郭公の一オクターブ上が空 蜂谷一人
厚かましくも私の句です。ある時、こんな短歌を見つけました。「どこまでが空かと思い 結局は 地上スレスレまで空である 奥村晃作」子どもの頃、同じようなことを考えていたことを思い出して嬉しくなりました。当時は、場所によって空の始まるところは色々と考えていました。例えば学校であれば校庭の鉄棒の上。都会であればビルの上。マンションの屋上で洗濯物が干してあれば、さらにその上。海であればマストの上。田んぼであれば稲の上。森であれば梢の上。いえ、梢よりもさらに高いところへ突き抜けてゆくものがありました。郭公の声です。遠くからも聞こえる声は、夏の森を代表する音だと思っていました。短歌がきっかけで蘇った子供の頃の思い。それで生まれたのが掲句なのです。
郭公という名前は、囀りを文字にしたもの。学名をククルス・カノルスと言いますが、ククルスはあの鳴き声。日本語ではカッコー、ラテン語ではククルスという訳です。カノルスの方は「音楽的な」という意味。学名まで鳴き声に由来しているのは、声があまりに特徴的だからでしょう。ヨーロッパでは少女たちが、その年最初に聞いた鳴き声の数で占いをするのだとか。自分が何年後に結婚するのかを。郭公は、未来を告げる予言の鳥なのです。
さて「郭公の一オクターブ上」とは、どんな空でしょう。高い音域の男声、テナーよりも更に上。カウンター・テナーのような空。抜けるような輝きを放つ空。いえいえ、それでは即物的過ぎますよね。あなたはどんな空を思うのでしょうか。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」
公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html
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