少年の見遣るは少女鳥雲に 中村草田男
俳句を絵画の用語で批評することが出来ます。この句はNHK俳句テキストに堀本裕樹さんが、「絵画的な奥行きのある句」の例として出しているもの。描かれているのは三人です。まず手前に少年がいます。その奥に少女。少年は少女を見ています。そして、少女の奥に早春の空。渡り鳥が北へ帰ってゆきます。おそらく少年は少女に恋をしているのでしょう。しかし、少女はそれに気づいていないようです。少女は少年を見ていない。なぜか。鳥帰るという季語の働きです。鳥たちが遠ざかってゆく空。鳥の姿が黒い点になり、その点も空に吸い込まれてゆく。作者は思いが届かない彼方へ消えてゆく鳥たちの姿に、恋の行方を重ねているのではないでしょうか。
この句を絵画として捉えると、近景に少年、中景に少女、遠景に空という三者による遠近法が成立していることに気づきます。
背のあいたサマードレスの先が海 蜂谷一人
草田男の名句と並べるのは申し訳ないのですが、私にも遠近法の句があります。手前に作者(私)、その奥にサマードレスの女性。女性は私を見ていません。視線は海にむかっています。近景に私、中景に女性、遠景に海という遠近法。あらわになった女性の肩甲骨が眩しい作品。映画「ティファニーで朝食を」の冒頭、オードリー・ヘップバーンの背中が写し出されたのを覚えていますか。意外にたくましいその背中に、観客は主人公ホリーの強い性格を感じ取ります。拙句の女性も、美しいけれど繋ぎとめることの難しいひと。海を見る彼女が振り向くことはありません。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」
公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html
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