なんといふ高さを鷹の渡ること 正木ゆう子「羽羽(2016)春秋社」
この句は白樺峠と題された章に収められています。長野県松本市、奈川と乗鞍の間に位置する白樺峠。バードウオッチャーの間では、鷹の渡りが見られる場所として知られています。掲句の通り、鷹はかなりの高さを飛行しますが、白樺峠は標高1600メートル。谷間から鷹たちが上がって来る様子を上からも観察できます。ここで見られる鷹は、サシバ、ハチクマ、ノスリ、ツミ。九月初めから十一月中旬まで多い日には千羽も確認できると言います。作者は、鷹の渡りを見るために毎年現地に足を運ぶとおっしゃっていました。それがこの一句に結実したのかもしれません。
さて、長い間鷹の渡りのルートは謎に包まれていました。2003年の秋以降 東京大学名誉教授の樋口広芳さんらのグループが、鷹の一種ハチクマに送信機をつけ気象衛星ノアなどで追跡。時間と緯度経度を割り出しました。それによると本州の中〜北部で繁殖するハチクマは、まず西へ進み九州に向かいます。日本最西端の五島列島などを飛び立った後、東シナ海の約700キロの海上を超えて中国の揚子江河口付近へ。その後中国のやや内陸部を南下し、インドシナ半島、マレー半島を経てスマトラに至ります。そこからは経路が二つに分かれ、一方は九十度方向転換して東北方向へ。ボルネオやフィリピンへと到達します。もう一方は東へ進み、インドネシアのジャワ島、あるいは小スンダ列島にまで到達して渡りを終えます。小さな生き物の飛行が、これほど地球サイズの広がりを持っていることに驚きを禁じ得ません。
掲句で始まった白樺峠の章。この後に鷹の句が十一句も続きます。そこに作者の深い思いがあることは言うまでもないでしょう。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」