俳句で処世訓、風流、家族愛、などを詠むと往々にして浮いてしまいます。俳句という小さな器には大きすぎるのです。初心のころ、そうした句を詠んでは得意になっていた私。今読み返すと恥ずかしさで死にそうです。つべこべ言うな、と自分にツッコミたくなります。これは私の実感。ですから、あなたにだけは、そんな過ちを繰り返していただきたくないのです。では何を詠むべきか。具体的なもの、小さなもの、見過ごされがちなものです。小説のテーマにするには軽すぎる。短歌で詠むほど熱い思いが湧かない。ラブソングには程遠い。どこにでもあって、誰にも注目されなくて、半分忘れられている。そんな存在に目を留めてみてください。お手本になるのが次の句です。
蠟製のパスタ立ち昇りフォーク宙に凍つ 関悦史
食堂の店先で見かけるアレを詠んだ句です。フォークがナポリタン・スパゲッティを巻き取って宙に浮かんでいる。手を触れていないのにフォークが浮かんでいるのが不思議で、子どもの頃見入ったものでした。実は皿の上にワイヤーでフォークを固定し、そこにスパゲッティや具材を巻き付けて作るのだそうです。
食品サンプルの定番とされる商品ですが、それまで俳句で詠まれることはありませんでした。掲句は食品サンプルを詠むという大胆さに加え、「凍つ」という季語の斡旋の確かさが際立ちます。凍つは寒気のため物が凍ること、また、凍るように感じること。まさにフォークが凍っているようです。
こうしたサンプルが置かれているのは、大抵小さな食堂。ちょっと古臭いイメージで、ウインドウに埃が積もっていたりします。はじめはモダンだったのでしょうが、時の流れに抗えません。サンプルが古ぼけているだけなく、店も、そして店の主人もすでに過去に属しているのです。「凍つ」という季語のために一層寒々しい印象を与える掲句。私は都会の片隅で忘れられようとしているものたちへの、惜別の一句と読んでみたいと思います。
俳句は小さな詩。ですから題材も小さなものを。小さな言葉が読む人の胸でこだまし、大きな響きとなってゆく。それが俳句の理想です。
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