夫婦、親子、家族など人間関係を詠むのは実のところ、かなり難しいことだと思います。往々にして句に熱がこもりすぎる。ちょっと暑苦しくかったり、甘過ぎたりしがちなのです。名句はそこをさらりと流したり、感情を交えずに描いたりしています。夫婦や親子といった言葉を使わないのも工夫のひとつ。次の句は直接的な表現を用いずに、見事に家族のありようを描き切っています。
木の囲む家の来し方春の月 ふけとしこ
木の囲む木の家。例えば新婚の記念に、苗木を家の周囲に植えたとします。木はまだ小さく、窓からは光が差し込みます。やがて子どもが生まれ、木は成長します。窓からの光の角度が少し変わってきました。子どもは木によじ登って遊びます。ときどき落ちて大泣きしたりします。木の実を拾って食べたり、どんぐりで独楽を作ったりします。大枝に縄をわたしブランコを下げます。ハンモックを吊るした夏もありました。子どもが成人になるころ、木は屋根よりも高くなり、日差しがさえぎられます。あんなに明るい家だったのに、子どもが独立するころには少々暗く見えます。にぎやかな声が去ってゆくとなおさらさみしく感じます。ある年台風が来て大枝が折れます。植木屋さんがやってきて、折れた大枝が家をつぶすといけないから、切りましょうと言います。しぶしぶ承諾しますが、切ったあと日差しが届くようになってちょっと嬉しくなります。切った枝で椅子を作ります。腫れた日にはその木の椅子でお茶を飲みます。夫婦の静かな時間です。とまあ、木の囲む家の来し方にはこんな事があったのかもしれません。木の時間と人間の時間が重なって物語を紡いでゆきます。梢の上に昇った春の月が老夫婦を照らします。ちょっと艶っぽいその光は夫婦に新婚時代を思い出させてくれるのです。
木の囲む家という言葉で家族の歴史を描き出した掲句。短編映画を見るような味わいです。
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