さみだれ 五月雨【ワンランク上の俳句百科 新ハイクロペディア/蜂谷一人】




平泉に入った芭蕉一行は中尊寺を訪ねます。義経を保護した藤原秀衡の館があった場所で 清衡、基衡、秀衡、藤原三代の像が飾られた経堂と、三代の棺を安置した光堂があります。この堂を開帳してもらえることになった一行。案内された光堂の内部は手入れする人もなく、無惨に朽ち果てていました。極楽浄土を再現したと言われる金銀瑠璃などの七宝は失われ、堂の内部は風雨に朽ち果てていたのです。ただ四面を新たに囲い、瓦を葺いた鞘堂をこしらえたおかげで、何とか崩れずに姿を保っていました。芭蕉は栄華を極めた堂のかつての輝きを心の眼で見てとったのでしょう。奥の細道を代表する名句の一つが生まれています。

五月雨の降り残してや光堂

来る年も来る年も続いた五月雨が、この光堂だけは降り残してきたのだろう。そのおかげで、今もなお光り輝いているではないか、という意味。この句の初案は

五月雨や年々降りて五百たび

であったことが知られています。ここでは五月雨が500年という歳月の象徴。500年間も降り続いた五月雨が、光堂だけは降り残してくれたよ、こんな意味になるでしょうか。ところが、芭蕉は開帳に立ち会っていないことが明らかになっています。一行が訪ねたとき、寺の責任者である別当は不在でした。開帳とは寺宝である厨子をひらいて中の仏像を拝むこと。責任者がいないのに、そんなことをさせてくれるはずがありません。また、経堂には三代の像などなく、実際にあったのは文殊菩薩、優填王、善財童子の三像でした。それなのに、あたかも開帳してもらって三代の像を拝んだかのように書いてある。これが芭蕉の文学的フィクション。今日の研究者の見解です。

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html

 

 

 

ワンランク上の俳句百科 新ハイクロペディア






おすすめの記事