季語は感覚を呼び覚ます力を持った言葉です。「梅の花」といえば、色とともにその香りを。「潮干狩」といえば、浜辺の光景とともに海の匂いや波音、水の冷たさを。「バレンタインデー」と言えば必ずチョコレートの甘さや色を想像します。色や光景は視覚。波音は聴覚。匂いは嗅覚。冷たさは触覚。甘さは味覚です。これらの五感に加えて、季語は連想力も膨らませます。西行忌(旧暦2月16日)といえば、平安時代の漂泊の歌人 西行の生涯を思い浮かべます。五感プラス連想力。夏井いつきさんはこの6つを「季語の成分」と呼んでいます。
ある季語を分析してみて、足りない成分があったとしたら、そこは先行句や類想のない分野。匂いのなさそうなものの匂いを敢えて詠んだり、音のない世界に想像の音を付け加えたりすることで、一句の世界が広がります。それは、あなたが開拓する新しい季語のフロンティアなのです。
麦秋の櫂を濡らして戻りたる 夏井いつき
麦秋とは、麦の実りの季節。秋という文字が入っていますが季節的には初夏にあたります。一面の黄色い麦の波が続く畑。むせかえるような匂いに包まれ、麦の穂は触れると怪我をしそうなとげとげしさを持っています。ざわざわと風は音を立て、空気はほこりっぽい味。ゴッホの遺作となった黄色い麦畑と烏の絵を連想します。この中にないものといえば水分。水の感触だけが足りません。それを見事に詠んだのが掲句。いい句には確かな理由があります。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」
公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html