奔放で天才的な句風で異彩を放った俳人。句柄が大きく、耽美的な美しさを備えた作品で知られます。
花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ
Eテレの番組「歳時記食堂」で宇多喜代子さんは、久女をこう評しました。「作品は尊敬します。でも実生活では、あまりお友達になりたくないわね」どういうことなのでしょう。久女が俳句の師である虚子にあてた手紙が残っています。
「虚子先生 只今午前の三時でございます。腹痛がして目が冴えて眠れず、厠(かわや)へ起ようとして雨戸をあけますと、狭い庭土へ、ひるのやうに明るい月光が屋根かげをそれて、四角く落ちてます。(中略)かういふ風な状態にある時恋しいものは青春です。過去です。思出です。芸術です。本です。或いは俳句です。友です。都の灯です。しかし、つかむことの出来ぬ過去と時の推移をいかに悲しんだとて何になりませう」(杉田久女 「夜あけ前に書きし手紙」より)
なかなかの名文です。しかし、師にあてた手紙としては少々変じゃありませんか。午前3時に書いているなんて、まるでラブレターのよう。しかもこうした手紙が6年間に200通以上も。小説家・田辺聖子は久女の心境をこう推理しています。
「生きる道を俳句に発見したと同時に、生き甲斐は虚子になった。虚子先生をずっと敬愛しつづけた、といえば、うるわしい師弟愛であるが、年々にその情熱はエキセントリックになってゆく。(中略)恋愛に近い感情が生れ、虚子側近の人々への嫉視や羨望へとなだれてゆく、それは久女にとってごく自然な気持の移行ではないかと思われる。「花衣ぬぐやまつわる 我が愛の杉田久女」より」
美術教師の夫を持ちながら、虚子への思いを抱き続けた久女。それが叶えられることはありませんでした。次第に遠ざけられ、ついには破門されてしまいます。
羅(うすもの)に衣(そ)通る(どおる)月の肌(はだえ)かな
風に落つ楊貴妃櫻房のまゝ
歳時記食堂に出演した かたせ梨乃さんは、どの句も誰かを待っているようだと評しました。美しいけれどもどこかはかなげな句。久女の自画像そのものではないでしょうか。
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