かちょうふうえい・花鳥諷詠【超初心者向け俳句百科ハイクロペディア/蜂谷一人】

高濱虚子は俳句の理念を花鳥諷詠、その方法論を客観写生という言葉で表しました。これが難しい。いえいえ、言葉としては難しくないのですが意味しているところが難しい。なんというか「Don’t think!Feel!」と言われているような感じ。これってブルース・リーの「燃えよドラゴン」の名台詞ですよね。何か凄いことを言われているのはわかるのですが、正確には理解できない。花鳥風詠には俳句の難しさと凄みが凝縮されているといっていいでしょう。

まず客観写生について、虚子自身はこう語っています。「繰り返しやっておるうちに、その花や鳥と自分の心が親しくなって来て、その花や鳥が心の中に溶け込んで来て、心の動くままにその花や鳥も動き、心の感じるままにその花や鳥とも感じるというようになる。そうなって来るとその色や形を写すのではあるけれども同時にその作者の心を写すことになる。それが更に一歩進めば客観写生となる(原文は歴史的仮名遣い)」もののかたちを写す写生から一歩進んで、心を写すということが入ってきます。敢えて言えば、心の眼で見た写生ということでしょうか。

花鳥諷詠の方は、さらにわかりにくい。花鳥は自然、諷詠は詩を作ったり声に出して吟じたりすること。しかし、それだけではおさまらない大きな意味のある言葉のようです。何といっても俳句の基本理念ですからね。ためしに、学校の先生に意味を尋ねてみてください。自然を愛でて詩を作ること、くらいは教えてくれても、それ以上食い下がると「一言では言えない」とか「君にはまだ早い」などと、かわされてしまうかもしれません。

虚子自身は花鳥諷詠についてこう述べています。「春夏秋冬四時の移り変りに依って起る自然界の現象、並にそれに伴う人事界の現象を諷詠するの謂であります」人事界の現象、というところがポイントでしょう。花鳥だからといって、必ずしも自然を詠むだけではない。人の世の出来事を含めた森羅万象を詠むのだと宣言している。まことに虚子らしいスケールの大きさだと思います。

さて、この花鳥諷詠について虚子が残した句があります。
明易や花鳥諷詠南無阿弥陀   高濱虚子

誠にもって解釈の難しい句です。「明易」は,夏の夜明けが早く訪れるさま。夏の季題(季語)「短夜」の傍題です。この句について後に研究座談会で虚子に質問が飛んだそうです。虚子は「この句は何がどうというのではないのですよ。信仰を現しただけのものですよ。我々は無際限の時間の間に生存しているものとして,短い明け易い人間である。ただ信仰に生きているだけである,ということを言ったのです」と答えたそうです。ますます、わからなくなってきました。あえて解釈すれば、「人生は夏の夜のように短い。その中で私は花鳥諷詠という信仰を持って生きてゆく」こんな意味になるのではないでしょうか。虚子は先の問答に続いて「花鳥諷詠と南無阿弥陀は並列にお考えになっておられますか」と問われ、きっぱりと「おなじように考えています」と答えています。ならば花鳥諷詠はむしろ祈りの言葉と解釈したほうがよいのかも知れません。

花鳥諷詠を考えるたびに、私が思い浮かべる逸話があります。あるところに親切な神様がいて、願い事を何でも叶えてくださいます。ところが耳が遠く、しかも年々聴こえにくくなっているようなのです。祈っても祈ってもなかなか神様には届きません。聴こえさえすれば、願い事が叶うのになんという悲劇でしょう。しかも、かすかな声を聞き間違えて願ってもいない奇跡を起こしたりするので、事態は更にややこしくなっていきます。花鳥諷詠とはこの耳の遠い神様のようなもの。俳句の上達を願って私たちは一心に祈りますが、それで願いが叶うことは滅多にありません。

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html

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