いまいせい2  今井聖(1950-)【ワンランク上の俳句百科 新ハイクロペディア/蜂谷一人】




卒業の日の体育用具室の匂ひ

体育用具室の匂い、覚えていますか?確か、体育館の入り口のあたりにあってマットや跳び箱が置かれていました。埃っぽくて黴臭くてちょっと冷たい場所。決していい匂いではなかったのに、この言葉を見ただけで鼻の奥がつんとしてきました。何故か懐かしい匂い。それも卒業の日なら、尚更です。

俳句で卒業を詠むときは、年齢がわかるようにと教えられたことがあります。小学校なのか、中学校なのか、それとも高校か。掲句はいつの時代のものでしょうか。推理してみます。

小学校の卒業では、あまり感傷的になりません。だってまだ十二歳ですよ。式だけで授業がないのが嬉しく、母親が着物を着ているのに驚きましたが、それだけ。過去を振り返る習慣はまだありません。
中学校のときは、ちょっと切なくなりました。市立の小中だったので近所の仲間がクラスメイト。勉強と遊びが同じメンバーでした。中学を卒業すると進路がはじめて分かれます。殆どの子が進学しましたが、高校の普通科もあれば、商業高校や工業高校も。もうあの友達と会えなくなると思ったら泣けてきました。でもそれも一瞬のこと。別れるとは言っても同じ町。小さな町ですから、いやでもすれ違います。別離の実感はさほどありませんでした。

さて高校。今度こそ、友達と離れ離れになります。就職する子、地元の大学へ進む子、都会へ出てゆく子。皆が人生の岐路に立たされます。こんな時です。埃っぽくて黴臭い、あの匂いが懐かしくなるのは。体育用具室に思い出ができるのもこの頃。不良っぽい子に呼び出されたり、女子とひそひそ話し込んだり。卒業文集には記されない秘密の学校生活がそこにありました。

だから掲句は、高校の卒業の日。卒業式が終わり、部室に(ちなみに私はブラスバンドでした)顔出しして挨拶したあと体育用具室に寄ったものです。そうすると、他にも2〜3人用もないのにやって来た連中がいましたっけ。

噴水の隅でピエロになるところ

季語が動く、と言う言葉を聞いたことはありませんか。季語には本意があります。噴水であれば、涼しさというのがそれに当たるでしょう。この意味を踏まえて一句に詠み込むのが「季語派」と呼ばれるグループ。「季語原理主義」と呼ばれることもあります。涼しさを感じられない使い方をすると、「季語が動く」と批評されます。つまり、噴水じゃなくても、別の季語でもいいのではないかというわけです。

一方、一句の中で季語は必要だが、本意を踏まえなくてもいいというグループもあります。これまで「季語派」に当たるような名前がありませんでしたが、それでは不便なので「季語自由主義」略して「自由主義」と呼ぶことにします。自由主義の人たちは、季語が入っていればいい。むしろ季語とは動くもの、という俳句観を持ってます。今井聖さんのこの句など、さしづめその典型例ではないでしょうか。

おそらく大道芸の方でしょうが、ピエロに着替えてショーに臨もうとしています。ここからは涼しさは特に感じられません。つまり、別の季語でも構わないわけです。ただ、圧倒的にリアル。実際に見た人にしか描けない言葉の迫力があります。まるで自分が今、大道芸の準備を目撃しているかのようです。

原理主義のいいところは、堂々とした句ができること。ただし類想が多いのが難点。自由主義ならば、フレッシュな句ができる代わり切れ味がよくないと共感を呼びません。どちらを選ぶかはあなた次第。正解がひとつでないので悩ましいところです。

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html

 

 

 

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