはサマセット・モームの小説「月と6ペンス」でした。掲句は月とペン。モームは月とペンス。響きが似ています。ただそれだけのことですが、こうした直感は案外重要で時に当たっていることもあります。
「月と6ペンス」のモデルはゴーギャン。ヨーロッパでの生活を捨て、タヒチに渡る画家の物語です。作中の画家は成功を収めずに亡くなりますが、タヒチで現地の女性との間に息子をもうけていました。終章で語り手は、画家の息子が大海原で船を操っている様を思い描きます。そう言えば掲句には、月とペンの他にもう一つキイワードがありました。鸚鵡です。もしも一羽の鸚鵡がいれば。そう、鸚鵡がいれば肩に乗せて船出したいものだ。こんな呟きが省略されているのかも知れません。この句からロマンと冒険の匂いを感じ取るのは私だけではないでしょう。
さて最初の問いに戻ることにします。月とペンは何を表しているのでしょうか。月は夢、ペンは芸術の象徴。それとも月は夜空に輝く美で、ペンは地上に美をもたらす道具。文明を捨てたゴーギャンの心を満たしていたもの、それは「我々はどこから来てどこへ行くのか」という果てしない問い掛けでした。掲句にも、その問いの残響が響いているように感じられてなりません。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」
最近の句集から選ぶ歳時記「キゴサーチ」(秋)