西山宗因(そういん)




西山宗因は、江戸時代前期の連歌師で俳人です。談林派の祖といわれます。

慶長10年(1605年)に、肥後国熊本で生まれたとされています。

西山宗因の父は、加藤清正の家臣である西山次郎左衛門です。西山宗因の本名は豊一です。通称は次郎作といいました。宗因とは連歌名で、俳号のほうは、一幽といったといいます。

西山豊一は加藤清正の家臣西山次郎左衛門の子として、15歳の頃から肥後国八代城代の加藤正方に仕えました。主君正方の影響で、連歌に深い造詣を持つようになり、京都へ遊学しました。

そして、里村昌琢(しょうたく)に師事し、本格的に連歌を学びます。

正保4年(1647年)には連歌所の宗匠となって、全国に幾多の門人を募るようになりました。

また、俳諧のほうの活動をも行って、軽妙さや奇抜さを特徴とする宗因流または阿蘭陀(オランダ) 流などといわれ談林派を担い、延宝年間に談林派俳諧の第一人者とされたものの、松尾芭蕉の蕉風俳諧にその座を明け渡しました。

西山宗因は晩年には連歌に専心をみせるようになったということです。

西山宗因は天和2年3月28日(1682年5月5日)に亡くなりました。

西山宗因の作った句には、『これやこの江戸紫の若なすび』や、『信濃路の駒は春もや木曾踊』、『阿蘭陀の文字か横たふ天つ雁』などがありました。

武家の目線での面白おかしい日常が窺える作品です。






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