鏡餠置けさうに凪ぎ渡るなり 今瀬剛一「甚六(2020)本阿弥書店」
鏡餠をどこに置くというのでしょうか。凪渡る、ですから海。しかし浜には波が寄せていますし、湾内は潮目が入り乱れています。ですから沖の風景ではないかと思うのです。例えば黒潮の境は波立ちますが、大きな流れの真ん中に入ってしまえば驚くほど静かなひと日があります。実は私、土佐の一本釣りで名高い鰹船に取材で乗った経験があります。春から初夏にかけて、鰹はフィリピン沖から日本の南岸を洗う黒潮にのって北上します。船は黒潮の源流付近へ南下、北上しながらナブラという群れを追います。90トンの船ですから、客船のような安定感はありません。ひと月ほどの間に船橋を越える荒波もありましたし、顔が映りそうなほど凪いだ日もありました。海が荒れると胃の中のものを吐き通し。凪の日には、太平洋を独り占めしたような気持ちになったものです。鏡となった海原に青空が映り、上も下も空という不思議な風景でした。掲句には、海という言葉も、沖という言葉もありません。情報を詰め込むのではなく、ぎりぎりまでそぎ落としていますが、十分伝わります。さらにそぎ落とすことでゆったりとしたリズムが生まれ、凪の海のような穏やかさ、めでたさを実感することが出来る句になっているのです。こう言われると確かに、鏡餠を置くのに凪の海ほどふさわしい場所はないように思えてきます。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」
公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html
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