さくらんぼ抜歯の痕に舌置いて 今井聖
ないものを詠むのは難しい。無くなった途端に、忘れてしまうから。駅前に空き地が出来たとします 。あれ、前は何だったっけ。意外に思い出すのが難しいのです。そんなことを考えたのは、掲句が不在を詠みながら、決してすぐには消え去らない記憶があることを教えてくれるから。
抜歯という痛みを伴う出来事の後、そこにあった歯はもうありません。あんなに私を苦しめた虫歯の不在。大袈裟に言えば、この句のテーマはそうなります。しかし、失われた後も歯は存在を主張し続けます。とにかく気になるのです。気になって仕方ないから、つい舌を置いたりしてしまう。歯があった時と同じように、いえそれ以上に生々しい実存を感じるのです。
さて、この句のおかげではじめて気づきました。抜歯の穴にさくらんぼが丁度はまるのです。さくらんぼを口に含んで転がしながら舌は抜歯の痕に触れ、さくらんぼにも触れます。読者は微かな血の味と果実の甘さが入り混じる不思議な感覚を追体験します。舌という敏感な器官が捉えた「かくも長き不在」。ここで扱われているのはまさに、記憶とは何かという哲学的な問題なのだと思い至りました。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」
公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html
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